実のところ柱だの継子だのになれる人間は、人としての螺子を飛ばしてしまっているのではないかと後藤は疑っている。今、彼の目の前で途方に暮れた表情を浮かべ転がされているなども、鬼殺隊に稀によくいる問題児のひとりである。とはいえ彼女はかなり良心的な部類であり、気難しく思える義勇と彼に怯える隠たちの緩衝材になってくれる稀有な人材なのだ。「義勇さまは優しいひとなんです」と吃りながらも一生懸命言葉を重ねるに、その真偽がどうあれ隠たちが和んでいるのも事実だ。例え訓練で骨が折れるほど叩きのめされるを見て彼らが優しいという言葉の意味を辞書で引いたとしても、の義勇を慕う様は心癒されるものがある。臆病ではあるが素直で親切で礼儀正しく聞き分けがよく、まともに話が通じる貴重な良心。けれど悲しいかな、良心的という言葉と常識的という言葉は、似通った印象だとしても決して等しくはないのである。
――端的に言うと、は縄で縛られて布団の上に転がされていた。きゅるるると、間抜けな腹の虫が鳴く音も、はっきりと後藤の耳に届いたのだった。

「動けなくて! 困ってんなら! 人を!! 呼んで!! もらえますかね!?」
「申し訳ありません……」
 後藤に縄を解いてもらったは、これまた後藤が作ったおかゆをはぐはぐと口に運んでいた。聞けば、熱があるのに家事をしようとして「病人が包丁を持つな」と縛って転がされたのだとか。朝は義勇が握り飯を食べさせてくれたらしいが、その後義勇は急な任務で出ていってしまったらしい。縛ったまま忘れられたは、「義勇さま、しのぶ様いわく『ドジっ子』だそうなので……」と別の意味で隠たちが震え上がるような恐ろしいことを口にした。
「鴉に人を呼ばせるとか、できなかったんですか?」
「私の鴉、無口で……任務以外だと、ほとんど喋らないです」
「どう考えても人選……いや鴉選が悪いですね、それは」
 どうして引っ込み思案のに無口な鎹鴉をつけるのか。時透のように、煩くて過保護な鴉をつけてもらった方がいいだろうと後藤は溜め息を吐いた。どのみち、縛られて忘れられてもぼんやりと芋虫になっていたも大概である。蛙の子は蛙、水柱の継子は水の呼吸っ子なのだ。後藤は近い未来彼らの弟弟子である炭治郎にも胃を痛めることになるのだが、当然そんなことを知る由もない。天然、頑固、脳筋剣士。本人がどう思っていようと結局のところ、も水柱の継子であるということなのだろう。
ちなみにその翌日帰ってきた義勇は、と後藤の姿を見て怪訝そうな顔をしていたが事情を聞いてハッとした後肩を落としてに謝っていた。本当にうっかり忘れていたらしい。どことなくしょんぼりとした様子でに慰められている義勇の姿に、本当に実はいい人なのかもしれないと後藤は思ったのだった。

様はお可愛らしいですよね。水柱様、案外面食いなんですかね?」
「はあ?」
「だってあんな女の子が、継子になれるくらい鬼を斬れるように見えます?」
 今朝そう言っていたのは、かの『藤の君』を見てみたいとかなんとかふざけた理由で任務に志願した新人の隠だった。その新人がげぇげぇと朝食を吐き出しているのを見て、「だから食いすぎんなよって言っただろ」と後藤は新人に袋を突き出した。
「……なんですか、あれ」
「継子の様だよ」
 には姓が無いから、誰にでも下の名前で呼ばれている。あの性格と外見だから威圧感を与えるどころかむしろ親しまれやすく、悪く言えば威厳はないし舐められやすい。だからこそ新人の彼は気軽に後藤について来て、そして情けなくも自らの吐瀉物で服を汚す羽目になったのだろう。
「ほら、片付けんぞ」
「え……」
 確かに今回は、どちらかと言えば凄惨な方だ。まさに今人間の死体を貪っていた鬼のねぐらへと、は踏み込んでいったのだから。鬼は死ねば体が崩れて消えてしまうが、人間の死体はそうはいかない。消化されかけた状態で鬼の腹から洞窟の地面に撒き散らされた肉片や骨の欠片を、後藤は拾い集めて袋に収めていく。のろのろと立ち上がった新人を、早くしろとせき立てた。
様、だいたい滅多切りだからな。綺麗な現場の方が少ないぞ」
「嘘ですよね……」
「継子になれるくらい、鬼を斬ってんだよ。この通りな」
 鬼の手に掴まれていた生首は洞窟の入口に。鬼の履いていた草履は洞窟の奥に。鬼の着物は千々にちぎれ、苦し紛れに鬼が振り回した鎌は刀に弾かれて洞窟の天井に突き刺さっている。激流が通り過ぎた後のような光景を見て、新人は青ざめていた。
「これ、あの子がやったんですか」
「一緒に見てただろうが、それより手を動かせよ」
 なまじは体が小さく腕力がない分、手数に頼らなければならない部分が多いのだ。後藤たちにぺこりと頭を下げて次の任務へと向かったの姿からは想像もつかない惨状に新人は慄くが、後藤は淡々と事後処理を進めていく。惨たらしくはあるが、これがの必死なのだ。なりふりや美意識に構っていて鬼を殺せるほどは強くない。以前はここにの血も飛び散って、あらぬ方向に曲がった腕や脚を見下ろして途方に暮れるがいたことを思えば今の方がよほどいい。
「継子なんだよ、あの子も」
「……惨いですよ、あんな子どもにこんなことさせて」
「みんな思ってるっての」
 けれど自分たちはの代わりに鬼を斬ることはできないのだ。あんな子どもよりよほど大人なのに、刀を握ることを代わってやれない。鬼に立ち向かうことも、痛みを負うことも、代わってやることなどできないのだ。後藤の横で誰かの腕を拾い上げた新人の背を、ばんっと叩いたのだった。

 また、ある任務のときの話だ。義勇の背中を追いかけていくの姿を見て、今日は義勇と一緒なのかと微笑ましい気持ちになった後藤だったが。任務後の彼はそれどころではなくなっていた。
「あー……水柱様、私たちが運びますので」
「必要ない」
 いやアンタの持ち方がどう見てもおかしいから代わらせろって言ってるんだよ、そう思いはしてもさすがに柱に面と向かってそんなことを言う度胸はない。義勇に首根っこを掴まれてぷらーんと吊られているにももう少しちゃんと苦しそうな顔をしてほしいと、後藤は痛む胃を抑えた。
「なぜ俺を庇った」
「申し訳ありません……反射的に、」
「まず第一に自分の身を守れ、馬鹿者」
 ダラダラと血を流している腕をそっちのけに、そんな説教をしないでほしい。心配なのはわかるが、何よりも手当てが先だろう。雨に濡れた仔犬のように憔悴するは、ついさっきの戦闘で義勇と鬼の間に入って怪我をしてしまって。背後からとはいえ攻撃に対応できたであろう義勇は、が自分のために怪我を負ったことに怒っていた。普段のむっつりとした不機嫌そうな表情は機嫌が悪いわけではなく常の表情なのだと気付けるほどに、今の義勇の目には明確な怒りが浮かんでいて。ようやっと宙吊りから降ろしたかと思えば、俵担ぎにして運んでいく。「もっと傷に優しい運び方して!?」と、思わず後藤は階級差も忘れて叫んだのだった。
ちなみにその後止血だけはしたを抱えて、義勇は後藤たちを置いて全速力で帰っていった。噂ではその後、折檻として尻を叩かれたは骨に罅が入ったらしい。「あなたが叩かなければ軽傷でしたよ」と、しのぶに怒りの笑顔を向けられたのだとか。お尻ぺんぺんだなんて可愛い罰だな、結局水柱様も藤の君には甘いんだな、そんなことを言って笑っていた隠たちを凍りつかせた話のオチに、後藤もまた背筋を震わせたのだった。
 
***
「……ちゃんさあ」
 鮭を捌くの隣で、大根を桂剥きにしていく。きょとんと首を傾げたに、後藤は言葉の続きを口にすることを躊躇った。実のところよりよほど料理上手な後藤だが、例え不格好な切り口の大根でもあの水柱がの作った料理を本当においしいと思って食べているであろうことは知っていた。だからこれは半分嫌がらせのようなものだ。残りの半分は、純粋にへの親切心だが。もう少しのことをきちんと見てやれと思うものの、が義勇になんの不満も抱いていないことは知っていた。だからこれは、ただの野暮だ。
「水柱様のこと、好き?」
「はい、大好きです」
 屈託のない笑顔と、躊躇いすらない答え。こうして周りの目のないときは気安く話すようになった今でも、義勇がに優しくしているところは見たことがない。行動の理由を紐解けば確かにそこには優しさがあるのだろうが、あれを優しさだと胸を張って言えるの螺子はやはり外れているのだろう。どちらかと言えばの好きは、飼い主に酷い目に遭わされても構ってもらえたことに尻尾を振る犬のそれだ。そんな失礼千万なことを思ってしまうけれど、揺れる藤の花の簪だとて首輪のようなものだろう。あだ名がつくほどに藤色を与えられたを見て、鬼殺隊の人間が背後に連想するのは義勇の姿だ。どこにが落ちていても、きっと鬼殺隊の人間ならば義勇の元にこの子どもを返そうと思うだろう。あれで案外義勇は心配性なのかもしれなかった。
「義勇さま、優しいんです」
ちゃんよ、優しいって言葉の意味知ってるか?」
 冗談混じりにそんなことを言えば、ぷくっとが頬を膨らませた。たいそう可愛らしい表情だが、その頬や目の下に残る殴られた痣は先日の義勇の訓練の産物だったはずだ。そんな顔したって騙されないからな、と後藤は思った。
「義勇さまといると、安心するんです」
 ふんすと胸を張るに、「安心ねえ」と後藤は呟く。あの不機嫌顔に安心するなんて、大物だなあと。まあ仲良くて何より、とどこか投げやりに肩を竦めた後藤にが嬉しそうに頷くから、やるせない気持ちになる。きっと鬼狩りになんてならなければは義勇と出会わなくて、それでもこんな笑顔を浮かべていたのだろうか。ひとりの大人としてひとりの子どもを心配する後藤だったが、もしもの話に意味はない。それでも何となくと義勇には長生きしてほしいと、そうぼんやり思う後藤なのであった。
 
190329
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