土産だ、と言って渡されたのは藤の花を模した飾りのついた簪だった。最近の義勇はいつも任務帰りに藤の花に関わりのある小物をにずい、と突き出す。藤の香り袋や、藤の模様が掘られた櫛に藤色の羽織。畏れ多くもあったが、が義勇の土産を大事に仕舞い込んでいると眉間の皺が五割り増しになるので、大切に使うことにしていた。選ぶものが藤の花ばかりなのは、鬼が藤を嫌うからだろうか。藤そのものではないから鬼避けになるわけでもないが、鬼殺隊の柱である義勇が真っ先に思い浮かべることができた花が藤なのだろう。「女の子は何が好きなのかって訊かれたの」と、蝶屋敷で会った蜜璃はにこそっと耳打ちをした。「花とか甘い物とかが良いんじゃない? って答えたんだけど、本当に花ばっかり贈ってるのね」と蜜璃は遠慮がちながらも可笑しそうに笑っていた。しのぶなどはバッサリと「馬鹿の一つ覚えってやつですね」と言っていたが、それでも「良かったですね」と微笑ましそうにしてくれていた。近頃は隠たちの間でに「藤の君」というあだ名がついてしまったらしい。その単語を初めて耳にしたとき義勇はしばらく何のことかわからず首を傾げていたが、何拍かの後ハッとしたように目を見開いていた。それでも未だに土産は変わらず藤の花なのだから、しのぶたちは笑いを堪えて震えていたのだが。少しの気恥しさはあったが、その何倍も嬉しいと思った。
「そういうわけなので下手なことはやめておきなさいって、言ったんですけどね」
 の隊服が新しくなっていることに言及したしのぶは、経緯を聞いて縫製係の愚行を鼻で笑った。例の胸元の開いた隊服は、初回は別の縫製係が担当だったために何とか回避したのだが。久々の任務で隊服が破けてしまったために、とうとうゲスメガネと悪名高い前田の世話になってしまった。前田が「に妙な真似をしたら義勇が黙っていないからやめておけ」というしのぶの忠告を意にも介さず作った破廉恥な隊服は、受け取りについてきた義勇によって即座に無数の布切れと化したのだった。自分はスパルタなくせに過保護、というのは最早隠たちが義勇とのことを語るときの定型句であった。
「そういえばさんの脚の仕込み刀も、冨岡さんが着けさせたんでしたね。さんも腕力のない女性ですから、私を参考にしているんでしょう」
 は義勇にもしのぶにもなれないけれど、自分に合わせて長所や武器を取り入れることはできる。どちらかと言えば非力なしのぶの戦い方の方が、に向いていると考えたのだろう。無論水の呼吸の修行も手を抜くことはないが、義勇はが戦いで生き抜くためのあらゆる方法を共に考えてくれていた。
「今回の任務では、自分から負った怪我は無いと聞いていますよ。感心です」
 健診の終わりに、しのぶはにこやかに笑った。義勇やしのぶたちのおかげだとわたわたと慌てるに、しのぶは目を細める。健診ついでにアオイたちと同じ訓練を受けさせているが、はよくついてきていた。義勇のスパルタに耐えているだけあって基礎体力は高いので、気がかりがあるとすれば今まで負ってきた怪我の後遺症だった。体に異常がないか定期的に診てはいるものの、どこで足枷となるかわからない古傷が多い。中でも脇腹を深く抉られたような痕は、いつのものか覚えていないのだそうだ。まともな手当を受けられなかったようで、今もその傷は生々しく残っている。その傷の形状からして、きっと鬼に負わされた傷だろうとしのぶは思っているけれど。時透とはまた異なっているが、も記憶の一部を失っている。育手である鱗滝に出会うまでのことを、ほとんど覚えていないらしい。ただ死ぬのが恐ろしかったということだけは強く強く心に刻み込まれていて、その想いだけがずっとを突き動かしてきた。
「義勇さまが拾ってくれたとき、とても安心したんです。鱗滝さんが拾ってくれたときと、同じ安心でした」
 何よりも怖い「死」からを掬い上げてくれた鱗滝と、同じ安心を与えてくれた義勇。弱いは今まで生き延びるために色んなものを投げ出してきたけれど、義勇はそれらを一つ一つ拾い上げての手に戻してくれた。ただ見ていられなかったからだとしても、空っぽなところの方が多いの心に義勇の優しさはとても暖かくて。だから義勇に応えたかった。死に急ぐを心配してくれる義勇や鱗滝やしのぶたちに、どうにかして安心を返したかった。義勇に感じている恩義をたどたどしくも一生懸命語るに、しのぶはうんうんと頷く。義勇も多少は訓練の仕方を改めたようで、相変わらずのスパルタではあるが蝶屋敷にが担ぎ込まれる回数は減った。とはいえ根本的なところは変わらずは強迫観念に近いほどの死への恐怖を抱いたままで、義勇は義勇で真剣勝負となれば容赦なくを叩きのめすところは変わりないのだが。
「慎重に、着実に変わっていきましょう。きっとそれしかないんです」
 しのぶの言葉に、は真剣な面持ちで頷く。の存在がカナヲにも良い刺激となるといいが、としのぶは自らの継子に思いを馳せたのだった。

「え? は? 何? 同棲? 二人きりで?」
 任務帰りに直接を迎えに来た義勇は、聞こえた大きな声に足を止める。炭治郎も含め、那田蜘蛛山での負傷者が蝶屋敷に世話になっているはずだが。こんなに大きな声を出せるのなら元気に回復して何よりだと、そう義勇が思ったかは定かではないが、義勇の鴉はそんな趣旨のことを口にした。
「柱と継子ってだけで女の子と同棲? 羨ましい! 妬ましい!」
「ど、同棲とは、違うかと、」
「だって一緒に住んでるんでしょ!? ちゃんがご飯作って家事して、同じ屋根の下で暮らしてるんでしょ!? あ゛ーッ! 羨ましい!!」
 聞こえてきた単語と、の声。汚い高音で叫ぶ少年は自分とのことを話しているのだと、義勇は悟った。さっさとを連れ出して帰ろうと思うものの、間が悪くしのぶに呼び止められる。それでも少年の声は筒抜けで、否応なしにその叫びを聞かされるハメになった。
「妬ましい恨めしい! こんな可愛い女の子と同じ屋根の下で二人っきりで修行とか許せないだろ!! 断じて許さん!!」
「えっと、義勇さまにそんなつもりはないですし、それにあまりお帰りにならないですし……」
「えっ!? 君みたいな女の子を家にひとりでほっといてるの!? それはそれで許せない、神様仏様不公平すぎる!! おかしいだろこの世の中!! どうやったらちゃんを家にひとりで置いとけるんだ!!」
 しのぶにも少年の声はしっかり聞こえているようで、肩を震わせながら義勇にの健診結果を告げるしのぶは必死に笑いを堪えている。ダンダンと床を拳で打ち付ける音と、ずびずびと鼻を啜る音。
「絶対そいつむっつりだよ! 許せない許せない!! ちゃんが炭治郎の姉弟子って聞いて、お近付きになれるかと思ったのに! 更にその兄弟子は柱で! ふたりで同棲してるとか! ひどいよ! あんまりだ! 世の中ひどすぎるだろ!!」
「我妻さん、落ち着いて……」
「うううありがとうちゃん……」
 ヂーンと汚く鼻をかむ音がしたところから察するに、気の弱いは我妻と呼ばれた少年にちり紙を差し出してやったのだろう。散々な言われようと隠しもしない妬みに、しのぶは最早声を出さないだけで心底可笑しそうに笑っていた。
「むっつりだそうですよ、冨岡さん」
「ひどいのはアレの頭の中身だ」
 えぐえぐと涙声で「女の子と同棲する柱」への恨み言を吐き出し続ける少年と、おろおろと声をかける。さっさと置いて出てこいと思うものの、がそういう性格でないことも知っていた。
「――に迷惑をかけないでください!」
 スパンッと小気味良い音で、反対側の襖が開いたことを知る。キリッとした声の持ち主が、少年を部屋から引きずり出していく音がした。正確に言うと、まだと同じ部屋にいたいとごねる少年と、アオイの容赦ない罵倒の応酬が段々と遠ざかっていったのだが。
「では、私はこれで」
 しれっと良い笑顔を見せて、しのぶは去っていく。この状況でと顔を会わせろというのもひどい話である。けれどどうしようもなく、義勇は襖に手をかける。せめて何も聞いていなかった体でいようと、義勇は無謀な決意を固めたのだった。
 
190216
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