「まぼろしの花?」
 オウム返しに聞き返したに、善逸はにこにこと頷いた。藤の紋の家に世話になっていた時の一件か、と炭治郎はきよたちのくれた饅頭を食べながら少ししょっぱい顔をした。ホオズキカズラという幸せの花を禰豆子に贈ってやろうとして、自分の愚かさに気付かされた一件でもある。結果的に兄妹の絆は深まった気がするから、まったくの徒労でもなかったのだろうけれど。は花にも詳しくなければ、女の子の好きそうなおまじないやおとぎ話の類にも詳しくない。だから善逸の話にはいつも興味深げに聞き入っていて、素直な感嘆を見せるに善逸はにこにこと話を聞かせるのだった。
「そう、ホオズキカズラって言ってね、幸せな結婚ができたりする言い伝えのある幻の花なんだよ。炭治郎が似た花を見つけてきたんだけど、結局違ってさ」
「ホオズキカズラ……」
ちゃんはもしホオズキカズラを見つけたら、どんなお願いがしたい?」
「……えっと、義勇さまにあげたい」
「あっ、そうなの……」
「義勇さま、ちょっと、幸薄そうだから……」
「ンン゛ッ」
 相変わらずの義勇っ子ぶりに微笑ましげな表情を作った善逸は、の健気な辛辣さに咳き込んだ。炭治郎も、思わぬ言葉に饅頭が喉に詰まって咳き込む。禰豆子が背中をぽんぽんと叩いてくれて、がお茶を差し出してくれた。ふたりを心配してくれるは、やっぱり優しいのだけれど。無垢であるが故に残酷、そんな言葉が脳裏をよぎった。が淹れてくれたお茶は、少しだけ苦い。義勇に家のことを任されているは元々はものすごく不器用らしく、今でこそ色々と料理やら家事やらができる部類に入るもののこうした嗜好品の扱いになると慣れていないため少し苦手に思っているのだとか。義勇が眉一つ動かさず飲んでいるお茶を自分で飲んだら、噎せるほどの苦さだったこともあるのだそうだ。平謝りのをよそに、義勇は淹れ直させることもなくそのお茶を飲み切ったらしい。義勇ももどこかずれているけれど根は優しいと、炭治郎は思っていた。しかし義勇のことを慕っているから見ても、義勇の幸福すら近付くことを許さないような雰囲気は補正が効かないものであるようだ。
「お前は『祝言』やらなくていいのかよ?」
 善逸の話を聞き流していたかと思われた伊之助は、に(おそらく)視線を向けて問う。しかしは、ぱちぱちと目を瞬く。
「しゅうげん?」
「……ちゃんもしかして、伊之助と同じ……」
さん、祝言を知らないんですか……?」
 恐る恐る問いかけたふたりに、はあっさり頷く。伊之助は「俺は知ってるから、お前より凄い!」と拳を天に突き上げたが、善逸に「知らなかったお前も似たり寄ったりだよ!」と突っ込まれていた。
「何なの!? 山育ちってみんなこうなの!?」
「いや山と言うより……鱗滝さんと義勇さん……」
「なんで山育ちは祝言を知らないの!? 伊之助はともかくちゃんは女の子だよ! 可哀想だろ!」
 鱗滝産冨岡育ち、祝言を知らないに善逸と炭治郎はそれがどんなものかを必死に説明する。禰豆子もぽんぽんと、慰めるようにの背中を叩いていた。ふんふんと祝言の説明に頷くは、「結婚の儀礼や祝いごとなんだね」と祝言の意味を理解した。どうして結婚はわかるのに祝言を知らないのかと肩を落とす炭治郎に答えを与えたのは、まさかの伊之助であった。
「猪や鹿だって番うけどよ、あいつらは祝言なんてやらないだろ」
「うん」
 そしては、伊之助の言葉に静かに同意を示す。まさかの野生児と認識が同じであったに、善逸が目頭を抑えた。
ちゃん、伊之助の万倍は品性も知性もあるのに……」
「う!」
 禰豆子が今度は善逸の背中をぽんぽんと叩いて慰める。誰かの背中を叩くことが気に入ったのだろうか、微笑ましいなと炭治郎は軽く現実逃避をした。
(だって、義勇さんの育て方が猪っていうことに……)
 おそらくの知性や品性は、鱗滝の元で身についたものだ。鱗滝に拾われたときのは言葉を失い、死にかけていてろくに体も動かせなかったのだそうだ。茶碗ひとつまともに持てないほどに弱りきっていて、言葉もそれまでの記憶も忘れてしまっていて。狭霧山にどういう経緯で辿り着いたのか、も鱗滝も知らない。どこの誰かもわからない子どもを鱗滝は拾い育て、本を読み聞かせ言葉を思い出させ、箸の持ち方や着物の着方に至るまで我が子を育てるように教えたのだそうだ。という名前は、ボロ雑巾のようだったの着ていた着物に書きつけてあったらしくそこから唯一読み取れた文字であるらしい。自分の名前すら忘れてしまっていただったが、それだけでも掬いあげられて良かったと鱗滝は言っていた。鱗滝はを剣士にするつもりはなかったのだ。怪我の後遺症かひどく不器用で、言葉を失っていた弊害か人見知りが激しく吃音があり、死に怯え続けていた恐怖だけが心に残った子ども。誰がそんな子どもを、戦場に送り出せようか。簡素ながらも可愛らしい柄の帯を結んでやり、小さな手に風車やおはじきを握らせてやり。膝に抱えたその子どもの手を取って、歪ながらも努力の跡の残る木彫りの人形を一緒に作った。は鱗滝に、一時の穏やかな夢を与えたのだ。「あの子が戻らないのはいいことだけど、ちょっとだけ寂しい」と、真菰が錆兎に語っていた意味を炭治郎は後に知った。娘や孫のように慈しんでいた子どもと暮らす山に、穏やかな夢を引き裂くように鬼が侵入して。鱗滝を案じるが故に言い付けを破ってしまったは、鱗滝の優しい日々は、彼の目の前で危うく殺されそうになった。鬼に殺されかけたことで死への恐怖を思い出したは、剣を望んだのだ。死を思い出してしまった今、死への恐怖をそのままには最早生きてゆかれない。恐ろしいものが全て消え去るまで、彼女を脅かす恐怖は拭われず胸にこびり付いたままなのだ。いずれ彼女を置いて世を去る鱗滝にできるのは、彼女を鬼殺の剣士に育て上げることだけだった。穏やかな夢は壊れ、それぞれに成すべきを成さねばならなくなった二人は親子ではなく師弟となった。師としては一切の手加減なくを鍛えた鱗滝だったが、を送り出した後は酷く沈んでいたらしい。最終選別から戻り隊服を纏って狭霧山を発ったを見送って、鱗滝は小さくなった着物を捨てることもできずに仕舞い込んだのだ。最初の任務に向かうの背中はあまりにも小さかったと、鱗滝はぽつりと語っていた。
 ――誰もあの子の修行を助けなかった。
――岩を斬れなければ良いと思ったの。きっとあの子に岩は斬れないと、みんな思っていたんだ。そうしたらは、狭霧山を出ていけないから。
 真菰の寂しそうな顔を思い出す。は独りで岩を斬ったのだ。たった独りで斬れるまで、斬り続けて。それは剣術でも才能でもない、ただの愚直だ。は努力ができる子だと、鱗滝は言っていた。料理も洗濯も読み書きも苦手だけれど、できるまで頑張れる子なのだと。それが功を奏したのか仇を為したのか岩を斬ってしまったは、頑張って鬼を殺し続けた。才能もなく戦友もなく、任務続きで狭霧山に帰れることもなく。なまじ柱より下の隊員は柱の露払いとなっているのが実情である。鱗滝に頼まれた義勇がを見つけるまで彼女が生き長らえたのは、本人の言うように幸運も大きいのかもしれなかった。それからは、義勇に叩きのめされるようにして生き急ぐ戦い方を矯正されて。帰る場所を新たに得て、鱗滝とも文を交わせるほどの日常のゆとりを手に入れて。聞けばは、任務を終えてもすぐに次の任務を鴉に訊いていたのだそうだ。見た目に痛そうな表情をしないこともあり、は他の隊員より少し多めに任務を回されてしまっていた。玄弥とはまた違うが、もある意味鬼を狩るのに積極的であったと言えよう。そんなの襟首を掴んで人らしい生活に引きずり戻したのが義勇だが、思えば義勇がを町に連れ出してもあれやこれやと見えるもの全てを説明してやるとは考え難い。黒引きの振袖や白無垢の話をすれば見覚えはあったようだったので、伊之助とは違い「祝言を見たことはあってもそれを言葉で何というのかを知らない」というのが正しいだろう。義勇はにできるだけのものを与えようとしているようだが、世間並みの常識は与えるのが難しいらしい。義勇がそれを知らない、或いは知っていてもさほど重要視していないという可能性もあるのだが、炭治郎はそこから敢えて目を逸らすことにした。なにぶん言葉の少ない義勇だから、の物言いがどこかたどたどしいのも日頃の会話が少ないせいだろう。さすがに猪と同等には語れないが、まあ似たようなものだった。

「俺はあのちんちくりんを『いつ冨岡と祝言挙げんだ?』ってからかったことがあるんだけどよ」
「…………」
「きょとんとされたからすっとぼけてんのかと思ったが、祝言知らなかっただけじゃねえか」
「…………」
「お前仮にも育ててる女に手ぇ出すなら、祝言くらい教えとけや」
「……手は出していない」
「『まだ』手は出していない、の間違いだろ」
 を迎えに来た義勇と、蝶屋敷に立ち寄っていた宇髄。ぴいちくぱあちくと小鳥のように騒がしい子どもたちの会話を聞いていたふたりは、そんな言葉を交わしていた。
「で? お前はホオズキカズラとやらをちんちくりんから貰ったら、何をお願いするんだよ?」
にやる」
「堂々巡りじゃねえか」
 なんだこいつら結婚もしていないのに既におしどり夫婦かと、宇髄は表情を歪める。こいつらにはホオズキカズラは要らないのかもしれないな、と思った宇髄だったが、何となくそれを口に出すのは癪なのであった。
 
190306
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