――義勇と、話をしてあげてくれないかな。
産屋敷からの手紙には、そう綴られていた。
――炭治郎と話して、迷いは晴れたようだけれど。心配なんだ、あの子はふらっといなくなってしまいそうなところがあるから。
炭治郎に話したことを、義勇はにも話してくれた。錆兎との関係や、最終選別での後悔。それゆえに、誰よりも義勇自身が自分を柱と認められずにいたこと。実弥に負わされた怪我の回復に努めるに付き添いながら、義勇はぽつぽつと過日の後悔を語ってくれた。義勇の継子であるも、知っておくべきことだと。出会った頃に「水柱様」と呼んで顔を顰められたことを思い出し、あれはそういう理由があったのかとは納得する。けれど同時に、産屋敷の言う不安がにもわかった。
――義勇には自分の命も、大事にしてほしいんだ。
繋ぐという決意を固めた義勇が、例えば炭治郎やを守るために死んでしまいそうで怖い。いつかあり得る可能性としてもそれを口にしたけれど、炭治郎と話したあとの義勇は、どこか真っ直ぐに崖の縁へと歩を進めているようにも思えた。
「お館様が、義勇さまを心配して、いました」
「……そうか」
「私も、心配して、いいですか」
「俺の許可が要るのか」
言葉はぶっきらぼうながら、どこか驚いたような顔で義勇はを見た。
――義勇はね、君の「もしも」を考えてしまうんだ。君より少しばかり長く生きている分、どうしても君を心配してしまう。
産屋敷は、の記憶がないゆえの躊躇いのなさや真っ直ぐさを美点だと言ってくれた。同時に、義勇が以上にそのことを気にかけていることも。
「義勇さまは、優しいです」
「…………」
「私は、考えたこともなかった、ですけど……義勇さまはきっと、私の『もしも』を、考えていてくださったんだ、って……」
「……ああ」
もしも。もし、が鬼殺隊に入らなかったら。もし、剣士であることを辞めて、隠や使用人にでも落ち着いたなら。が怪我を負って伏せるたびに、義勇はそんなことを考えてしまう。誰もが傷つきながら戦っている中で、もしもの可能性を考えてしまう。それを弱さだと義勇自身は考えているが、や産屋敷は優しさだと言うのだ。が傷つかなくていい世界を夢想することは卑怯や逃げではなく優しさだと、義勇の信じる人間は言う。
「……俺の姉さんは、」
の頬を撫でて、義勇は口を開いた。思い出すのは、もう遠い日々だった。
「祝言の前日に死んだ。俺を守って、鬼に殺された」
「……、」
「錆兎のことは、話したとおりだ。俺は……幸せになってほしかった人たちに俺がしてやりたかったことを、お前にしているだけなのかもしれない」
俯いた義勇は、の耳にそっと触れる。深い切り傷が、そこにはあった。
「、お前は姉さんとは似ても似つかない」
「……? はい、」
義勇の姉なら、きっとたおやかで美しく胸の内に強さを秘めた、まさに大和撫子のような女性だろう。そんな女性に自分が似ているわけがないと、は首を傾げるけれど。
「似てはいないが、重ねてしまう。お前を唯一として想うとき、姉さんが享受するはずだった幸せを考えて行動してしまう。姉さんが受けられなかった幸せを、お前に与えようとしてしまう」
「……それは、いけないことですか?」
「お前は怒るべきなんだ、『死んだ姉と自分を重ねるな』と」
義勇が言うには、それは失礼なことだと怒るべきことらしい。けれどは、それは悪いことではないと思うのだ。義勇もも、幸せになるのがどうにも下手だから。幸せになってほしかった人の真似をしても、いいのではないかと思う。
「……教えて、ほしいです、義勇さまは、どうしたら幸せになれますか」
「俺は……幸せになるべきじゃない」
「義勇さまと一緒がいいです、そうじゃなきゃだめです」
幸せは与える側と与えられる側で真っ二つに分かち得るものではないと、は思う。義勇が幸せならも幸せで、義勇が幸せでなければも幸せになれない。一方的に与えられたものを、は幸せと呼べない。それは搾取や強奪ではないかと、は愛を奴隷のように定義することを厭うた。
「わたしは、」
義勇を幸せにできないことが、悲しい。義勇に与えられ守られるばかりなのが悔しい。は義勇の姉と重ねられることよりも、義勇が自身の幸せを勘定から外してしまうことのほうがずっとずっと嫌だ。全部、の子どもじみた我が儘かもしれないけれど。子どもには子どもとしての言い分があるのだ、「もう子どもではない」という、愚かしいほどに驕傲な言い分が。
「私は……っ、義勇さまの、しあわせを願いたいです、」
泣きたくはなかった。それでも、声が震えてしまう。泣くなと、は自身に強く言い聞かせる。義勇は優しいから、が泣いたら困ってしまう。泣いていても何も現実は変わらないと知っているからこそ、義勇はが泣くと何とかしようとしてしまうのだ。結局は、義勇の優しさに甘えて生きている。それがどんなに辛いことか、今までどうしてこんなにも鈍感でいられたのだろう。どんどん欲深くなっていく。隣にいられれば良かったのに、互いの唯一になりたくなって。そして今は、幸せにしたいと、一緒に幸せになりたいと。どうしてこんなに人は、自分は欲深いのだろう。どうして義勇はこんなにも悲しくて、愛おしいひとなのだろう。それでもこんなもの知らなければ良かったとは、微塵も思えないのだ。
「義勇さま、し、死んじゃいそうでこわいです……」
「、俺は……」
「守られて生き残ったから、守って死のうって、そうしてしまいそうで、こわいです」
そんなことを考えたこともないと言えば、嘘になる。生き残るべきでない人間が生き残ってしまったという思いは、消えやしないのだ。だからせめて、生き残るべき人間が生きられるように守ろうと。この世に灯る命の灯火の数が決められているのなら、真っ先に消えるべきは自分だと。そう思っていないと言えば、嘘になるに違いなかった。そして義勇は、に嘘など吐けない。
「だめか」
「だめです」
間髪入れずに返ってきた答えに、義勇は瞠目する。は、怒っていた。どんな仕打ちを受けても義勇に怒りなど見せたことのないが、眉間に皺を寄せて怒っていた。拗ねたようにむくれているのとは、わけが違う。怒ると案外錆兎に似ていると、どうでもいいことを考えてしまう。とて、鱗滝の子なのだ。狭霧山の子で、義勇や錆兎たちの妹だった。
「幸せになるべきじゃないなんて、次に言ったら、い、いくら義勇さまでも、ゆるしません……! そんなの、ぜったい、」
「お前は……俺が幸せになるのを、許すのか」
「ど、どうして、私の許しがいるんですか……」
「……お前にだけは、許されてはいけないと思っていた」
「知らないって、言いました……それでも好きだって、言いました」
義勇もも、あまりにも言葉が足りない。その上、それぞれ勝手にお互いのために動いている。産屋敷が話をしろと言ってくれたのは、のためでもあるのだろう。言えないことを抱えている二人ではあるけれど、それでも語るべきことは語って共に歩めと。産屋敷は義勇が胸の内に仕舞ったの過去も、が隠した短い余命のことも知っている。互いの秘密を知ることはないと、産屋敷だけは知っていた。知らないままでも、それでも互いに言葉を交わしてほしいと願っていた。
「義勇さま、好きになってもらう資格がないとか、幸せになっちゃいけないとか、柱になるべきじゃないとか……」
「……今ここにある現実から、目を逸らしてばかりだな」
「…………」
「俺は柱で、お前に好かれていて、お前といて幸せだ」
言葉にするのは、苦手だ。喋るのは、苦手を通り越して嫌いだ。も、吃音がある上にうまく言いたいことを言葉にできない性分だからあまり喋らない。それでも、話さないとわからないことがある。こんな当たり前のことすら、言葉にしないと認められない。そうあってはいけないと自分に言い聞かせていたのに、に問うたことすらなかった。目の前にいるに問うことすらせずに、資格がないと。どうせは義勇を許してしまうから、それも無知ゆえだと、それはへの侮辱だったのではないだろうか。は義勇の言葉や行動に、安心を覚えて人生を預けてくれたのに。
「もうとっくに、幸せだった……、」
「はい、」
「愛している」
ぽかんと、が口を開けた。大真面目に告げた言葉にまさかそんな反応が返ってくるとは思わなくて、義勇は眉間に皺を寄せるけれど。ぼろりと零れ落ちた大粒の涙に、思わず手を伸ばしていた。
「も、申しわけありません……」
「いや……泣くほど可笑しかったか」
「ち、違います、うれしくて、」
「嬉しくて泣くのか」
「うれし泣きです……」
「それは困る」
を膝の上に抱きかかえて、背中をぽんぽんと叩いてをあやす。眉を下げた義勇にが首を傾げると、義勇はふいと目を逸らして口を開いた。
「これから……幾らでも言うから、そのたびに泣かれるのは困る」
「……な、泣かないように、努力します」
「そうだな……できれば、笑ってくれ」
「は、はい」
の頬をすり、と親指の腹で撫でた義勇の顔には、柔らかい笑みが浮かんでいて。水面に映る鏡像のように脆いその笑みに、はただ見惚れた。
「確かなことは言えない、気休めにしかならない約束など与えたくはない……だが、」
ぎゅうっと、囲い込むように抱き締められる。義勇の胸に顔を埋めて、耳元で聞こえる鼓動の音にひどく安らいだ。
「俺の力の及ぶ限り、守る。お前の怖いもの全てから」
死の恐怖から、鬼から、助けて、守って。を蝕む呪いのような暗示を、必ず解いて治してやりたい。それを言葉にすれば、どうしてか芯が一本通ったような心強さがあった。守るものがある、共に未来へ歩みたい者がいる、それだけでこんなに、強くなることができるのか。過去に蹲りそうになる心を支えて、顔を上げることができるのか。腕の中の小さく弱い生き物に、心を支えられている。に安心を与えて、与えられて。義勇が幸せにならなければも幸せになれないのだと、その言葉の意味を義勇はようやく理解したのだった。
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