「結婚はしないんですか?」
 無邪気に尋ねてきた蜜璃の言葉に、義勇の眉間には深い皺が刻まれた。「まだ早い」と答えれば、しのぶが「やることやっておいて何を今更」と呆れた顔を見せる。その言葉にぴくりと反応した義勇だったが、蜜璃がきょとんと首を傾げたのでこの場でしのぶを問い詰めるわけにもいかずだんまりを決め込んだ。
「別にいいじゃないですか、結婚。むしろできるときにしておかないと、後悔するかもしれませんよ」
「…………」
「冨岡さん、ドジっ子ですし」
「違う」
 間髪入れずに飛ばした否定も、「どうだか」と鼻で笑うしのぶ。地が見えているんじゃないのかと思うも、それを口にすればまた面倒なことになるのは目に見えていた。
「そういえば、『まだ』っていうことは結婚する気があるのは否定しないんですね」
「…………」
ちゃん、絶対白無垢が似合うと思うの」
「それは同感ですね。黒引きの振袖も捨て難いですけど」
 どうしてこうも他人の色恋沙汰で盛り上がれるのかとは思うものの、同僚でありが世話になっている二人を嫌っているわけでもないので黙って話の種にされる居心地の悪さを甘受する。早くが戻ってこないかと思うものの、任務の後しのぶの屋敷に直接向かうと言っていたは炭治郎たちのおつかいに巻き込まれ、しばらく戻ってこないようだった。
「まあ別段早くもありませんよね。さん、正確な歳はわかりませんけど適齢期でしょうし」
「そこまで歳の差があるようにも見えないものね」
 適齢期、という言葉に義勇の心のどこかが痛む。鬼殺隊にいるとどうしても世間的な普通からは外れていくが、本来は嫁いでもおかしくない歳なのだ。墓に刻まれていた享年から計算すると、は十六かそこらだろうか。ちくちくと痛む罪悪感に胸を刺されつつ、の婚礼の姿を想像しようとする。普段あまり着物を着ないから、不器用なは振袖の扱いに困ってしまうかもしれない。そこまで考えて、はたと気付いた。
「どうしたんですか? 冨岡さん」
「大方、さんの振袖やら白無垢やらを想像したんじゃないですか」
「……できなかった」
「え?」
の着物姿を見たことがないから、想像できなかった」
 瞬間、その場の空気が凍りつく。思えば義勇は、の着物姿を見たことがない。記憶にあるの着物姿といえばあの血の海の一度きりで、その次会った時にはもうは隊服を着ていた。寝間着の浴衣を着物に含めるのなら一応見ていることにはなるのだろうが、義勇の知っているといえば隊服か、病人服かのどちらかだ。義勇も似たようなものだが、しかし。
「まさか、私服をひとつも持っていないなんてことは……」
「…………」
「沈黙はこの場合肯定ですよ」
「…………」
「というか、隊服が破けたときとかあったと思うんですけど……それこそちゃんが来たばかりの頃とか、」
「……俺の昔の隊服をやった」
「うわぁ……」
 まさかの義勇のお下がりを与えていたという事実に、女性陣ふたりはそれぞれに微妙な笑顔を浮かべる。それに決して良い意味が含まれていないことは、いかな義勇でも理解できた。
「ある意味、お下がりの隊服が私服なのかしら……」
「それを今まで一度も疑問に思わなかったっていうのがすごいですね、褒めてはいませんが」
 ちくちくと刺さる視線に、義勇はふいと顔を逸らす。そもそもろくな気遣いもできないのに女の子を引き取るなと言われればぐうの音も出なかった。思えばは、極端に私物が少ないのだ。給金をそっくり生活費として義勇に渡そうとするのを止めた覚えもある。「いいから貯めておけ」と半ば押し通すように跳ね除けたが、まさかすべて貯金してしまっているのだろうか。鱗滝や炭治郎たちと文を交わしたり、時折菓子を買っているほかには趣味らしい趣味もない。鍛錬と任務、健診に家事でそれどころではないのもわかっているが、なんと言うか、あまりにも不憫だった。
「……まあ私服は着る機会も少ないでしょうし、羽織の方が実用的というところはありますよね」
「そ、そうよね、隊服も便利だものね」
 義勇が落ち込んでいるように見えたのか、しのぶも蜜璃も慰めるような言葉を義勇にかける。「羽織、」と呟いた義勇の脳裏に浮かぶのは、やはり隊服姿のだったが。
 ――義勇さま、
 少し緊張した硬い表情と、揺れる藤の花の簪。藤色の羽織を隊服の上に羽織って、は義勇に任務前の挨拶をした。行って参りますと、頭を下げて。
 ――おかえりなさい、
 任務がないときのは、義勇のお下がりの隊服の上に割烹着を着て家事をしていることが多い。不器用なは余った袖を捲るのが下手で、よくずり落ちるそれを義勇が捲ってやっていた。切ってしまえばいいのにと思うものの、義勇はの袖を捲くってやるのが嫌いではなかった。
思えばの身の回りのものは、義勇の与えたものばかりだ。それもひどく偏っていることに気付かされ、頭を抱えそうになる。物を与えればいいというわけでもないのだろうが、考えてみれば「義勇の好きなものが好き」という言葉も、それしか知らないからかもしれない。いったい自分たちは今までどうやって過ごしてきたのかと思うものの、それは裏返せば義勇とにそういったことを考えるだけの余裕が生まれたということでもある。鱗滝に頼まれて初めて様子を見に行ったときは、記憶に残っていた顔に驚いて。が鬼殺隊に入った経緯を調べて、自分の行動が招いた結果を知った。あまりに痛ましくて見ていられないその姿に、贖わなければいけないと思って。そうして罪悪感と後悔に苛まれるままにを引きずるように連れて帰り、けれど真っ直ぐに向き合えなくて、家事や鍛錬を言い渡しては逃げるように任務に明け暮れた。親鳥の後をついて回る雛のように義勇を慕うが生き急ぐのを見ていられなかったけれど、言葉を躊躇った義勇は痛みを躊躇わないを打ちのめして、それでは生き残れないのだと教えることしかできなかった。何よりも恐れているはずの死に一番近いところで鬼を殺し続けるの根幹は、今でも変わらない。義勇に抱いている安心が、死や鬼への恐怖から来る無謀な行動を抑える箍になっているだけなのだ。それでも、ようやく「この先のこと」を考えるところまで歩いてこれた。義勇に許される幸せの在り処があるとするなら、きっとそれはの隣なのだろう。それは決して幸福なだけではない、痛みを伴う愛に違いないけれど。
「……そういえばさんも炭治郎君たちも、遅いですね」
 しのぶの言葉に、義勇は思考に沈んでいた意識を引き戻された。確かに戻りが遅い、と胡座をかいた膝の上に乗せていた拳を意味もなく握り締める。ただのおつかいのはずだが、何かあったのだろうか。迎えに行くのはあまりに過保護かと思いつつも、気になるのは確かで。
「いつもと逆ですね」
「……?」
 突然くすくすと笑い始めたふたりに、義勇は胡乱げに眉を寄せる。口元を手で隠して笑いながら、蜜璃が義勇の疑問に答えた。
ちゃんも、冨岡さんを待っているときそわそわしているの。伊黒さんは飼い主を待つ犬みたいだなんて言ってたけど……ふたりとも、顔には出ないのにわかりやすいから可笑しくて」
「……そわそわしていない」
 そう否定はするが、義勇を待つの姿は容易に想像ができた。行儀良く正座をして、物音がするたびにはっと顔を上げては違う人間の姿にしゅんと沈んで。そして義勇の姿を見ると、表情に乏しい顔をいっぱいに輝かせて義勇に駆け寄るのだ。あの嬉しそうな表情の中には、義勇の無事を喜ぶ意味もあったのだろう。慣れない感情に戸惑う様を微笑ましそうに見守られながら、義勇はを待つのだった。

「義勇さま、ただいま戻りました」
「ああ」
 それから暫くして、わらわらと戻ってきた子どもたち。それぞれにしのぶにおつかいの報告をしたり買い出しの荷物を片付けたりする中、は義勇の元にぱたぱたと駆け寄って挨拶をする。蜜璃は用があるとかで帰った後だから、面白がるような視線はしのぶのものだろう。それを努めて気にしないようにして、任務帰りのの様子を確かめる。切り傷がいくつも顔にできていて、義勇は眉間に皺を寄せた。少し血が滲んでいるそれの手当てもせずに、おつかいに付き合っていたのだろう。井戸を借りるかと思うものの、がそわそわと口を開く。
「義勇さま、あいすくりいむ、食べに行きませんか……?」
「あいす……?」
「お菓子なんです。冷たくて、甘くて、おいしかったです」
「食べたのか」
「はい、みんなで食べてきました」
「……また食べるのか?」
「はい、義勇さまと一緒に食べたいです」
「……そうか」
 珍しくはしゃいだ様子で菓子の話をするに、義勇の眉間の皺は気付かぬうちに緩む。それなら帰りにでも寄っていこうと言えばの瞳がきらきらと輝いた。しのぶに挨拶をして、帰途へと就くべくの手を引く。蝶屋敷の面々や炭治郎たちに別れの挨拶をしたは、にこにこと頬を緩めて義勇を見上げた。そんなに嬉しそうな表情をするほどアイスクリームが気に入ったのかと首を傾げる義勇の耳に、くすくすとさざめくような笑い声が届く。その笑い声の意味もの笑顔の理由にも気付かないまま、義勇はと共に歩き出したのだった。
 
190321
BACK