義勇と炭治郎が上弦の参を撃破したという知らせとほぼ同時に届いた、の訃報。様々な報せに隠れてひっそりと伝えられたそれが鱗滝に与えた衝撃は、義勇や炭治郎にさえ計り知れないだろう。
 ――いつか、死んでしまいそうな気はしていた。
 禰豆子を見守りながら、鱗滝はぐっと拳を握り締める。目頭が熱くなったが、涙はどうにか堪えた。鱗滝は弟子にした皆を子のように大切に思っていたが、中でものことはずっと気がかりだった。本来、弟子にするつもりはなかった娘。あの夜鬼にさえ遭わなければ、はきっとここにいて一緒に禰豆子を励ましていた。
『行ってきます、先生』
 義勇はきっと、に自分の弱さを重ねていたのだろう。錆兎を亡くす前の義勇は、少しに似ていた。内気で、どこか放っておけない愛嬌があって。そして最終選別から帰った義勇は、自ら孤独の道を歩むようになった。子どもたちを失い続けた鱗滝が、もう弟子は取るまいと決めたのにも似ている。失いすぎた義勇は、誰からも距離を置くようになって。ここにいていいのは自分ではないと、仲間と肩を並べることができないままでいた。鬼を、死を恐れるあまりに脇目もふらず駆け続けるもまた、孤独だった。群れからはぐれた獣の仔のように、鱗滝の手元を離れてしまったは独りでふらふらとさ迷い続けていた。
『行ってきます、鱗滝さん』
 鱗滝が最後に見たの背中は、あまりに小さくて。どこか不安げで、今にも怯えに溺れてしまいそうな目をした子どもは、何度も何度も振り返りながら狭霧山を発った。引き留められるものなら、引き留めたかった。抱き締めて、どこにも行かなくていいのだと、そう言ってやりたかった。それでもは、こわいものに追いつかれないために走らなければならかったから、だからいなくなった。あんなに、寂しそうな顔をして。
『妹弟子の様子を、見てきてやってほしい』
 炭治郎たちが鱗滝の元にやって来る少し前、鱗滝は義勇に文を出した。の様子は、時折鴉が知らせてくれていた。擦り切れてしまいそうになりながら、鬼を狩り続けているらしい。いつも怪我ばかりして、ろくに療養もせず。鬼の頸だけ見据えて走り続けて、巣を持たぬ獣のように。そんなふうにするために、を鍛えたわけではなかった。鱗滝を父と呼んだその子どもを、死なせたくなかっただけのはずだった。だから、駆ける速さで今にも燃え尽きそうな寂しい子どもを、独りになりたがる青年へと引き合わせた。には生き急ぐ脚を止めさせる誰かが必要で、義勇には否応なく手を伸ばさざるを得ない誰かが必要だった。俯いて地面ばかり見てしまう義勇と、届かない星ばかり見上げて走る。似ているのか対照的なのかよくわからない兄妹弟子からそれぞれに手紙が来た時、鱗滝は心の底から安堵したものだった。義勇はあの野良犬のような娘を継子にすると言い、懐の内に他人を許容して。は言葉足らずで人あたりの良くないあの水柱に安心を感じると言い、義勇を帰る場所に定めた。お互いの烈しさや静謐さに影響され合うように、義勇もも少しずつ変わっていって。それぞれ胸の内に重石をつけて沈めた秘密はあったようだが、それでも互いを想い合っていた。炭治郎から二人の仲睦まじさを聞くたび、から手紙が届くたび、鱗滝は胸の底が温かくなるような気持ちを抱いたのだ。義勇から近々大切な話をしに行くという手紙が届いて、鱗滝はその話の内容を察した。鱗滝の息子と娘は互いに幸せを分かち合って生きていくのだと、優しい未来を思い描いて胸を震わせた、はずだった。
 ――鬼に我が子を奪われるのは、何度目だろう。
 もまた、鱗滝より先に行ってしまった。目の前の恐怖しか見えていなかった子どもが、ようやくその先の未来を夢見たのに。あれだけ他人を近付けることを恐れていた義勇が、生涯隣にいることを望んだ相手ができたのに。の最期は、誰かが看取ってくれただろうか。ひとりぼっちで、凍えるような孤独の中で息絶えていないことを願った。の亡骸はきっと帰って来ない。多くの子どもたちが、そうであったように。それでも鱗滝は、を剣士に育てなければよかったとは思うまい。胸が張り裂けそうなほど悲しくとも、が一生懸命生きた理由を否定すまいと歯を食いしばった。
『おとうさん』
 拙い呼び声が脳裏に響いて、様々な感情が胸に去来する。あの夜壊れてしまった風車の代わりは、終ぞに渡してやれないままだった。空の色をしていた瞳は、最期に水面を映しただろうか。空と水が一続きになって同じ青を描くように、義勇とはうつくしい色を描いていた。今は道半ば斃れようとも、きっとふたりはいつかそこで出逢うのだろう。何度でも。たとえ今だけ此岸と彼岸に隔てられようとも、伝えきれなかった言葉を三途の川に遮られようとも。それでも、いつか辿り着く道の果てには。鱗滝が直接、ふたりの並ぶ姿を目にしたことは無い。けれど、ありありと脳裏に浮かぶのだ。よく似た青がふたつ、見つめ合って同じ色に溶け合う様が。願えるのなら、息子と娘の幸せな未来を見届けたかった。自分の命を代わりに差し出してでも、の命を呼び戻したかった。大切な話をしたいという義勇の手紙を読んだときにひっそりと思い描いた祝言の光景は、未来永劫叶わなくなったのだ。叶わなくなって、しまった。
「……よく、生きた」
 鱗滝が、嗚咽を漏らすことはなかった。ただその肩だけが、堪えるように震えていた。

「……、来ないね」
「来るわけがない」
 真菰の呟きに、錆兎は首を振る。どうせ真菰もがここに帰ってくるとは思っていまいと、錆兎は夜空から目を逸らした。
は義勇のところに行ったんだろう」
「そうだね、はそうするよね」
「義勇はあの通りだから、がついていてやっと安心できるくらいだ」
 自分が死んでしまえばよかったと後ろばかり向いてしまう義勇と、死にたくないと必死に走るが義勇の背中にぶつかって、弾みで歩かせるくらいがちょうど良かった。鱗滝には自分たちがついているから大丈夫だと、安心の元へ帰れと、の背中を押してやりたいくらいだった。誰かひとりくらいは、あの俯きたがりの男についていてやらねばなるまい。今までも、これからも、その場所にはがいる。
「義勇は進むかな、」
 ぽつりと、真菰が呟く。流れる雲が、月を隠した。
「進むさ」
 間髪入れずに錆兎は答える。それは確信であり、信頼でもあった。
「進むに決まっている。義勇は男だ」
 男ならば、前に進むのみだ。愛した者を何度失おうが、変わらない。失っても失っても、ぽっかりと空いた胸の空虚に淀む過去がどんなに重くとも。男なら、進まなければならない。そうでなければ、男ではない。義勇と一緒に帰りたがったのためにも、義勇は大切な者という足枷を引き摺って進まなければならないのだ。
「……は、」
 俯いた錆兎が、面で顔を隠した。少しくぐもった声が、静かに落ちた。
は、がんばったな……?」
「……うん、がんばったよ」
 努力しただけでは、がんばっただけでは、報われない。生きて帰れなかったのなら、鬼を殺せなかったのなら、どんなにがんばっても。それは二人とも文字通り身に染みて解っていたことだったけれど、それでも。
「えらいな、は」
「うん」
 きっと、いつかに再会する日も来るだろう。その時は、己の生を全うした義勇も隣にいるはずだ。ふたりに会えたら、自分たちは泣くのだろうか。笑うのだろうか。
「おつかれさま、
 とても優しい笑顔を浮かべて、真菰は呟く。ふたりの脳裏に、彼らを兄や姉と慕って笑っていた幼いの姿が浮かんでは消えたのだった。
 
191003
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