は、どうして怖いのに戦えるの」
 伏し目がちに問うアオイに、はぱちぱちと目を瞬いた。アオイもも、鬼が怖い。怖くて怖くて、堪らない。それでもが鬼に立ち向かえるのはどうしてかと、アオイは問うた。知りたかった。あんなに気が小さくて、善逸と同じくらいビビりで、人にすら怯えて、刀を握っているときですら顔色が真っ青なのに。答えが得られれば、もしかしたら、自分を勇気を持てるかもしれないと。あまり自分の心情を語ることを得意としていないは、それでも一生懸命言葉を選んでいるような表情で口を開いては閉じていた。アオイが包帯を巻いたばかりの脇腹に、無意識なのだろうか手を伸ばす。そこを軽く押さえつけるように手を当てたまま、はアオイに視線を向けた。
「鬼は、怖いから……とっても、怖いから……いなくなると、ちょっとだけ安心する」
「……え、」
「こわいもの、いなくなると安心するから……でも、ひとつなくなっても全部じゃないから、全部なくなるまでがんばったら、安心する気がする……?」
 怖いから、戦う。怖いものを無くしてしまいたいから、戦う。思いもしなかった答えに、アオイは言葉を失う。単純なのか、欠けているのか。鬼という存在はにとっては死と恐怖そのもので、それを排するためには鬼を殺し続けるのだ。この世界から、鬼がいなくなるまで。人一倍怪我が絶えなくて、けれど人一倍鬼を狩ってきた。憎悪でも怒りでもなく、恐怖だけで鬼を屠ってきたに、アオイは何も言えなかった。

 鬼を見る度、鬼のことを考える度、ざわざわと心が落ち着かなくなる。狭霧山で初めて鬼を見たときもそうだった。震えが止まらなくなって、さあっと全身が冷えて、嫌な汗が噴き出して、息がうまくできなくなる。そして、脇腹の傷が脈打つように熱を持つ。きっと記憶にない過去で鬼に襲われたことがあるのだろうと、鱗滝は言っていた。記憶はなくとも体が、傷が、そのときの恐怖を覚えているのだろうと。怖くて怖くてたまらなくなると、目の前が真っ赤に染まる。視界が滲んで、それでも鬼の恐ろしい姿がそこにある。形を伴った死が、近付いてくる。その恐怖から解放されたくて、怖いものをなくしてしまいたくて、だからは鬼の頸を落とすのだ。恐ろしく残忍な鬼が、の命を奪う前に。何度でも何度でも、ただ、怖いものがなくなるまで。
「――もういい、
 ガッと腕を掴まれて、我に返る。びくとも腕が動かないほどの力で刀ごとの腕を抱え込んでいるのが義勇だと、気付くまで少し時間がかかった。ぜぇはぁと、自分が荒い息を吐き出したのが他人事のように感ぜられた。ひゅうひゅうと、喉が軋むように鳴っている。
「もういい、よく戦った。鬼はもういない、」
「……ァッ……はっ、ぁ、」
「刀を下ろしていい。怖くないから、大丈夫だ」
「……ぎゆッ、さま、」
「もう、全部終わった」
 その言葉で、張り詰めていた糸が切れる。どっと崩れ落ちるように地面に膝をついたの目の前で、灰のように崩れ落ちていく鬼の体。崩壊していく中でもめった斬りにされた傷ははっきりと見えて、義勇に止められるまで自分がそれを斬りつけていたことをぼんやりと自覚した。地面は湿っていて冷たい。心拍数を限界まで上げていた心臓ばかりがバクバクと熱くてうるさくて、安心したせいで呼吸の集中が切れて過呼吸になってしまう。きつく刀を握り締めていた手は、柄から手を離そうとしても指がうまく動かなかった。柄を握る形のまま固まってしまった指を一本一本丁寧に伸ばすようにして、義勇が掌を開かせてくれる。返り血なのか自分の掌の皮膚が破けたのか、赤黒い色に汚れてしまった柄が悲しく思えた。
「大事ないか」
 こくこくと、は首を縦に振る。技を使った後特有の凄まじい疲労感と体の軋む感覚はあったが、大きな外傷はない。危うい呼吸の音を繰り返すの背中に触れ、ゆっくりと息を吐くようにと言い聞かせる。無理をさせたかと思う反面、拾ったときよりも遥かに成長したに確かな誇らしさもあった。義勇が今回を伴って任務に赴いたのは、指令による半強制的なものでもあったが。群れを成す鬼という異常な事態に柱である義勇が呼ばれ、そこにいたのは他の鬼を操るという厄介な血鬼術を使う鬼で。操られた鬼は自らの血鬼術を使えないという足枷があったものの、そもそもの身体能力が人間とは違う上に数が多かった。操られた鬼をに任せ、義勇は鬼の長とその護衛をさせられていた精鋭たちの頸を斬った。戻ってきたときには、操られていた鬼たちはもうほとんどが死んでいて。突然血鬼術が解けたことにより混乱し状況が掴めていない鬼もいたが、は容赦なくその頸に刃を振るっていた。止まらないというよりも、止まれないのだろう。一度決壊した水は、行き着くところに行き着くまで止まらずにあらゆるものを押し流す。普段はぼうっと凪いでいるも、堰を切って荒れ狂う激流になるのだと。久々に目にしたの戦いはやはり、危ういまでに激しかった。
「……、」
 全集中の呼吸を半ば無理矢理に止めさせたせいか、なかなかの呼吸は落ち着かない。背中をさすってやったりするものの、はうまく呼吸を落ち着けられないことに焦ったのかぽろぽろと泣きながら自分の口を手で押さえ付けて塞ごうとする。その手首を掴んで無理に塞ぐのを止めさせ、義勇は少しの躊躇いの後にの頭を自分の胸元に抱え込む。驚いて離れようとしたの後頭部を押さえてがっちりと抱えたまま、背中をぽんぽんと繰り返し軽く叩いた。混乱が一周回って冷静になったようで、の呼吸は次第に落ち着いていく。いつまでも甘えていられないと焦ったのか立ち上がろうとするを押し留め、暫く胸元に顔を埋めさせたままにさせていた。互いに言葉はないが、静寂の中に互いの存在を確かめる。遠慮がちにぎゅ、と義勇の羽織を掴んだに、義勇は確かな安堵を覚えたのだった。

「あ、あのっ、義勇さま、」
「…………」
「その、自分でやりますから、痛っ、」
 藤の紋の家で、井戸を借りた義勇はざばざばと容赦なくに水を浴びせかけていく。鬼の血なのか本人の血なのかわからない赤黒い汚れを、水を叩きつけるようにして落としていく。切り傷や擦り傷に水が滲みて痛むようでは手桶を自分で持とうとしたが、義勇はそれを躱しての首根っこを掴む。頭からざばざばと水をかけると、押し殺した悲鳴が上がった。
「医者が必要な怪我はあるか」
「な、ないです、」
「自分で手当てが難しい傷は」
「……ない、です」
「…………」
「…………」
「…………」
「背中を少し切りました……」
 義勇の眼光に負けたは、大人しく白状する。その瞬間ざばっと水を背中にかけられて、隊服越しとはいえとうとうは悲鳴を上げたのだった。
「血を落としたら背中を診る。手拭いを借りてくるから、他に気になるところがあったら洗っておけよ」
「……は、はい、ありがとうございます」
 びしょ濡れのに手桶を押し付けて、義勇は踵を返す。ぽたぽたと水滴を滴らせながら、はそれを見送ったのだった。
「…………」
 を戦わせていいのか、義勇は今でも考え続けていた。鬼殺隊はただでさえ人員不足なのに、曲がりなりにも戦える人間を退かせることには躊躇いがある。定期的に健診を受け、呼吸の修行や戦い方そのものの見直しをすることで壊れかけていた体はなんとか持ち直しているのだ。けれど、このまま戦わせていて良いのか。恐怖から振り上げた腕を下ろせずにいるままで、本当にいいのだろうか。義勇がのためにしてやれることなど、無いのかもしれない。幸せになってほしいのなら、剣士を辞めさせてしまった方がいいのかもしれない。根底からして剣士に向いていないのだ。それでも鬼を殺す意志があったから死なないようにと鍛えてきた。も必死に応えて、成長しようとしている。鬼狩りとして生きる覚悟を、とっくに固めてしまっている。恐れはあるが、迷いはない。それでも、知らないからこそ人並みの幸せを求められないのではないかと、義勇ばかりが悩んでいる。
(羽織と、簪)
 いつも身に付けていた義勇の土産を、鬼殺の任務に向かうと聞いて置いてきた。汚したり壊したりしてしまったら悲しいからと、隊服だけを身に纏ったは小さく笑った。それだけ義勇に貰ったものを大切にしてくれていると思う一方、中途半端な与え方しかできないことに罪悪感が募る。義勇は今でも、普通に生きていたはずのの未来を想像してしまうのだ。今となっては義勇しか知らないことだからこそ、自分が与えてやらなければと思っていた。鬼狩りとしての生き方しか知らない、帰り道を忘れた子ども。思い出せば、帰りたいと願うのだろうか。そのとき義勇は、の望むものを与えてやれるのだろうか。
 ――義勇さま、
 の家族を守れず、の父を殺し、を救わなかった。戻れる道はないと解っているから、進む道はせめて守ろうと思っていた。義勇はを、どこへ連れていくつもりでいたのか。義勇の背中を一生懸命追うの行き先など、義勇と同じに決まっている。地獄へと向かう道を必死についてくるの手を、きっと振り払うべきだった。そう思うばかりで手放せないのがきっと、に与えられた弱さに違いなかった。
 
190221
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