「よろしいですか、様。海に入るときは?」
「らんすといっしょ!」
「知らない人に声をかけられたら?」
「らんすのところに行く!」
「何かほしいものができたときは?」
「らんすに言う!」
「一番大事なことは?」
「らんすからはなれない!」
「その通りです、様。偉いですよ」
「えへへー」
浮き輪をすっぽりかぶった水着姿のに跪き、注意事項を徹底させるのはこれまた水着姿のランスロット。二人のやり取りに、パーシヴァルが若干引いた様子を見せた。
「……お前の教育も大したものだな。いや、もはや洗脳と言うべきか」
「人聞きの悪いことを言うな。洗面器の水でも人は死ぬんだぞ、俺は海の危険から様をお守りしたいだけだ」
「その手に持っている日焼け止めは?」
「様に塗るに決まっているだろう。夏の日差しから様を守らねば」
「さっきもぬったよ?」
「日焼け止めはこまめに塗り直さなくてはならないのです、様」
「そうなんだー」
これは思春期になったら疎ましがられるパターンだな、と思いつつパーシヴァルはランスロットがから浮き輪を外すのを見ていた。そして、ふと疑問に思ったことを尋ねる。
「……お前が塗るのか?」
「そうだが?」
何の問題が? とでも副音声のついていそうなランスロットの表情を見て、パーシヴァルはもはや道徳だとか倫理だとかについて考えるのをやめた。ランスロットに全く邪な考えがないのはわかっている。わかっているからこそ、頭を抱えたい気分になった。
「らんす、くすぐったいよー」
「ですが、隅々まで塗らないといけませんから」
「わたしもらんすにぬる! くすぐる!」
「俺は必要ないんですよ、様。くすぐるだけなら構いませんが」
「いいの? やったー」
「日焼け止めを塗ったあとになさってくださいね」
この主従のやり取りを見ていると実に頭が痛い。けれど放っておくのも何故だか不安で、パーシヴァルは頭痛さえ感じながらふたりの様子を見守る。腋や太腿の際どいところまでランスロットは手を這わせるが、全くいやらしくないのはランスロットの爽やか系イケメンである顔面がなせる技だろうか。いっそここまで行くと清々しいと、パーシヴァルは思った。
「あのねらんす、しっぽはいいと思うの」
翼や尻尾にまで日焼け止めを塗っていくランスロットに、が少し顔を赤くしながらもじもじと制止をかける。そういえば尻尾はあまり触られたくないと言っていたな、と思い出したパーシヴァルもに助け舟を出した。
「日焼けするような部分には見えん。本人がいいと言っているのだから、塗らなくてもいいのではないか」
「しかし……」
「第一そこまで塗っていたら、日焼け止めが幾らあっても足りんだろう」
「それなら問題ない。箱で買ってある」
「……いいから、やめてやれ」
日焼け止めとは箱買いするようなものだったかと思いつつ、ランスロットが置いた浮き輪をに被せてやる。ついでに、麦わら帽子も被せてやった。火の竜の力を宿すが熱射病になるのかは疑問だったが、何となく人間の幼子と同じような扱いをしてしまう。それはランスロットと似たような行動だったが、ありがとうと笑うを見て、それでいいのだろうとも思った。
「……楽しいのか?」
「うん! 楽しいよ!」
「それは何よりだな……?」
何故かパーシヴァルの足元でざりざりと砂山を作って遊ぶに、リゾートチェアで寛いでいたパーシヴァルは首を傾げる。海に入りもしないのに浮き輪を装備したままのは、一生懸命砂をうず高く積もらせていた。水源豊かなフェードラッヘの地で育ったに、砂遊びは新鮮であるらしい。近くでヴェインとビーチバレーに勤しむランスロットを時たま応援しながら、はただひたすらに砂山を作っていく。
「砂があついの、おもしろいよ?」
「そうか」
「すこし掘るとつめたいんだよ! もっとおもしろいね!」
「お前はなんと言うか……生きるのが楽しそうだな」
「うん、たのしい!」
砂が熱かったり冷たかったりするだけできゃっきゃとはしゃぐの純粋さが、少し眩しい。グランたちのように城なり何なりの造形をするわけでもなく、ルナールたちのように絵を描いて遊ぶわけでもない。ただ砂に触れて山にするだけで楽しそうなのそういうところは、貴重かもしれないと思った。
「様、水分は摂っていますか?」
ヴェインの顔面に鋭いアタックを決めたランスロットが、ジークフリートと交代して二人の元へとやってくる。の答えも訊かずにパーシヴァルの横に置かれていたレモン水をコップに注いだランスロットは、が砂遊びに夢中で水分補給をしていなかったのを見抜いているのだろう。遊びに興じていても主の体調管理を忘れないランスロットは凄まじいな、とパーシヴァルはを半ば放置していたことを少しだけ後悔した。いくら半竜とはいえ、はまだ子どもである。周りの大人が気を付けて見守ってやらねばならず、そしてパーシヴァルもまたに頼られるべき大人だ。けれどランスロットは、意外にもパーシヴァルを責めることはなく逆に礼を言った。
「ありがとう、パーシヴァル。様を見ていてくれて」
「俺は何もしていないが」
「そんなことはないさ。ただ一緒にいるだけでも、様にとってはそれが大事なことのようだからな」
にコップを手渡し、ずれた麦わら帽子を直してやりながらランスロットは笑う。赤いワンピース型の水着のフリル部分についた砂を払ったが、ランスロットのパーカーの裾を引っ張った。
「らんす、うみに入っていい?」
「はい、様。それを飲んだら、俺と一緒に行きましょう」
「はーい!」
「お前も行くか? パーシヴァル」
「……ああ、そうしよう」
こくこくとレモン水を飲み干すの傍ら、パーシヴァルも身を起こす。昔に習ったライフセーバーの心得を思い出そうとしているあたり、自分も過保護度合いに関してはさほどランスロットのことを言えないのかもしれないと思った。
「み、みずがうごいてるよ、らんす……!」
「波と言うんですよ、様」
「うみって、みずたまりの大っきいのだって、ヴェインいってたよ……!?」
「あの駄犬は馬鹿だから、あまり信用するな」
「うみって、何……!?」
ランスロットに抱っこされながら海に入ったは、ざぶざぶと波打つ海面に慄いてコアラの子どものようにランスロットにしがみつく。足に波が当たるのにさえ驚いて首筋にしがみつくに、ランスロットは満更でもなさそうな顔をしていた。こいつでも未知のものに怯えるという反応をするのだな、と若干失礼なことを思いつつパーシヴァルはとランスロットの間で潰れそうになっている浮き輪を哀れんだ。
「お前、フェードラッヘの城ではよく夏に泉や湖に飛び込んでいただろう。あまり変わらないと思うが」
「ち、ちがうよ! だってこんなにざぶーんって、してないもん!」
「俺はこのままでも構いませんから大丈夫ですよ、様」
にがっちりとしがみつかれているランスロットだけが、満面の笑顔である。
「なんだか、ファフニールが、いやがってる気がするの……」
「……ありえない話ではないな。深層意識で影響を受けている可能性は高いし、火竜が海を嫌うのも頷ける」
「海から上がりますか?」
「が、がんばる……」
気遣うランスロットに首を振ったが、よじよじとランスロットの体を下りて海に足先をつける。その瞬間ぶるっと尻尾と翼が震え上がったので、パーシヴァルは思わず笑いそうになった。竜というより仔猫だな、と思いつつ海に入っていくを見守る。ランスロットが差し出した両手にがっちりと掴まったは、浮き輪で浮かびながら顔を輝かせた。
「……ういてる! ぷかぷかするよ、らんす! パーシヴァル!」
「ああ、浮いているな」
「ええ、お上手ですよ様」
ただ海面に浮かんでいるだけなのだが、波に流される感覚が楽しいらしい。にこにこと笑うランスロットが手を引いて後ろに歩き出すと、すいーっと引っ張られるは目を輝かせてそれを楽しんでいた。あんなに怯えていたのが嘘のようにはしゃぐに、自然とパーシヴァルの口元も弧を描いていた。
「、バタ足でもしてみたらどうだ」
「ばたあし?」
「湖で泳ぐときに足で水を蹴って泳いでいるだろう、それと同じだ」
パーシヴァルの言葉に、はその場でバタ足をし始める。予告のない元気なバタ足に、の後ろにいたパーシヴァルは正面から海水を浴びる羽目になった。
「…………」
「……ぷっ」
「らんす、何かいいことあった?」
「はい、愉快なことがありました」
ぐっしょりと濡れたパーシヴァルを見て、ランスロットが吹き出す。それを見て首を傾げたが、振り向いて目を丸くした。
「パーシヴァル、びっしょりだよ? どうしたの?」
「……俺に水をかけた張本人がそれを言うとはな」
「様の後ろにいたお前が悪い」
ぽたぽたと水を滴らせるパーシヴァルに、ランスロットが呆れたように言う。ぷちっと何かの切れる音がして、パーシヴァルはランスロットからを奪うとその浮き輪を押して泳ぎ始めた。全力で押されるは、きゃーっと楽しそうな悲鳴を上げて浮き輪にしがみつく。「様!」と叫んだランスロットが、後を追って泳いでくる。の麦わら帽子がどこかに流れていったが、お構いなしにパーシヴァルは進んでいくのだった。
「……様はともかく、いい大人がふたり揃って何をしているんだ」
「……全力で泳いでいました」
「……右に同じく」
「まあ、楽しそうで何よりだが」
パーカーやシャツをぐっしょりと濡らし、髪から水を滴らせて戻ってきたランスロットとパーシヴァルに、ジークフリートは意外そうに目を瞬く。ふたりに挟まれるように手を繋いだは満面の笑顔で、ランスロットが拾ってくれた麦わら帽子がびしょ濡れなのも気にならない様子でいる。が何をしても楽しそうだから、ランスロットもパーシヴァルもつい熱くなってしまう。若干の気恥ずかしさはあったが、悪くはない一時だったと思えた。
「様、髪を結い直しましょうか?」
「いいの? ありがとう、ヴェイン!」
海で遊んでいるうちに解けたお団子頭を見て、ヴェインがを手招きする。飛び跳ねるように駆けて行ったに、手を解かれた二人は揃って「あっ」と声を上げた。そして、弾かれるように互いを見る。解けた手を惜しむような声を、隣の男に聞かれたのが気恥ずかしかった。
「……屋台にでも行くか?」
「そうだな」
何も無かったような素振りで、パーシヴァルとランスロットは並んで歩き出す。それが可笑しかったようでジークフリートの押し殺した笑い声が聞こえたが、二人ともそれを聞かなかったことにした。ヴェインの膝の上で髪を直してもらっているの頬は少し日に焼けていたが、はそれすら楽しい思い出だと言うだろう。
二人が戻ってきたとき、がジークフリートとヴェインの補佐のもとに砂でフェードラッヘ王城の建設に勤しんでいたことは余談である。うっかり端を蹴ってしまったパーシヴァルがランスロットに掴みかかられ、最終的にジークフリートに説教されたこともまた、余談なのである。
180218