「あ、炭治郎さん」
さん! 今回の任務、さんと一緒だったんですね」
 鎹鴉に指示を受けながらやって来た神社には、見覚えのある藤色の羽織がいて。肩につかないほどの髪を揺らして顔を上げたその人は、炭治郎を見て乏しい表情筋を緩めた。とは対照的に全力で明るい表情を浮かべた炭治郎は、任務の仲間がであることに嬉しそうな顔をする。背負った箱の中にいる禰豆子にも、「さんが一緒だ」と語りかけた。
「この神社に、鬼が棲んでるって。泊まった旅人たちを、襲ってる」
 淡々と説明するは、屋内戦になるであろうこと、屋内とはいえ戦闘による壁や天井の破壊も想定されるため禰豆子は箱から出ない方がいいであろうことを穏やかな声で語る。怯えの匂いは戦闘前であるためか強くなっていたが、善逸のように任務を渋るわけでもない。おもむろに藤の花の簪を外して手拭いに大切に包んだに、炭治郎は「外してしまうんですか?」と首を傾げた。
「うん……壊したりしたら、悲しいから」
「そうですかぁ。簪、すごく似合ってると思います」
「あ、ありがとう……義勇さまが、くれたんだ」
「義勇さんが?」
 言外に「あの人が女の子に簪を贈るのか」という驚きを込めて聞き返してしまったが、は穏やかな表情のまま頷いた。聞けば簪を包んでいる藤の柄の手拭いもの着ている藤色の羽織も、義勇がくれたものなのだとか。義勇と住んでいる家に帰れば、匂い袋だとか櫛だとか、団扇だとかもあるらしい。それも全て、藤の花をあしらったものばかり。義勇かが藤の花を特別好んでいるのかと尋ねると、は少し可笑しそうに笑った。
「ううん、義勇さま、女の子にはお花をあげたらいいよって言われて、ずっとそうしてくれるの」
 きっと最初にもらった簪が藤の花だったのは、真っ先に思い浮かぶ花が藤だったからなのだろうと。鬼殺隊に身を置いていれば、最も縁のあるであろう花。畏れ多かったけれど、大好きな義勇がに花を選んでくれたことがとても嬉しかった。簪の挿し方をも義勇も知らなくて、途方に暮れた顔をして手の中の簪を見つめるから簪を取り上げ、義勇は色々と試行錯誤をして髪の短いに簪を挿してくれた。それが本当に嬉しくて、胸がいっぱいになって。きっとそのときのの顔は情けないほど緩んでいたのだろう。アオイにこっそりと、簪の使い方を聞きに行った。自分でつけてみたけれど不器用な自分の手では何だか不格好で、申し訳なくて、勿体なくて。自分には不釣り合いなほど綺麗なその花の飾りを、机の引き出しに大事に仕舞いこんでは寝る前などに取り出して眺めるなどしていた。「気に入らなかったか」と眉間に皺を寄せる義勇にわけを話せば、「そんなことは気にしなくていい」と更に眉間の皺が深くなって。怖々と毎日簪をつけるようになったに義勇の表情が柔らかくなった気がして、の頬も緩んだのだ。
「すごく嬉しくて、すごくはしゃいだ、から……義勇さま、私がすごく藤の花を好きなんだって、思ったんだと思う」
「それで藤ばっかりなんですね。さんは、本当はどの花が好きなんですか?」
「えっと……あんまり、お花知らなくて……だから、義勇さまのくれる藤が、結局いちばん好き、だと思う」
「あはは、でも何だか素敵ですね」
 わかりやすく大事にしていたよ、と炭治郎は心の中で善逸に語りかける。思えば反射訓練のときも、着替えてきたは簪を外していた。から返ってくる手紙からは、いつもほんのりと藤の匂いがした。他人からは見えなくとも、はこんなに義勇の優しさを大切に大切に胸の中に仕舞っている。それをひとつひとつ丁寧に取り出すように語るがどれだけ義勇に大切にされているのかなんて、例えその優しくて柔らかく澄んだ『匂い』がわからなくとも一目瞭然だったのだろう。
「前の任務で、外して行ったらちょっとしょんぼりしてた、から……今日は付けて挨拶してきた」
「義勇さん、嬉しかっただろうね」
 しょんぼりする義勇という単語に笑いを堪えつつ、炭治郎は頷く。きっと炭治郎も、もし禰豆子に髪飾りを贈ってそれをいつも身に付けていてもらえたら嬉しいだろうし、そうでなければ不安になるだろう。自分も何か禰豆子に贈ってみようかと思いつつ、まともなものを選べるのだろうかと不安になる。けれど、手拭いに大事に包んだ簪を懐に仕舞うを見て、その不安も消える。きっと禰豆子は、炭治郎の美的感覚がダメダメでも笑ってそれを大切にしてくれるのだろう。嬉しそうに笑って、受け取ってくれるのだろう。そう思えて安心する、とても優しい表情だった。

「禰豆子さんは、優しいね」
 無事神社の鬼を退治したけれど日が暮れる時間になってしまい、今日はそのまま神社で夜を明かすことになって。箱から出てきた禰豆子がの頬についた鬼の血をごしごしと拭って、は嬉しそうに笑った。その静かな笑顔はつい先程まで鬼気迫る表情で鬼に何度も斬りかかっていたと重ならなくて、炭治郎は床や柱に残る刀傷を見て戦闘を思い返した。今回の鬼は、とても大きな体躯で。炭治郎もも小柄であることを嗤って、ふたりを潰そうとした。狭い神社の中では大柄なその鬼の頸は狙いにくく、じりじりとした攻防を強いられたのだった。
さんは、禰豆子のこと……」
「……こわくないよ。禰豆子さんは、鬼だけど……ひと、だと思う」
 鬼が怖いから、鬼をいなくしてしまいたい。そんな一心で刀を振るう姉弟子に恐る恐る語りかけるが、は乏しいなりに柔らかい表情で禰豆子の頭を撫でた。禰豆子の方もに懐いているようで、に撫でられて心地良さそうにしている。の鬼に対する怯えは、死に対する怯えと等しい。禰豆子はの中で、死の恐怖とは切り離されているのだろう。
「本当は、炭治郎さんみたいに……鬼を、ひとだと言い切れればいいのかもしれないね」
「あ……いえ、」
「……ごめんね、こわいんだ」
 炭治郎のように慈しい気持ちで鬼の頸は斬れそうにないと、は眉を下げる。慌てて首を振る炭治郎の目に、揺れた藤色が殊更切なく見えて。
「……さんはご存知ですか。鱗滝さんと義勇さんが、俺たち兄妹のために、」
 禰豆子が、もし人間を襲ったら。炭治郎と、鱗滝と、義勇が腹を切る。鬼である禰豆子のために懸けられた命。鱗滝はの親のような存在で、義勇がにとってどんなに大切な人かなんて炭治郎にも痛いほどにわかる。炭治郎がしくじれば、は全てを失うのだ。そのことを果たしては知っているのかと、炭治郎は問う。見据えたの瞳は、強い覚悟を宿していて。姿勢を正して、は口を開いた。
「……存じています。義勇さまが、私に頭を、下げました」
「……ッ、」
 すまないと、義勇はに頭を下げたのだという。手をついて、頭を垂れて。あまりの驚愕に寿命が縮んだ気がしたと、は小さく笑った。
「義勇さまは、炭治郎さんと禰豆子さんを信じてます。それでも、『継子のお前を半ばで投げ出して腹を切ることになったら、俺だけを恨め』と」
「え……」
 という継子がいるのに、柱の役目以外のところで命を懸けることを、それでも許せと。義勇のことは許さずともいいから、命を懸けることは許してくれと。いくらが頭を上げてくれと頼んでも、義勇は頑なに額を畳につけていた。
「私の許しなんて、請わなくていいのに……それでも義勇さまは、『勝手を許せ』と」
 はもう、十分すぎるほどに義勇に与えられている。義勇の傍にいたい、義勇に報いたい、その想いで義勇の裾を引きこそすれ、義勇の決めたことに許すの許さないのと言う立場ではないとは思っていた。それでも義勇は、まるでに対して罪を犯したかのように頭を下げた。不器用なまでに誠実で真摯な、人間だった。
「私は、炭治郎さんと禰豆子さんを信じる。義勇さまが、私なんかに頭を下げてまで命を懸けるあなたたちを、信じる。だから、」
 ごろごろと頭を擦り寄せる禰豆子を、は目を細めて見下ろす。その柔い頬をふにふにとつついて優しい笑顔を浮かべたは、炭治郎に困ったような笑みを向けた。
「お願い、炭治郎さん。義勇さまに、腹を切らせないで。義勇さまのこと、守ってくださいね」
「……はい。約束します……俺たちは絶対、さんから義勇さんを、奪いません」
「ありがとう……」
 本当に安堵したように、が笑う。炭治郎の真剣な約束に、は心底から安心したようだった。この信頼に応えたいと、炭治郎は思う。この人がひとりぼっちになってしまわないためにも、一日も早く禰豆子を人間に戻してやりたい。戦う理由をまたひとつ背負って、炭治郎は強く拳を握り締めたのだった。
 
190304
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