恐ろしくなるほどに、ぼうっとした子どもだった。の日輪刀を見下ろして、義勇はここ数日のの様子を思い返す。怪我や疲労のせいもあるのかもしれないが、とにかく反応が薄く何を言っても従順に頷くばかりで。鉄砲水のような勢いで鬼に斬りかかる姿ばかり見ていたから、今のは別人のように思えた。けれど鱗滝から聞いていた話からすると、これがいつものの姿なのだろう。臆病で、少しぼんやりとしていて、素直な子ども。寂しがりで照れ屋だとも鱗滝は言っていたが、生憎そんな面を目にするほど義勇はとの距離を詰めていなかった。
(……花浅葱)
 水の呼吸への適性は、確かにあるのだろう。何度か折っているらしいその刀は、静かに義勇の顔を映していた。あの時義勇が割って入らずとも、はあの鬼の頸を斬っていただろうか。それでもあれ以上、傍観していることはできなかった。見るからに怯えながらも、反射的に鬼に飛びかかって。烈しさを宿した瞳は、ただ鬼の頸だけを見ていた。鬼が絶命しその体が崩れ去ると、ぼうっと凪いだ瞳に戻って。安堵したように、少しだけ目元が緩む。鬼が目の前から消え去ったその瞬間にしか、安息を覚えられない子ども。義勇の行動が、そんな今を招いたのなら。それはきっと、とても罪深いことなのではないだろうか。
「あら、鬼狩り様。こちらにいらしたのですね」
 藤の紋の家人が、義勇の姿を認め歩み寄ってくる。差し出された皿いっぱいに乗っていたのは、おはぎだった。彼岸が近いから作りすぎてしまったのだと、ころころと笑った。
「女の子の方の鬼狩り様とご一緒に、召し上がってくださいな」
 断るに断れず受け取った義勇に笑いかけて、去っていく。の刀とおはぎの皿を持ったまま、義勇は暫し途方に暮れたように立ち尽くしたのだった。

「あ、ありがとうございます……」
 ずいっと差し出された山のようなおはぎを、はおそるおそる受け取る。むっつりと眉間に皺を寄せている義勇は、おはぎの皿を受け取ったまま動かないを見下ろして眉間の皺を深くした。まだ何度かしか顔を合わせていないが、どうにも義勇は決して不機嫌でこういう顔をしているわけではないらしい。義勇の鴉が言うには、もらった大量のおはぎに困ってにやったはいいが、手をつけないを見てもしや嫌いだったかと案じている表情なのだそうだ。微妙な表情で鴉を見遣る義勇に、はそうなのかと驚いて「嫌いじゃないです」と首を振る。ただ、単に腕が折れているせいで持ち上がらないのだ。今まではこの家の子どもたちが重湯や粥を飲ませてくれていたから、固形物を口にすること自体久しぶりで。鴉からそれを聞いた義勇は、眉を寄せるとおもむろにおはぎをひとつ手に取った。そして、口を開けろと言う。
「むっ」
 小さく開かれた口に、容赦なく突っ込まれたおはぎ。おろおろと義勇を見上げるだったが、その深い青の瞳が考えていることはわからない。咀嚼を思い出すようにはぐはぐとおはぎを噛んで、飲み下す。甘いものを口にしたのはいつぶりだろうか。自然と、頬が緩んで。
「もっ」
 まだ半分以上残っているおはぎを、押し込まれる。むぐむぐと口を動かすを見下ろして、義勇は二個目を手に取った。まさかと思い見上げるも、義勇はそれを自らの口に運ぶことはなくが食べ終わるのを待っていて。
「むぐっ」
 案の定というべきか、二個目のおはぎを押し込まれる。病み上がりには少し重いけれど、甘くて、おいしかった。目元を緩めておはぎを食べるを感情の読めない瞳で見下ろす義勇は、餡子が手に付くことも構わず三個目を手に取る。結局おはぎを全てに食べさせた義勇は、どこか満足気な様子で皿を返しに部屋を後にしたのだった。

「水柱様、」
「……その呼び方は止めろ」
 が「水柱様」と呼ぶたびに眉を寄せていた義勇は、とうとうそれを止めろと口にした。では何と呼べばいいのだろうと首を傾げるに、「名で呼べばいい」と言って視線を逸らす。義勇さま、と呼んだに、義勇は用を問うように視線を戻した。
「義勇さまは、優しいです」
「…………」
「ありがとうございます、」
「……っ、」
 ザッと立ち上がった義勇は、そのままどこかへと行ってしまう。気に障ることを言ってしまったのだろうか、と途方に暮れるに、二羽の鴉が寄り添ってくれて。
「……義勇さま、」
 謝らなければ、とは身を起こす。ずきんと痛んで崩れ落ちた右脚に、そういえば折れていたのだったと思い出した。左脚も刺傷やら裂傷やらで痛むけれど、動けないほどではない。右脚を引き摺りながら、這うようにして義勇の閉じた襖に手をかける。慌ててついて来る鴉たちが引き留めるようにの髪を引っ張ったが、は鴉を頭に乗せたまま廊下に這い出た。壁に手をついて、どうにか立ち上がる。そのままよろよろと歩き出したは、ぐっと後ろから首根っこを掴まれて。
「何をしている」
「……あ、義勇さま」
 焦ったような、声だった。そのまま部屋に戻されて、布団に放り込まれる。溜息を吐いて「何をしていた」と問う義勇に、謝りたかったのだとは答えた。驚いたように目を見開いた義勇に、「申し訳ありません」と頭を下げる。理由もわからないのに謝ることほど不誠実なことはないと知っていたけれど、にはそれしかできなかった。
「――『待て』もできない駄犬ではないか」
「……伊黒」
 突然降ってきた誰かの声に、は顔を上げる。縞模様の羽織と、首に巻きついた蛇。ぐるぐる巻きの包帯に隠れた口を開いて、伊黒と呼ばれた青年はネチネチと言葉を連ねた。
「ようやく後進を育てる気になったかと思えば、駄犬なぞを拾って何になる。もっとマシな同門はいなかったのか」
「…………」
「それが回復するまで、半年というところか? そこから鍛錬をして使い物になるのは、ふん、一年後がせいぜいというところか。随分と気長なものだな?」
「……二年だ」
「何?」
「二年は任務に出さない」
「何を悠長なことを……二年の内に貴様が死ねば、」
「死なない。少なくとも、二年の内は。死なないし、鬼も俺が狩る」
「…………」
「それで良いだろう」
 義勇の言葉に、ふんと伊黒は鼻を鳴らす。目を見開いて話を聞いていたを値踏みするように、伊黒がを見下ろして。シャアッと威嚇する蛇に怯えるを、鼻で笑う。蛇にすら怯える子どもなど必要ないと呆れる伊黒に、気付けばは手を伸ばしていて。
「……ッ!!」
 その手が首に届くより早く、床に叩き付けられていた。の手を掴んで床に叩き付けたのは義勇で、掴まれた手首は軋み、骨に罅の入る嫌な音がした。
「二年と三日に延びた。この骨折の分だ」
「まったく、将来有望なことだな。この分では何日復帰が延びることやら」
 が動けないよう膝で背中を押さえ付けたまま、義勇が淡々と伊黒に告げる。肩を竦めた伊黒は、嫌味を残して音も無く姿を消した。無様に這い蹲るを布団に戻して、義勇は「蛇は嫌いか」と問う。
「……きらいというより、怖いです」
「伊黒は」
「義勇さまをいじめるから、きらいです」
「いじめられていない」
「はい」
 基本的に、怖いと思ったものに反射的に飛びかかっていくのかと義勇はの行動原理を分析する。『優しい』と言われたことに耐えきれず部屋を飛び出したことなど忘れての折れた手首を包帯で固定していく義勇は、どうにもこの拾い物に懐かれたらしいことを自覚してずきりと痛む胸を抑えた。二年。その間は、義勇は死ねない。この馬鹿みたいに傷だらけの子どもを、真っ当に戦えるように鍛えて。鬼を殺すことの他にも安息はきっとあるのだと、どうにか探させなければ。そうしなければ、義勇は死ねない。きっとこんなものはどこにでもある不幸で、どこにでもある現実だ。それでも拾ったからには、この命を繋がなければ。
「……
 初めて、その名を呼ぶ。あの結紐に触れたときは知らなかった、彼女の名前だった。
「明日にはここを発つ」
「は、はい」
「刀は返すが、任務に出たら刀とお前の骨を折る。いいな」
「はい」
「……今日はもう休め」
「はい、義勇さま」
 おやすみなさい、と頭を下げるに背を向けて、部屋を出る。本当はもう少し、ここで休ませるべきだろう。けれど、一所に長居し過ぎた。骨の折れているには辛い旅路になるだろうが、ひとまず蝶屋敷に運んできちんと診てもらわなければ。義勇とには、時間が無い。本当なら二年あっても到底足りないくらいだ。それでも、義勇は鬼殺隊の柱だから。は、義勇の継子だから。
 ――略啓、鱗滝左近次殿。
 貴方の気にかけていた馬鹿娘を見つけましたと、筆を執る。鬼を多く殺しているが、このままでは近いうちに死んでしまうだろうと。そうならないように継子として責任をもって預かると、文に書き連ねた。嘘を吐くなと、頭の中で誰かが言う。それでも誰にも言わないと、決めていた。にすら、言う気のない本当のこと。何一つに返してやれない義勇が、懺悔などしたところで自分しか楽になれないと解っていたから口を噤んだ。
 ――錆兎お兄ちゃん、真菰お姉ちゃん、
 眠っていたが、譫言のように呼んでいた名前。ずきずきと、胸が痛む。きっと自分が救われたいだけだ。ただの自己満足だ。それでも。
、」
 呼ばれたときのあの嬉しそうな顔が、頭から離れなくて。の刀をぐっと握り締めて、義勇は唇を引き結んだ。
 
190331
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