「冨岡さん、あなた馬鹿なんですか?」
 にこにこにっこりと、恐ろしいまでににこやかな笑顔が向けられる。蝶屋敷の一室で、義勇はしのぶに正座をさせられていた。
さんには療養が必要なんですよ? わかりますか? 療養ですよ、療養」
「…………」
「大事な継子だから私たちに診させているんでしょう? 毎回ボロボロになるまで叩きのめしてどうするんです。やっぱり馬鹿なんですか? 療養の意味、わかってます?」
「…………」
「だいたい、訓練にも程度と順序というものがあるでしょう。毎回柱との真剣勝負とか、療養が必要な人間でなくともやらせませんよ。さんを再起不能にしたいんですかあなたは」
「……手加減はしている」
「本気で殴っていたらそれこそ馬鹿です。適切な指導ができないなら、さんは私が引き取りますよ」
「断る」
「断る断らないの話じゃありません、だいたいろくに面倒も見れないくせにさんを継子にしてどうしたいんですか? このままじゃさん、潰れてしまいますよ」
「そこまで弱くはない」
「……はっきり言います。冨岡さん、あなたは人を育てることに向いていません」
 そんなことは知っていると、義勇は静かにしのぶを見返す。義勇との訓練で骨を折ったり内臓を痛めたりするをその度に蝶屋敷に連れて来ては、しのぶの説教を散々受けているのだ。本来なら数ヶ月単位で安静にさせなければいけない子どもに対して、義勇は一向にスパルタ教育を改めない。しのぶの怒りももっともであったが、しかしが義勇の継子である以上強制的に引き離すことはできないのも事実で。
「まともに養生させる気がないなら、せめて定期的に健診を受けさせてください。そのくらいのこともできないのなら、柱合会議にかけてでもあなたの管理責任を問います」
「……わかった」
 週に一度の健診を約束させられた義勇は、そのまま静かにの診察が終わるのを待つ。本来ならを治療と養生に専念させなければいけないことも、解っていた。呼吸や剣術については書きつけや道具を与えて不在時に訓練させてはいるが、それも本来は義勇がついて教えてやった方がいいことも。けれど義勇とにはその時間が無い。義勇はひとりで鬼を狩っている時間の方が長く、いつ死ぬとも知れぬ身だ。の生き急ぐ戦い方を直すことが先決で、それだけはせめて義勇が生きているうちにどうにかしたかった。
『焦っても仕方のないことでしょう』
 そう、しのぶに呆れた目で見下ろされたことを思い出す。
『私たちにはいつだって時間が足りませんから、気持ちはわかりますけど……私の継子も、大概ですし。けれど、焦ったところでどうにかなることでもないんです。心の治し方なんて、誰にもわからないんですから』
 ならば、それならば、義勇はどうしたらを救ってやれるのだろう。正しい戦い方を教えることの他に、義勇にできることなど。
『色々あるでしょう、話をするとか』
 軽い気持ちや単なる負い目で、を継子にしたわけではない。継子にした以上は、義勇の控えとして務めを果たせるように育てるつもりだ。けれど大切に育てて、その先にあるのはかつて人だった化け物との殺し合いだ。そんなことのために、義勇はを育てているのだろうか。誰よりも死に怯えている少女を、何よりも死に近い場所に追い立てるために。
「……、」
 の気配に気付いて、義勇は音もなく立ち上がる。が襖に手をかける直前に襖を開けてしまったものだから、目の前のはたいそう驚いた顔をしていた。あちこちを包帯でぐるぐるにされた姿に、義勇の眉間に皺が寄る。
「終わったのなら帰るぞ」
「は、はい」
 が抱えているのは、幾つかの薬だろうか。義勇の視線をどう捉えたのか、はゴソゴソと袋を探って義勇に包みをひとつ差し出した。
「なほちゃんたちがお菓子をくれたんです、義勇さまもどうぞ」
「……ああ」
 要らないから自分で食べろと言いかけたが、何故かしのぶの怒った笑顔が脳裏にちらついた。菓子の包みを受け取った義勇に、の目もとが僅かに緩む。鼻をつくほどの薬草の匂いと、包帯で制限されたぎこちない動き。決して、こんな姿にしたかったわけではない。義勇がに与えてやれるのは、こんなものだけなのだろうか。そうではないと思いたかったけれど、どうしてやったらいいのかもわからなかった。

 が訓練の後に熱を出すのは、いつものことだ。痛めた傷が熱を持って、一晩中苦しそうにしている。いつもなら様子を気にかけつつもの部屋には入らない義勇だったが、今日は熱に魘されるの枕元で看病の真似事をしていた。義勇に手をかけさせまいとが義勇を遠ざけていたのもあるが、本来はそれを良しとしていてはいけなかったのだろう。ろくに面倒もみれない、というしのぶの言葉は存外深く突き刺さっていた。
「……、っ」
 ぎゅう、と強く拳を握るの額に、幾筋もの汗が伝っていた。それを濡らした手拭いで拭き取るものの、苦しそうな表情は変わらない。痛み止めの効果が切れて、あちこちが痛みを訴えているのだろう。握り締めた掌に爪が食い込み血が滲んでいるのを見て、義勇はその手を掴んで開かせる。意識の朦朧としているは強く縋るように義勇の手を握り締めたが、それを振りほどいたりはしなかった。意味など無いかもしれなくとも、義勇がその手を握り返したところで傷が癒えるわけではなくとも、ただそうしてやりたかった。強く強く手を握り締めるの手は、義勇と変わりないほど傷だらけだ。火傷や毒で引き攣ったようになっている部分を、そっと親指の腹で撫ぜる。あの時義勇の羽織を掴んだ手とは、まるで別人のように変わってしまっていた。それでもこの手で、幾つもの頸を落としてきた。自分が死なないためだとしても、巡り巡って誰かの命を救ってきた。美しくはないかもしれないが、尊ぶべき手だ。義勇がいない間も怠ることなく鍛錬を重ねてきたその手は、の努力を静かに語る。掌を開いてマメや擦り傷の痕を見れば、どんな風に刀を握っていて、どんな癖がついているのかよく解った。言葉での意思疎通は不得手でも、こうして言葉以外の部分で理解することもできるのだ。言葉で教えることが苦手でも、やりようはきっと幾らでもあるのだと。
(握り方の癖が、俺と似ている)
 なりに、多くは語らない義勇の背を必死に追っていたのだろう。恩人だから従うという理由だけではなく、義勇の継子であることに真剣に向き合おうとしていたのだろう。才能が無くとも、形だけの継子だとしても、言葉の少ないの誠実さがその手によく見えた。
「…………」
 その手を取って、ただそっと握り締める。首筋や額に浮かぶ汗を、何度も拭った。義勇は師には向いておらず、には才能が無いけれど。にとって義勇は追うべき柱なのだ。きっとのことを思うのなら、それこそ蝶屋敷にでも預けた方がいいのだろうけれど。が応えてくれるから、自分が師でいて良いのだと思ってしまう。こんな無茶なやり方でも義勇への恨み言ひとつ吐かないの胸中には、いったいどんな感情があるのだろう。恨まれても憎まれても、生きる原動力になるのならそれでいいと思っていた。一方的な義勇の言動に、辟易とした様子も見せず従って。はそれで良かったのだろうか。
「話、か」
 いつだって足りないのは時間だ。も義勇も人間で、限りある命で。けれどしのぶの言う通り、焦ったところで得られるものなどきっとないのだろう。ありふれた少女だったは、どこにもいない。義勇は鬼殺の剣士としてのに向き合わなければならないのだ。本人すら忘れてしまっている血の海を、義勇だけが覚えているとしても。それでもは、自分の意思でここにいる。何を与えるべきか、何を与えられるのか、考えたところで答えは出ないけれど。それでも与えたいと思う気持ちは、には伝わっているようだった。義勇はを、正しく導けているだろうか。その問いにいつか、笑顔が返ってくることを願った。
 
190216
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