「弱い」
 鬼に殺されかけたを助けてくれたその人は、すっぱりとの弱さを断じた。そして、ぐいと強く手を掴まれて引き起こされて。そうしてその日、は冨岡義勇の継子になった。

「義勇さま、炭治郎さんからお手紙です」
「…………」
 ちらりとに視線を向けた義勇は、しかし炭治郎の手紙は読書を中断するほどの用ではないと断じたらしい。スッと本に視線を戻してしまったので、は困ったように眉を下げた。手紙を渡して出て行こうかと思ったが、今手紙を受け取る意思があったなら義勇は手だけでも差し出してくれていただろう。出直すしかないかと障子に手をかけただったが、すかさず「ここにいろ」と静かだが低い声が飛ぶ。そう言われれば部屋を辞すというわけにもいかず、は「はい」と返事をしてその場にすとんと正座をした。
「…………」
「…………」
 義勇は自らに与えられた屋敷にいる間でさえも、刀を常に自分の傍に置いている。に対してそれを要求することはなかったが、形だけでも継子の立場であるならば柱に倣った方が良いだろうともそうしている。とはいえ、は実質的には継子というよりも雑用係兼義勇との仲介役のようなものなのだが。を連れ帰った義勇は、の怪我が治ると屋敷の維持をに命じた。大きな屋敷を固辞して比較的小さな屋敷を拠点として与えられたものの、人を置くことを好まずさりとて頻繁に帰ってくるわけでもない義勇は自らの家とも呼ぶべき場所を持て余していたらしい。黙々と家事をこなす継子が常駐していると聞いて、義勇に用のある者は皆に言付けるようになった。も人付き合いは得意な方でないが、なかなか捕まらない上に人間関係の構築能力に難のある義勇よりはよほど良いと思われたのだろう。隠などはむしろ義勇がいると緊張するようで、出てきたのがだとあからさまに安堵した表情を見せるのだった。
(こわいひとじゃ、ないけれど)
 手持ち無沙汰になったは、義勇をぼうっと見つめる。羽織の裾がほつれているから、後で繕ったものと交換させてもらおう。今日は稽古をつけてもらえるだろうか。義勇が何も、に鬼殺の剣士としての才能を見出したわけではないとは解っていた。ただ、師が同じだけなのだ。鱗滝に「面倒を見てやってほしい」と頼まれていなければ、義勇とは出会ってすらいなかっただろう。それでも義勇は十分すぎるほどの面倒をよく見てくれていた。「剣士の才が無い」とばっさり切り捨てたものの、任務で死なないようにと稽古をつけてくれる。もっとも「任務に出たところで死ぬ」と、義勇の継子になってからは滅多に任務に出たことがないのだが。基礎を忘れないための自分の訓練だと言いながらも、義勇はに手加減なく訓練を課した。の弟弟子にあたる炭治郎を継子に迎えた方がよほど良いだろうにとは度々思ったものの、それでも義勇のすることだからと死に物狂いで鍛錬をこなした。
(今日の夕餉はどうしよう)
 義勇がいるのだから鮭大根は当然として、副菜はせめて毎食ごとに変えて出したい。後で買い出しに行かなければ、と思いつつもはただじっと義勇の部屋の隅で正座をして過ごしたのだった。

 鱗滝に頼まれていなければ、きっと出会うこともなかった。そう思っているのはだけだ。けれど義勇がそれを口に出すことはない。鱗滝も知らないことだ。これからも、口に出すつもりはない。本人は知らぬことだが、は義勇が助けられなかった子どもだった。鬼にされた彼女の父の頸を、義勇が斬り落とした。の他に生き残りはなく、家族の屍と血の海の中で重傷を負いながらも唯一呼吸をしていた。ただひとり生き残った少女が鱗滝に引き取られたと聞いたのは、それから暫く経ってからのことである。無論義勇が推薦したわけではない。本当に、ただの死にかけた子どもだったのだ。どういった経緯でそうなったのか、調べてしまった義勇は後悔した。身寄りを亡くした子どもがその先どんな目に遭うかなど、想像に容易かったはずなのに。いちいち掬い上げていてはキリがないと自身に言い聞かせ、目を向けずに来た。その結果が今似合わない制服を着て正座をしているの姿だ。路頭に迷い人買いに捕まり、人とは思えぬような扱いを受けて。それでも生き延びようとしてほうほうの体で逃げ出したを救ったのが、義勇にとっては皮肉なことに師の鱗滝であった。どういうわけか、は鬼殺の道を選んだらしい。ただそれも、死にたくないという一心で。育手に拾われた以上、鬼殺の剣士にならねば生きてゆかれないとでも思ったのか。幸か不幸か鱗滝が彼女に贈った厄除の面は心無い他の剣士候補に割られてしまい、例の鱗滝に恨みを持つ鬼には目をつけられずに最終選抜をやり過ごしたらしい。罪悪感ゆえかのことを気にかけるようになった義勇だったが、彼女の戦い方は惨憺たるものだった。なりふり構わずに生き延びようとするが故に、最も死に近い戦いを選ぶ。死中に活を求めるといえば聞こえはいいが、腕でも足でも全てを投げ打って生き残ろうとするその戦いを、義勇は見ていられなかった。年でいえば竈門兄妹とさほど変わらないはずである。それなのに、自らの命以外を顧みない戦い方のせいで彼女の身体は激しく損耗しているのだ。あれでは死に急いでいるのと変わらない。とうとう見ているだけではいられなくなった義勇が割って入ったとき彼女は殺されかけていたが、彼女はいつだって殺される寸前の瀬戸際に立ち続けていたのだ。
(――長くはない)
 どこまでも普通だった子どもは、尋常でない戦いで自らを摩耗させすぎた。おそらくこのままでは、一年と保たずに死ぬだろう。だから義勇は、彼女を戦いから引きずり下ろした。せめて少しでも彼女の身体が保つようにと、正しい呼吸の仕方や真っ当な戦い方を指南した。鱗滝に頼まれたのも本当だ。数少ない生き残りである教え子を、鱗滝は心の底から案じていた。自らの身を顧みることなく戦わなければ鬼に勝てないような弱い子どもを、鬼殺の剣士にしたことを悔いていた。には才能がない。才能はないけれど、剣士でいられないほどには弱くなく、形だけとはいえ義勇の継子になれるほどの実績を積んできた。にあるとしたらそれは剣の才ではなく、地獄で足掻いて生にしがみつく強い生存本能なのだろう。それはきっと鱗滝にも、解っていたはずだった。それでも鱗滝は彼女を送り出すしかなかったのだろう。鱗滝は育手でしかいられず、は鬼殺の剣士になるよりなかった。
「…………」
 ぱたり、と本を閉じる。炎柱の煉獄から借りた、呼吸に関する研究の写本だ。義勇の知識では、今にも崩れそうな彼女の身体を維持するには到底足りない。一方的な償いだが、せめて人並みの生活をに与えてやりたかった。
『  』
 意識のないを抱き上げたその時のことを思い出す。小さな手は、確かに義勇の着物の裾をぎゅっと握り締めたのだ。縋るように、頼るように。その時は確かに、救えたと思っていたのに。
「…………」
「義勇さま?」
 目の前に立って見下ろせば、がことりと首を傾げる。顔にあった傷は深いものを除きだいぶ薄れた。傷痕を薄れさせる薬を毎日忘れず塗るようにと言い付けているから、従順なはそれを守っているのだろう。深い傷の痕も、いつか癒えるといい。詰襟の制服の下にも、傷は大小様々広がっていたはずだ。そちらにもきちんと薬は塗っているだろうか。さすがにその下を暴く気はなかったが、単純に気がかりだった。薬がもったいないと、見えるところにしか塗っていないことを知ったのは薬の減りが遅いことに気付いたときだった。痕が残っても構わないなどと、まだ嫁入り前なのに。そう思って、思わずかぶりを振った。自分は鬼殺隊の剣士を前線から下がらせて、嫁に出そうとでもしているのか。あまりに馬鹿馬鹿しい考えだと、その考えを打ち消した。
「……髪が整ってきたな」
「はい、っ」
 思わず小さな頭に手を伸ばしてしまったことに、も義勇も驚いたように肩を跳ねさせる。義勇はただ、戦いでざんばらになっていた髪が短いながらも整っていることに気付いて安堵しただけだったのに。自分は今、に触れようとしたのか。その肩につかないくらいの長さの髪を、撫ぜようとしたのか。
「……すまない」
「い、いえ」
 何とも言い難い気まずさを払拭するように、の手から文を奪う。その時に白い指に手が触れて、心臓が跳ねそうになった。当然それを表に出すことはないが、みっともないと自分に言い聞かせその温もりを忘れようとする。
「……買い出しに、」
「?」
「買い出しに行くんだろう。俺もついて行く」
「あ、ありがとうございます、義勇さま」
 柱に雑用をさせるなど、という焦りが見えるものの、義勇の性格上断ったところで聞かないと知っているはどことなく嬉しそうに頷く。それが気のせいでなければいいと、義勇は思ったのだった。
 
190213
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