「雨だよらんすー!」
 無邪気な声と、軽く床を蹴る音。まだ意識は夢現をさ迷っていたランスロットだったが、反射でがばっと起き上がり腕を伸ばし、元気に飛び込んできたを抱き留めた。勢いを殺すようにくるっと一周させてみれば、きゃーっと高い声を上げて楽しそうにが笑う。一時的に彼らと同室になるハメになったパーシヴァルが、「その反射神経は今ここで使うものなのか」と呆れた様子で紅茶に口をつけた。パーシヴァルととランスロットの三人であれば、一番起きるのが遅いのは意外にもランスロットである。パーシヴァルは薄明に目覚める癖がついているし、はすやすや寝ていたかと思えば突然ぱちっと目を開けて寝ぼけなど知らない顔で朝の散策を楽しみ始める。ランスロットの起床は決して遅くないのだが、が意外に早すぎるだけである。グランサイファーの世話になっている間はもっぱら、のハグ(というよりもダイブ)によって目覚めているランスロットだった。
「おはよう、らんす! 今日は雨だよ!」
「おはようございます、様。様は雨でも嬉しそうなのですね」
「いつもとちがうの、楽しいよ?」
「……お前は今日、寄港先で出かけるのではなかったか?」
 雨が降っていてはランスロットがの外出を渋るだろう、とパーシヴァルは楽しそうなに首を傾げる。問われたは、凄まじい衝撃を受けた顔でパーシヴァルを振り向いた。ぱかっと口が大きく開き、まさに「今気付いた」という表情である。ぶんっと首を勢いよく回してランスロットに向き直ったは既に泣きそうで、ぎゅっと寝間着の裾を掴まれたランスロットはうっと言葉を詰まらせた。
「おそと、だめ?」
「……その、道もぬかるんでいますし、滑っては危ないですから……お風邪を召されるかもしれませんし……」
「らんすぅ……」
「な、なりません様。あなたに風邪を引かせたとあっては、白竜騎士団団長の名が廃ります」
「ずいぶんと安い名だな、白竜騎士団団長というのは」
「パーシヴァルは黙っていてくれ!」
 茶々を入れるパーシヴァルにランスロットは噛み付くものの、如何せん寝癖のついた頭では迫力もない。
「らんすと一緒なら、かぜひかないよ?」
「うっ……」
「その根拠の無い自信はどこから出てくる」
「だってらんす、いっぱいすごいもん」
「ランスロットは医者でも病魔払いでもないぞ」
「そうなの?」
「俺は医学も修めるべきか……或いは病魔をも斬る修行を」
「しなくていい!」
 相変わらずこの主従は、と頭を抱えるパーシヴァルをよそに、はランスロットの服の裾を引っ張る。
「ねえらんす、お外いこう? きっと楽しいよ?」
「…………」

 捨てられた仔犬のような目で『お願い』されたランスロットのその後の返答など、言わずもがなである。しとしとと雨の降る街を、レインコートに身を包んだが上機嫌に歩いていた。ぱちゃぱちゃと水溜りを長靴で撥ねさせるの後を、咄嗟に保護できる位置を保ちつつランスロットとパーシヴァルが歩いていく。人気のない道で上機嫌にくるくると傘を回すは、時折傘から腕を出して掌に雨粒を受けてみたりする。そんなの様子を見て、パーシヴァルは呟いた。
「海を嫌う火竜のわりに、雨にはしゃぐのも不思議なものだな」
「雨や泉は元々慣れ親しんでいたから、ファフニールの本能よりも人の感覚が勝るんじゃないか? 幼い頃から活発な御方だったからな」
「……お前、今適当なことを言っただろう」
「なんだ、バレたか」
「お前は昔から妙なところで雑だな。普段はあれだけ様とかまびすしくしておきながら」
「俺は様のことを全て理解しているわけではないからな、憶測でものを言うしかないんだ。 ……全て解って差し上げられるなら、よかったのかもしれないが」
 苦笑したランスロットに、パーシヴァルは目を瞬く。この王女馬鹿極まる男の口から、『のことを全て理解しているわけではない』という言葉が出るとは思わなくて。けれどそれも考えてみれば自然なことで、ランスロットはを敬愛してもいるが同時に負い目も感じているのだ。騎士の誓いを捧げた主を守れなかった慚愧、半竜になってしまった王女への憐憫。の背負わされたものを見るたびに後悔と自己嫌悪は湧いて、けれど前を向いて歩いていくに対してそんな独りよがりの哀れみを感じることすら罪に思えて。
「面倒な男だ」
「そうだな、俺もそう思う」
 からりと笑ったランスロットは、誰もいない道でくるくると踊るように回るを眩しそうに眺める。
「今はこれでいいんだ。全て解らなくても、様は解ってほしいことを言葉にしてくれる。俺がそれを聞き逃さなければいい」
 らんすー、と手を振るに追いつくべく、ランスロットが足を早める。濃い青の傘を追いかけるように、パーシヴァルも歩調を早めた。
「……ところで、あれはどこを目指しているんだ」
「さあ……どこか目的地はあるようなんだが」
 ついてきてほしいと頼まれ目的も訊かずに頷くランスロットは盲目にも程があるだろうと思ったが、訊くには訊いたが『ひみつ!』と答えられ『そうか』とついて来た自分も大差ないのでパーシヴァルは口を閉ざす。がパーシヴァルたちを信頼しているように、パーシヴァルたちもを信頼しているということなのだろう。よく見ればは、時折メモのようなものを見つつあたりをきょろきょろと見回して進んでいる。この街に来るのは初めての筈だが、どこか宛てでもあるのだろうか。とある看板を見つけたがぱあっと顔を輝かせて、ぱしゃぱしゃと元気よく水を蹴りながらふたりの元へと戻ってきた。
「らんす、パーシヴァル、あっち! 行こう?」
「どうした、蝸牛でも見つけたか。それとも蛙か?」
「蛙は毒のあるものもいますから、触れる前に俺に教えてくださいね」
 見方を変えればなかなかに失礼な発言であるが、は気にした様子もなくにこにことパーシヴァルの手を引く。もう一方の手をランスロットと繋ごうとしたは、傘を持っていて繋げないことに気づくとハッとショックを受けた顔をした。今日はいつも以上にが表情豊かだなと思いつつ、「俺とは帰りに繋ぎましょうね」と微笑みかける。あっという間に笑顔に戻ったは、上機嫌のまま弾む足取りで二人を先導する。傘から出てしまった手が雨粒で濡れたが、パーシヴァルは何も言わなかったし手を振りほどくこともない。が足を止めたのは、小さな喫茶店の前だった。
「ここだよ!」
「喫茶店、ですか?」
「ここへ来たかったのか」
 が喫茶店を知っていたとは意外だな、とさりげなく失礼なことを思ったパーシヴァルだが、隣で目を瞬いているランスロットも似たようなものだろう。軒下で傘を閉じたはいそいそと雨合羽を脱いで裏返し、鞄から出した袋の中に仕舞った。落ち着いた雰囲気の小さな木造の建物は、パーシヴァルやランスロットにも好ましい印象を与える。ドアノブにの手が届くのを、一方は黙って、もう一方は微笑みながら待ったのだった。

「おお、お早い到着ですね、様!」
「ご無事の到着、何よりです」
「ちゃんとつけたよ! ヴェインもジークも、ありがとう!」
 に続き、カランカランとベルを鳴らして店に入った二人はそこにいたヴェインとジークフリートを見て目を見開く。ぱたぱたとヴェインたちに駆け寄っていくは、ランスロットたちを振り向いてにこっと笑った。驚いている二人を見て少し得意げに胸を張るを、ジークフリートが自分の隣の席へと招く。呆気に取られながらも席に着いたランスロットは、ニコニコと笑うヴェインに苦笑を零した。
「驚いたよ。三人で計画していたのか?」
「そうだぜ、ジークフリートさんが『今度の寄港先に良い喫茶店がある』って教えてくれたから、皆で行こうかって話してて」
「俺が案内しようかと思ったんだが、様が案内をやってみたいと仰ったのでな。簡単な地図をお渡ししたんだ」
「らんすとパーシヴァルにはないしょで、びっくりさせようって!」
「俺たちは知らんぷりして先に待ってることにしたんだ」
 もヴェインもにこにこと雨にも曇らぬ笑顔を見せ、ジークフリートも柔らかい笑顔を見せる。の隣へ腰掛けたパーシヴァルは、もちもちとした白い頬をつまんだ。
「俺を謀るとはいい度胸だ」
「むー」
「パーシヴァル、様の頬が赤くなったらどうするんだ」
「……貴様は本当に冗談が通じん男だな」
 ランスロットからひやりとした空気で牽制され、パーシヴァルはあっさりとの頬から手を離す。別に怒っているわけでも何でもないし、むしろいつも案内される側のが案内する側に回ったことに感心すらしているが。なんとなく、その満足げに膨らんだ頬をつついてやりたくなっただけだ。
「あのねパーシヴァル、これ!」
 メニューをパーシヴァルに差し出したが、とあるページをたしたしと指先で叩く。それを目にしたパーシヴァルは、かちんと凍り付くように固まった。
「パーシヴァルの好きな、いちごだよ!」
「……なぜお前が、それを知っている!?」
 咄嗟にからメニューを奪い、テーブルの反対側へと遠ざける。が指さしたメニューは文字だけのものだったが、いくつか目に入った単語からしてそれこそのような女児が好んで食べそうな苺のケーキやらパフェやらで。に話した覚えはないと眉を吊り上げて幼い頬を再びつまんだパーシヴァルに、は頬をぷくっと膨らませて抗議した。
「かくせてないもん! パーシヴァルがいちごすきなの、みんなしってるもん!」
「何だと!?」
「パーシヴァル、」
 とん、と肩に手を置かれる。それが誰かなどと、振り向かずとも判る殺気。咄嗟にを庇ったヴェインが、ひくりと頬を引き攣らせた。だが今更ランスロットの殺気に怯えるパーシヴァルでもない。むしろ恐怖による威圧はパーシヴァルの十八番であるというのは置いておくとして――肩の手を振り払おうと手を伸ばしたパーシヴァルを再び凍りつかせたのは、ランスロットではなかった。
「ランスロット、パーシヴァル。席につかないか」
 うっすらと笑むジークフリートの目は、しかし笑っていない。ヴェインはそそくさとメニューの影に隠れ、は呑気にヴェインと一緒に何を注文するか悩んでいる。ジークフリートの怒気がに向けられていないことを差し引いてもこの状況下でパフェを選ぶのマイペースさに慄きつつ、パーシヴァルとランスロットは大人しく席に戻った。ジークフリートに微笑ましく見守られながら注文を決めたは、にぱっと笑ってパーシヴァルにメニューを差し出した。あまりに無邪気な笑顔に毒気を抜かれて、パーシヴァルはメニューを開く。今更隠す意味もなくなったので、堂々と苺関連のメニューが載っているページに目を通した。
「パーシヴァル、いちごいっぱいでよかったね!」
「……お前は実に大物だな」
「らんす、パーシヴァルがほめてくれたよ!」
「良かったですね、様」
 褒めているわけではないと訂正するのも面倒になり、パーシヴァルは黙ってメニューに目を通す。しかし今更たちに知られて取り乱すほどの隠し事でもなかったと、大人気なかった反応を自覚して溜め息を漏らす。ランスロットは早々に二つも三つも注文を決めていて、「夕飯が入る程度にしとけよー?」とヴェインに釘を刺されていた。
「……ところで、誰から聞いた」
「?」
「俺が苺を好きだという話だ」
「えーとね、グランとルリアとビィくんがはなしてて」
「家臣共……」
「おししょーさまもいってたよ? あとシルヴァとククルとクムユとー、エルモートと、セルエルとヘルエスとー……」
「待て」
「ラカムとイオとー、アンナとダヌアとー、」
「待て」
「というか、グランサイファーの全員が知ってるんじゃないか?」
「そうだね!」
「そうだな」
「よかったな、パーさん! これから堂々とグランサイファーに苺を持ち帰れるぜ!」
「…………」
 俯いた顔を真っ赤にして震えるパーシヴァルの横で、が元気よく手を上げて店員を呼ぶ。やたらと微笑ましそうな顔をしてオーダーを取りに来た店員に、パーシヴァルは唸るように『特産苺のスペシャルパフェ』を頼むのだった。
 
180617
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