「あ、あのね、らんすろっと」
「はい」
「うろこはね、じっとしてたらなくなるんだよ。びっくりしたり、おこったりしたら、出てきちゃうけど」
「はい」
「……えっとね、火がたまに、でちゃうから、気をつけてね……?」
「はい」
「あ、お空も飛べるようになったんだよ! らんす、一緒にとぼうね! ……あ、でもわたし、らんすのことだっこできないや……」
「はい」
「その……しっぽがあると、おようふく着るとき、こまるね……?」
「はい」
「…………ごめんね、らんす」
「いえ……」
いま一度世話役になったランスロットは、の部屋に挨拶のためにやってきた。ヴェインは、気を利かせて明日にすると帰っていってくれて。けれどを前にしたランスロットは、ともう一度一緒にいられる喜びも落ち込むほど、目の前の現実に打ちひしがれていた。椅子に座るの前に跪き、その両手を握り締める。の言葉が、耳をすり抜けていった。
十六歳にしては小さいと思ったが、確かに十二歳程度と言われれば納得できるその体躯。これからの成長も人より遅くなると聞かされた。人とは異なる時を刻んでいく王女を、民はどのような目で見るだろう。あどけない口調は懐かしく、けれど『中身はよくて八歳程度』という言葉が重くのしかかる。ランスロットがに手紙を綴りながら少しずつ歩んできたこの十二年が、の中では燃え尽きている。ランスロットとの間にできた時間の空白は、もう一生埋まらないのだ。白い肌にところどころ浮かび上がる鱗も、時々炎に変わる呼気も、これからの人生でを苦しめるだろう。自分が、を見失ったから。何が、『あなたの騎士』だ。大事なときに、何もできずに。を救えずに、約束も果たせずに。それどころか、を傷付けた。ランスロットはあのとき、にとって『こわいもの』だった。は努めて明るく振る舞うが、不安なのはだろう。気付けばランスロットの頬を、涙が伝い落ちていた。
「……っ、」
どうして主が泣かないのに、自分が泣くのか。自分に、泣く資格などあるはずもない。そう思って乱暴に目元を拭うランスロットの手をそっと抑えたのは、小さな温かい手だった。
「らんす、目をこすったらいたいから、だめだよ?」
「様……」
「らんす、いたい? おなか? あたま? けがしたの?」
「……怪我は、ありません。胸が……痛むのです」
「ど、どうしよう、おくすりある?」
「病気でも、ないのです。心が、」
「こころ?」
おろおろとするは、ランスロットの言葉にきょとんと目を瞬く。そして、おもむろにランスロットの頭を胸に抱き寄せた。
「、様……!?」
「いいこ、いいこ」
狼狽えるランスロットの頭を、よしよしと撫でる。火の力を宿しているからか、は触れるものを安心させるような温もりに満ちていた。繰り返し優しく撫でる手に、ランスロットはそっと目を閉じる。優しい心音が、耳に心地よかった。
「らんすはいいこ、だいじょうぶ」
昔、が戯れでランスロットの髪を触ったときのことを思い出す。の手に触れられると、不思議と心が安らいだ。華奢な体の温もりに、ランスロットの涙は自然と引いていく。大丈夫と繰り返すの温もりに抱かれ、ランスロットは気付けば眠ってしまっていた。
「申し訳ございません!」
「だ、だいじょうぶだよ、らんす」
「どのような罰でも受けます!」
「ないよ!?」
翌朝の元へと挨拶にやってきたヴェインは、賑やかな中の様子になんだなんだと中を覗き込む。見れば、何故か王女に土下座をする親友の姿と、その頭を必死に上げさせようとする王女。親友は何をやってるんだろうなあ、と思いつつヴェインは二人に声をかけた。
「おはようございます様! ランちゃん、様が困ってるぞ?」
「おはよう、ヴェイン!」
「なっ、ヴェイン……!? いつからそこに、」
「ん? ついさっきだけど」
ヴェインの声にランスロットはバッと飛び起き、はぱたぱたと駆け寄ってくる。転ぶ前にを受け止めたヴェインは、「様、俺の名前上手に言えるようになりましたねー」との頭を掻き回すように撫でる。わしわしと大きな手に褒められて、はきゃーっと嬉しそうな悲鳴をあげた。
「……見てないよな? ヴェイン」
「土下座しか見てないけど?」
「そうか……様、お着替えに参りましょう。今日の朝食はクロワッサンですよ」
「クロワッサン! すき!」
「マーサの息子が、厨房でパンを担当しているんです。彼の腕も素晴らしいですよ」
「マーサ、元気?」
「はい。今はお暇をいただいていますが、故郷の村で製菓屋を営んでいるそうです」
マーサの製菓屋に行きたいと言うに、今度行きましょうと笑うランスロット。着替えと朝食を済ませたらきちんと挨拶の場を設けると言って、ランスロットはを連れて出て行く。わかったと頷いたヴェインは、結局ランスロットは何故に頭を下げていたのだろうと首を捻った。
「…………」
侍女にを預けたランスロットは、赤くなった頬を手で隠す。の腕の中で眠りこけてしまったと気付いたのは、朝日で目覚めたときだった。は椅子に腰掛けたままうとうととしていて、よりにもよって主を椅子で寝させてしまった上、その胸に抱かれてまる一晩眠っていたなどと。騎士団長としての執務だとか、今回の件の後処理だとか、色々とすべき仕事をしないまま寝てしまったこともまた、真面目なランスロットを苛んだ。けれどそれ以上に、の温もりが未だに残っているような感覚が、頬の熱を引かせない一因となっていて。
「ヴェインに見られなくて良かった……」
もし見られていたら、恥ずかしさのあまり死んでいたかもしれない。ランスロットは冷たい壁にもたれかかって、熱を逃がそうと努力するのだった。
180211