「じゃあどうして、義勇さんはさんを継子にしたんですか?」
 純粋な問いに、義勇は目を背ける。稽古をつけてくれと、柱稽古に参加してくれと、義勇に頭を下げる炭治郎。いっそ自分に幻滅すればいいとさえ思って突き放した末に投げかけられたその問いは、確かに「自分は柱ではない」と語る義勇の言葉の矛盾を思えば当然だった。
「……は」
 は、義勇が柱稽古に参加するものと思っていそいそと支度をしていた。その姿を思えば、少し胸が痛んだけれど。菓子代を貯めている貯金箱をひっくり返して米を大量に買ってきたは、「きっとみんなお腹が空きますから」と大量の握り飯を作る準備を整えていたのだ。「支度は要らない」と告げたときのは、衝撃を受けたような顔をして、少しだけ寂しそうな様子を見せて。それでもは義勇の言うことだからと、隊員の泊まり込みを想定して干していた布団も全て物置にしまい込んでいた。時々火傷しそうになりながら握っていたたくさんのおにぎりは、全て義勇の腹に収められた。今、は風柱の稽古に参加しているはずだ。宇髄には「派手に根性あるじゃねえか」と褒められ、時透には「日頃の努力がものを言ったね」と見送られ、蜜璃には「ちゃん、レオタード似合うわあ!」と楽しそうに着せ替えをさせられ、伊黒には「駄犬とはいえ犬だからな、鼻が利いて当然だ。ふん」と面白くなさそうに蹴り出され。師範としての義勇に柱稽古の報告をするは、義勇の心情を慮っていた。稽古の合間に蝶屋敷に健診に向かい、太陽を克服した禰豆子に嬉し泣きして。それでもは、義勇に「どうして」と問わなかった。は炭治郎とは違う。他の誰とも違う。どうして未だに継子として稽古をつけてくれるのに他の隊士を受け入れないのかと、だけは問わなかった。
は、俺の継子だ」
「? それは、義勇さんの後継という意味じゃないんですか?」
「……お前もわかっているだろう、には才能がない」
「そんなこと……」
「それに成長期のお前とも違う、はもう背丈も筋力もほとんど頭打ちだ。継子ではいられる、だが柱には足りない。を継子にしているのは、俺個人の我儘だ」
 水柱の継子ではない、冨岡義勇の継子だ。庇護するためだけに、継子という立場を使った。はその立場の責務を果たすために、必死で努力を続けている。義勇が個人的な我儘のために与えた立場に、縛られて重荷を課せられている。必死に、控えとしての務めを果たしている。けれどは、柱にはなれないだろう。ならせないために、義勇は今日も生きている。本当の水柱と継子ではない。誰かが水柱を継いだなら、ふたりで相応の立場に落ち着くつもりでいた。悪鬼滅殺の文字を、の日輪刀に刻ませるつもりはなかった。そうなったらはいよいよ、止まれなくなってしまう。命が燃え尽きるその瞬間まで、怯えに突き動かされて鬼の頸を目掛けて駆け続けるだろう。義勇が死ねば、の箍はまた外れてしまうのだ。
「……は、」
 姉の蔦子が鬼に殺されたのは、祝言の前日のことだった。義勇を隠して、義勇を守って死んだ。幸せになるはずだった姉を犠牲にして生き残った自分が、自分よりも遥かに人を救えたであろう錆兎に守られて生き残っただけの自分が、それなのにを救わず地獄に落とした自分が、と幸せになっていいわけがない。いまだに義勇は、だけが幸せになるべきだと思っている。に幸せを与えられるのなら、義勇は何だってしよう。けれど義勇が幸せを与えられていいはずがない。は義勇に与えようと、報いようとしてくれるけれど、きっと義勇はそんなものを与えられるべきではない。義勇は奪われてしかるべき人間なのに、どうしては一緒に幸せになりたいと言うのか。そんな問いに対する答えなどとっくに出尽くしていたけれど、にたくさんの幸せを与えられているけれど、どうしたって割り切れはしなかった。
は、鬼殺隊に入るべきじゃなかった」
「……?」
「それでもには必要なことだから、俺はを継子にしたんだ」
 義勇の言っている意味がわからず首を傾げる炭治郎を置き去りに、義勇は歩き出す。
「義勇さんにとっては、必要なことじゃなかったんですか? さんは義勇さんにとって、いなくてはならない人なんじゃないんですか?」
「……なくてはならない存在だと、思っている。それでも、俺はそんなことを思ってはいけない」
 帰れと、義勇は炭治郎に退去を促しながらも鍛錬場を自ら出て行く。と寄り添って、に幸せを与え、与えられる。そこにあっていいのはの望みだけで、自分の望みがあっていいはずがないのだと。自分の望みで手を伸ばしておきながら、いまだにそんな矛盾に縛られている。だからきっと自分はに愛していると、守ると言ってやれないのだ。心の奥底ではわかっている、どんなに馬鹿らしい矛盾に囚われているのかわかっている。それでも抜け出せない。守るべきに背を押されてようやく、望みが口を突くような情けない男だった。

「何があった」
 炭治郎に諭されて、錆兎の平手打ちを思い出してようやく、最終選別の後悔と向き合えて。そうして帰ってきた義勇を迎えたのは、土下座するだった。地面に額を擦り付けるほどの土下座と、そのの頭をこつこつとつついて「馬鹿者」と繰り返すの鴉。その反対側で、の頭をばしばしと叩いて「お前っ、お前ら、ほんとバカっ」と泣く隠の後藤。どういう状況だと驚いた義勇の言葉に顔を上げたを見て、義勇はぎょっと目を見開いた。
「その傷はどうした」
「実弥様の稽古、出禁になりました……」
「…………!?」
 顔も体も、拾った頃を彷彿とさせるほどに傷だらけで。おまけに、ぐしゃぐしゃに泣いていて。その上更に風柱の稽古を出禁になったと言うに、義勇は本日何度目かになる「なんで?」という心の声を抱いたのだった。ぐすぐすと泣き声で事情を説明するの声を補完した鴉と後藤曰く、経緯としてはこのようなものであるらしい。柱合会議での義勇の態度に苛立っていた実弥が、「どの面下げて来たァ」とを威嚇し。実弥の実弟であり、の蝶屋敷通院仲間である玄弥がを庇いに入り。また、ビビり友達の善逸もを庇ったが、実のところ義勇はともかくのことは気に入っているらしい実弥はそれが面白くなく。玄弥と善逸が稽古という名目で度を過ぎて痛めつけられたことに怒ったは、男らしくないと実弥の頬をぶったらしい。そこからはもう、「いい度胸だァ」と笑った実弥の一方的な私刑で。腕を折られ、肩を外され。けれど実弥が口にした義勇への暴言に、それまで防戦を強いられていたは怒りのあまり一瞬だけ実弥の速さを超えて噛み付いた。文字通り、首にがぶりと。
 ――俺に尻尾振るようになるまで躾直してやるよォ、犬女ァ!!
 むしろそれで猛ってしまった実弥に、再起不能寸前まで叩きのめされ。他の隊員総出で実弥を抑え込み、ようやく救出されたのだそうだ。も相当に上に叱られたらしいが、経緯が経緯だけに義勇の監督責任よりも実弥の指導能力と自制心が問題にされた。どうにもがいると実弥がいつも以上に暴走するということで、結局は風柱の稽古を出禁になったのだそうだ。接近禁止とまではいかないが、は一週間の謹慎を言い渡された。玄弥と善逸たちを案じながらも、は義勇に頭を下げる。の短慮で、義勇への暴言を撤回させるどころか義勇の顔に泥を塗ってしまったと。軽率な行動で義勇や周囲の人間に迷惑をかけて本当に申し訳ないと、は深く反省して落ち込んでいた。
「……、顔を上げろ」
「はい……」
「後輩を庇ったんだろう、俺のために怒ったんだろう。それを、恥じるな」
「え、」
「不条理や許し難いことには力で抗えと、そう教えたのは俺だ。怯え以外の理由で戦えと教えたのも俺だ。お前が悪いのなら、俺も悪い」
「義勇さま、そんな、」
「発端は俺の態度だ。組織の和を乱した罰なら、お前はもう受けただろう。それで、十分だ。いいから休め」
 いや甘いにもほどがあんだろ、と少し思った後藤だったが。けれど実弥のへの仕打ちは、幼稚な恋心と義勇への嫉妬が大半の原因だと後藤は思っている。を責めたいかと言われれば、そうでもない。むしろ謹慎も、療養の建前のようなものだ。「待てこのちんちくりん、躾直すまで帰さねェぞ!!」と叫んでいた実弥を剣士たちが必死に抑えている間に、後藤はを担いで必死に走ったのだ。本当に泣きたいほどだった。実は少し泣いた。むしろ実弥が悪鬼だった、それほどまでに怖かった。あんな恐ろしい柱に顔を覚えられる危険を冒してまでを守って駆けたのだから、来世では良いことがあると信じたい。そう思わないと、とてもやっていられなかった。日を置かずに今度は炭治郎が実弥と衝突し接近禁止まで言い渡されることを、今の後藤は知らない。「水の呼吸のやつらはほんとになんなの!?」と零すことになるとも知らず、「勝てなかったです……」とぐしぐし泣いて落ち込むの頭を、後藤はばしんと叩いたのだった。
 
190426
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