「おいランちゃん!? 大丈夫か!?」
地面に手をついて呆然とするランスロットの姿に、追いついたヴェインたちは血相を変えて駆けつけた。手傷でも負わされたかと思ったが、どうやら外傷はなく無事である。座り込んだままでも近付く魔物を斬り捨てたランスロットの動きに躊躇いはなかったが、その瞳は何も映していなかった。
「ランスロット、いったい何があったんだよ?」
「ジークフリートはどこへ……」
「大丈夫ですか、ランスロットさん!」
ビィやソフィア、ルリアの声も耳に入っていない様子で、ふらりと立ち上がったランスロットはジークフリートの去った方向へと歩き出そうとする。その肩を掴んで、ヴェインは懸命に親友に呼びかけた。
「おい、ランスロット!! 何があったんだよ!?」
「……退け、ヴェイン! 俺が、俺が行かなくては……!」
「落ち着けって! ジークフリートを追ってたんだろ? それがどうして、」
「説明している余裕はない、離せ!!」
「うおわっ!?」
手加減もなく手を振り解いたランスロットに、さすがのヴェインもたたらを踏む。そのまま走り出そうとしたランスロットを捕まえ、ヴェインはその頬を思いっきり張り飛ばした。
「ッ!!」
「ひッ……」
「うぇぇ……見てるこっちが痛いぜ……」
体格の良いヴェインの渾身のビンタに、ルリアが悲鳴を呑み込みビィが目を逸らしつつ痛ましそうな表情をする。グランとソフィアはおろおろと険悪な幼馴染の様子を窺うが、さすがに騎士団長であるランスロットはすぐに幾分か冷静さを取り戻したようで、胸倉を掴むヴェインの手を軽く叩いた。ヴェインもランスロットが暴走する気配がなくなったのを察して、あっさりと手を離す。
「……すまない」
「いいってことよ! ……様か?」
短い言葉で、けれど確かに意思疎通はなされていた。ヴェインの問いに、ランスロットは頬を腫らしたまま小さく頷く。
「様は……ずっと俺の助けを、待っていたんだ。俺はそれに気付けずに……様を、泣かせてしまった」
ヴェインの眉が、ぴくりと動く。けれど黙ったまま、続く言葉を待っていた。
「俺は様の信頼を裏切って……様を、傷付けた。取り返しのつかないことを、してしまった……それでも様はまだ、俺が来ると信じている。ならば俺は、行かなくてはならない。今度は俺が、大丈夫だと言わなくてはならないんだ」
「……よくわかんねえけど、様はジークフリートと一緒にいるんだな? 俺たちの目的は、変わらないんだな?」
「ああ。奴を追うぞ……様も、待っている」
顔を上げたランスロットの目には、今度はしっかりとヴェインが映っていた。グランがほっと胸を撫で下ろし、ソフィアが慌ててランスロットの頬を治療する。よかったぁと呟いてビィを振り向こうとしたルリアが隠し通路の蓋に躓き、一行は薄暗い地下への扉を開いたのだった。
「そうか……あなたがフェードラッヘ王女の……お労しい……」
地下牢に幽閉されていたルフルス村の村長は、目を泣き腫らしたに深々と頭を下げる。ジークフリートから端的に事情を聞かされて、イザベラならさもありなんとの容貌に驚くこともなく王女を労わった。ぼうっとしながらも、優しい民の気遣いには力無く微笑みを浮かべる。
「ありがとう、村長さん。今まで気付けなくて、ごめんね……?」
「何をおっしゃる! あなたはつい先日まで、ファフニールの中で眠らされていたのですぞ……! 我々の心配など、」
「…………」
村長とのやり取りを、ジークフリートは影で見守る。今はだいぶ落ち着いているが、先ほどまでのの取り乱しようを思い出せば気持ちは沈むばかりだった。体は成長しているが、ずっと眠っていたの精神はほとんど幼子のそれと変わりない。おまけに、十二年の間見ていた夢は安らぎとは程遠く、気が狂っていてもおかしくないような殺戮と炎の地獄だ。ほんの時折、夢うつつの時はあったらしいがその程度で癒されるような傷でもないだろう。人に憎悪を向けられ、傷付けられ、痛みに吼えて。がしていたのはファフニールの記憶の追体験であり、振り下ろす爪を止めることも、吐き出す炎を止めることもできない。ただ、ファフニールが人を殺し、人がファフニールを殺そうとしている記憶。それを『ファフニール』として見続けたの心が、無事であるわけもなかった。憎悪と共に武器を向ける者を目にして、殺さないから殺さないでと泣きながら乞う少女。ジークフリートと普通に接していられるのは、ジークフリートが極力の前で戦う姿を隠しているからだ。ファフニールとしての記憶では自分を封滅した怨敵であるが、の胸の奥底に残った思い出の中のジークフリートの姿が、かろうじての恐怖を押し込めているに過ぎなかった。ランスロットがジークフリートに向けた剣は、その恐怖の蓋を開けてしまった。ランスロットにとってもにとっても、今回のことは後々まで引き摺る歪みとなるだろう。深く信頼し合っていた主従の姿を知るからこそ、ジークフリートにはそれがひどく痛ましく思えた。
「――おい、こっちに来てくれ! 人が倒れてる!」
暗闇に響いた声に、三人は身構える。ジークフリートが倒した見張りの兵が、ヴェインに見つかったようだった。ここまで来たか、とジークフリートはを守れる位置に立つ。様子を見に行ってきます、と言った村長は、ランスロットに見咎められて戻ってきた。
「ひっ……! 追っ手ですぞ!」
村長と共に、ランスロットやヴェイン、騎空士たちが駆け込んでくる。「来たか……」と口を開いたジークフリートに、ランスロットは今度は剣を向けなかった。ジークフリートは少しだけ愉快げに片眉を上げたが、それを見咎めるものはいなかった。
「……貴様を、捕らえたいのは山々だ。だがその前に、訊きたいことがある」
「どうした、やけに冷静だな」
「ジークフリート様、早くこいつらを倒してください!」
「暫し待て。ランスロット、訊きたいこととは王女のことか? ならば、剣を収めたのは賢明だ」
「……らんす、」
「様……あなたに、何があったのか。様の口から、聞かせていただきたいのです」
「ランちゃん……」
「思えばあなたは、ジークフリートに攫われたにしてはおかしかった。王殺しの大罪人に怯えるどころか、信頼して頼っていた。ジークフリートが何か吹き込んだのか、そう思っていましたが……違うのですね、様。あなたは何も、知らなかった」
「……うん」
「十二年間、ファフニールの腹にいたというのは、本当なのですね」
「……うん、そうだよ」
の肯定に、ランスロットは肩を震わせる。一歩に近付いて、手を伸ばす。今度はその手は、拒まれなかった。
「何故、そのようなことに……!」
「…………あのね、らんす、」
かくれんぼをしてここに入ってしまった日のことから語ろうと、は口を開く。けれどそこに、殺気立った警備兵が現れてランスロットたちに刃を向けた。
「貴様ら、ここで何をしている! どうやってここへ侵入した!」
「待て、俺は白竜騎士団団長のランスロットだ! 大罪人ジークフリートを追ってここへ来た! 無許可での侵入は謝罪するが、今は協力を願いたい!」
けれど騎士団長であるランスロットの言葉に、警備兵は思わぬ反応を見せる。自らの所属する白竜騎士団の団長であるにも関わらず、その兵士はランスロットたちへと襲いかかってきて。それを退けたランスロットだったが、今起こった出来事が信じられずに愕然とする。自分たちは今、白竜騎士団の仲間に襲われたのか。ランスロットは、ジークフリートに対峙して険しい顔で問いかけた。
「ジークフリート……貴様は、何を知っている? 答えろ!」
カタカタと震えるの手を、しっかりと握る。不可解なことが多すぎる。のことも、今襲ってきた兵士のことも、この地下のことも。の為だと剣を収めて問うランスロットを、ジークフリートは地下室の奥へと先導するのだった。
180211