「少しでも嫌だと感じたら、嫌と言え」
「は、はい」
 の頬を両手で包み込んで、義勇は真剣な表情で告げた。日頃容赦なくを投げ飛ばしたり叩きのめしたりする義勇が、壊れ物を扱うかのようにに触れる。そんなふうに優しくしなくても大丈夫だと知っているはずなのに、世界でいちばん大切なものに触れるかのように扱われて、胸の奥がくすぐったくて、どぎまぎとした。義勇の手が頬や髪を撫でるだけで、心臓が飛び跳ねるようにうるさく脈動を打つ。火のついたように赤くなる頬を親指の腹ですり、と撫でた義勇は、笑みにも似た表情を浮かべた。義勇のすることで嫌なことなどあるはずもないけれど、義勇もそれは解っているのだろう。むしろがそうだからこそ、本意でないことや怖いことを我慢して呑み込んでしまうのではないかと、そこに義勇の不安が見えた気がしては従順に頷いた。
「……っ、」
 ほとんど無かった距離を詰めて、義勇がの唇を奪う。息を止めて固くなってしまうの背中に回された手が、落ち着かせるようにぽんぽんと軽く背中を叩いた。おそるおそる目を開ければを見つめていた義勇と視線がかち合って、ぼやけるほどの近さに耳が熱くなる。互いに薄い寝間着で、発熱したように体温が高くなってしまっていることは義勇には筒抜けだろう。けれどを抱き込む義勇の体もほんのりと熱を持っていて、自分だけではないのだと思えば何故だか嬉しく思えた。はむ、と形を確かめるように義勇の唇が何度もの唇を食む。どうしたらいいのかわからずにただ胸元で握りしめていた手を、義勇がそっと包み込むように握った。丁寧に握りこぶしをこじ開けた義勇は、指を絡めるようにしての手を握る。指の先までドクドクとうるさい脈が、義勇の脈と混ざり合うように落ち着いていく。きゅっと義勇の手を握り返したに、義勇は目を細めた。
「ん、」
 鼻に抜けるような声が漏れて、少し恥ずかしい。ちろりとの唇を舐めた義勇は、舌先で唇をつつく。戸惑いながらも口を開ければ、それで正解だったようでかぷりと深く食まれた。後頭部をしっかりと抱え込まれて、呼吸ごと呑み込むように深く口づけられる。もう上がりようがないと思っていた熱が更に上がって、頭がくらくらとした。唯一のよすがであるかのように義勇と繋いだ手に縋るを、義勇は確りと抱き締める。睦言のひとつも囁けない代わりとでも言うように、義勇はと触れ合うときにを固く抱き締めて離さなかった。舌を絡めて愛撫する一方で、指先で喉元や首筋を擽るように撫ぜる。鍛えようのない場所の皮膚は薄く、感覚も鋭敏なようではくすぐったそうに目を細めた。幾つも残る傷の痕を、ひとつひとつ丁寧になぞっていく。が足掻いて、必死に生き残ってきた証。同時に義勇の罪の証でもある。慈しむように撫でたところで、癒えるわけもない。それでも触れずにはいられなかった。
「……っは、」
「苦しいか」
「だ、だいじょうぶ、です、」
 いくら口付けを交わしても足りないほどにその唇を食むことは心地良かったが、肩で息をするを解放し義勇はその口元を拭った。宥めるように触れるだけの口付けをし、頬や額にも唇で触れる。だんだんと唇で触れられる場所が下がっていき、首筋や鎖骨に口付けが落とされる。その度にはふる、と瞼を震わせて、堪えるように義勇と繋いだ手に力を込めた。義勇の手がの寝間着の釦にかかり、脱いだ方が良いのだろうかと慌てて釦を外そうとしたを義勇が制止する。「……こういうことは俺にさせろ」と少し視線を逸らして言った義勇に、はぱちりと目を瞬いた。きっとそれは情交における作法だとか機微に関わるものかもしれないと、知らないなりに義勇の言葉の意味を噛み砕こうとする。義勇の手がぷちぷちと釦を外していく間どうにも落ち着かなくて、繋いでいる方の手をにぎにぎとしてみたり手の甲を指ですりすりと擦ったりしてしまう。真顔になった義勇は、ほとんど無自覚であろうその行為が情欲を煽るものだと言うにも言えずの手を握り返す。釦を全て外して肌蹴させれば、傷の多い肌が露わになった。反射的に寝間着のシャツの合わせを引き寄せて隠そうとしてしまったは、小さく「申し訳ありません」と呟いて俯いた。滑らかな肌とは言えない、傷だらけの体を義勇の目に晒すことを恥じているのだろう。薬を塗ることで傷痕は薄れているが、それでもあまりにも痕が多い。特に脇腹の傷はほとんど肉が抉れているような凄惨な痕で、義勇がその傷の経緯を知っていることなど知らないは怯えるように震えていた。このまま行為を押し進めることも、いっそ今ここで義勇の咎を明かしてしまうこともできるだろう。けれど義勇は、自らも寝間着を脱いでの手を取る。よく鍛えられた胸や腹に小さな手を導いた義勇は、自分の傷跡に指を触れさせてに告げた。
「……この傷を、お前は醜いとは思わないことを俺は知ってる」
「ッ、はい……」
「俺も同じだ」
 の脇腹の傷に、そっと義勇は手を伸ばす。はふるりと震えたが、拒絶はしなかった。鬼と化した父親に喰いちぎられて、手当ても受けられないままに売られて、劣悪な環境で労働を強いられて。覚えてはいなくとも、尋常ではない状況で受けた傷であることは解っているだろう。義勇だけが知っている、義勇だけの罪だ。どうして醜いなどと思えようか。けれどそんな理由を、今ここでに言えるわけもない。それでも、そうでなくとも、義勇はの傷痕を醜いとは思うまい。その全てが、義勇のせいだとしても。その負い目がなければ、違うように映ったのかもしれなくとも。過去は変わらず、目の前にある事実も変わらない。が今日まで死に物狂いで生きてきたという事実の尊さもまた、変わらないのだ。義勇の肌を、躊躇いがちにの指がなぞる。でなければ、そんな接触を望みはしない。だけが、義勇の傷に触れていてほしい。その意味をが知らずとも構わなかった。そっとの手が義勇の傷をひとつひとつなぞる度に、ずくりと高揚にも似た浅ましい欲を覚える。きっと義勇は負い目を好意に、罪悪感を庇護欲に錯覚して自分の心を庇っているだけだ。自らへの処罰感情を、の想いに応えるという大義名分を得て愛情にすり替えているだけだ。それでもは、義勇の安息の在り処だ。愛しいのは本当だ、その理由がどんなものであろうと。笑顔を見れば胸が暖かくなって、泣き顔を見れば泣き止ませたいと願う。いろんな表情を知りたくて、義勇の目の届く場所にいてほしい。償った気になって、贖った気になって、なんと幼稚な恋だろう。幸せにした気になって、それでもまだ足りないと。という少女は既に、としての人生を終えている。今となってはただのだ。世界から弾き出されてしまったその存在を覚えているのは義勇だけで、すら忘れてしまっている彼女はきっと義勇を責めるだろう。義勇の胸の奥で、義勇だけが知っているが義勇を罰し続ける。が幸せそうに笑ってくれるほどに、その罰は重くのしかかる。きっとそれが義勇の望むものだ。この優しい手が触れるたびに、義勇の心の柔いところが痛む。それがきっと、義勇との正解なのだと。愚にもつかぬ戯言ではあるが、義勇は解っていてその答えを選んだ。
「義勇さま」
 互いの傷に触れ合ったの目には、もう怯えの色は無い。乏しい表情筋を緩めるを、義勇はそっと褥に押し倒した。寝間着の下服を取り払って、下腹部から股下までを覆う下着をずり下ろす。脚を膝で割って覆い被さると、羞恥に頬を染めながらもは義勇を真っ直ぐに見上げた。全集中の呼吸を使わねば、鬼の頸も切れない小さな体。義勇も決して大柄な方ではないが、剣士としての実力差を抜きにしても簡単に制してしまえる。大切に扱わなければならないのだと自身に繰り返し言い聞かせ、肌を重ねるように抱き締める。厳しい訓練に耐えながらも女の体としての柔らかさを残した、温かい体。重なっているところ全てから、の緊張が伝わってくる。じんわりと汗が浮かぶ肌はしっとりと吸い付くようで、義勇はしばらく素肌同士を重ねてを抱き締めていた。温かくて、ずっと触れていたくなる。そういえば情交は「ひとつになる」とも表現されるのだったと、益体もないことを考える。ひとつになってしまえば、こんな愚かでつまらない男だということも全てに知られてしまうのだろうか。溶け合う体温が、義勇の欺瞞を暴くのだろうか。そんな馬鹿げた考えを頭の隅に追いやって、緊張に強ばった体をそっと暴いていく。どんなに大切にしたところで結局義勇がを汚すのだ。せめて苦痛のないようにと、義勇は殊更優しくの肌に触れたのだった。
 
190303
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