ぎゃははは、と大きな笑い声に、茶を運んでいたは飛び上がりそうになった。おそるおそる襖を開けたは、部屋で笑い転げる柱たちの姿に目を瞬く。煉獄と、不死川と、宇髄と、しのぶ。それぞれに笑い声をあげる横で、義勇ばかりがむっすりと黙り込んでいた。
「おいちんちくりん、聞いたかよ」
一番大きな笑い声をあげて腹を抱えていた不死川が、の肩に手を乗せる。それを目にした義勇の眉間の皺が深くなったが、不死川はそんなことに頓着せず笑いながらの肩をばしばしと叩いた。
「お前の師範、怪しいヤツだと思われてしょっぴかれそうになったらしいぞ……!」
「えっ……義勇さま、大丈夫だったんですか……!?」
「問題なかった」
「よ、よかったです……」
「優しい継子で良かったじゃねぇか、冨岡。俺たちと違って笑わないで心配してくれてよ」
「胡蝶がいなければ、連行されるところだったらしい。縛り上げられたのだそうだ」
「しのぶ様、ありがとうございます……!!」
「冨岡さんにも、このくらい可愛げがあればよかったんでしょうけど」
「いや気持ち悪いだろ」
深々と頭を下げるにしみじみと呟くしのぶと、ばしばしとの背中を叩いて笑い転げる不死川。可愛げのある義勇を想像したらしい宇髄は、真顔で気持ち悪いと呟いた。
「しかし冨岡、人と話す能力に欠けていると任務に支障が出るのではないか?」
「煉獄に言われたくはない」
「む、そうか?」
「冨岡さんと煉獄さんだと、まずいのは明らかに冨岡さんですけどね」
「少なくとも煉獄には人徳があるしな」
「……」
「継子に助けを求めたぞこいつ」
「どうせそいつお前の味方じゃねぇか」
「えっ、えっと、義勇さまは誤解されやすいですけど、すごく真摯で優しいですし……疑われても、後からみんなわかってくれていますし……人徳ならきっと、煉獄様にも引けをとりません」
「……」
やいのやいのと言われてに視線を向けた義勇は、両の拳をぐっと握り締めて語るに目を見開く。雰囲気が目に見えて柔らかくなった義勇の背を叩いて、煉獄がにっこりと笑った。
「できた継子を持って幸せだな、冨岡!」
「冨岡さんはさんに甘やかされていますね、大いに」
「そんなふうに甘やかしてると、こいつ一生根暗のままだぞ」
「根暗じゃない」
「けどどのみち出てるんだろ、任務に支障」
「世の中みんなが澄さんじゃないんですよ、冨岡さん」
「…………」
「おい胡蝶。そんなこと言ったりしたら、冨岡は世の中みんながちんちくりんになった想像すんだろうが」
「えっ、義勇さま……?」
「…………」
まさかそんなはずがあるまいと義勇を見上げるだったが、隣の義勇の表情は心做しか緩んでいて。
「ちょっと和んでやがるぞこいつ」
「気持ち悪ぃな、誰か殴れ」
「ぎ、義勇さまを叩かないでください……!」
「なんでそれを俺に言いやがる」
「お前が真っ先に殴ると思われてんだろ、不死川」
「おう、いい度胸してんじゃねぇかチビ」
「ひえっ」
「…………」
不死川の鋭い眼光を向けられてすくみ上がったの肩を掴み、義勇が険しい顔で前に出る。すわ乱闘かと楽しそうにしているのは宇髄ばかりで、煉獄は不死川を抑えは義勇の腰にしがみついた。「も、申しわけありません」と涙目で見上げて謝るに、義勇の眉が下がって。
「おお、鎮まった」
「ちんちくりんに左右されすぎだろ」
「冨岡さん、さんがいないと生きていけないんじゃないですか?」
「……? 俺がいないとが生きていけないんだろう」
「はい」
「うわ真顔で言いやがった」
「も真顔で頷いて……」
「こういうとこだよこいつら」
「まあそんなことより、任務をどうするかですよね。次も私が通りかかるとは限らないですから」
「うん? を連れて行けばいいではないか」
煉獄の言葉に、義勇とはぱちりと目を瞬く。一緒に暮らすうちに似てきたんじゃないかと、宇髄はつかぬことを思った。
「ああ……確かにさんなら、冨岡さんよりはよほど聞き込みに向いていますね」
「そりゃこいつと比べりゃ誰でもそうだろ。チビはチビでビビりじゃねえか」
「いや、案外悪くないんじゃねえか? ちんちくりん、ご近所さんには評判いいみたいだしよ」
が来るまで幽霊屋敷呼ばわりされていた家屋と、「何をやっているかわからない」とひそひそ噂されていた義勇。がやって来て近所付き合いをするようになってからは、だいぶその印象が変わったのだとか。「あのいい子があんなに慕う人間なら少なくとも悪人ではあるまい」と、まあ人の噂などその程度のものである。
「生き別れの兄妹が一緒に暮らすようになったとか、微笑ましい噂もありましたよ」
「きょうだい……」
「まあ、見えなくもないな」
「兄妹弟子だしな」
「…………」
「駆け落ち説もありましたけどね」
「ごほっ」
「人の噂は何でもありだな」
「なんでてめぇがこいつらの噂に詳しいんだよ」
「情報収集の一環ですよ」
それより、としのぶは指を振る。駆け落ちという単語に噎せたの肩を抱き寄せて、しのぶは艶やかに笑った。
「どうせなら、徹底的に『らしく』やってみませんか? 町の子に見えた方が、すんなり話を聞けることもあるでしょうし」
「まあ、爺婆に可愛がられそうなナリだしな。その辺のガキみたいにさせとけば……」
何やら意気投合したらしいしのぶと宇髄に連れられて、は別室に連れていかれる。咄嗟に立ち上がって引き留めようとした義勇だったが、「女性の着替えを覗くつもりですか?」としのぶに冷たい視線を向けられて再びその場に座らざるを得なかった。
「……いや、宇髄も行っただろ」
「!!」
「そういえばそうだな」
まさかの不死川からのまともな突っ込みに、一拍遅れて義勇が立ち上がる。そのまま襖を蹴破らんばかりの勢いで飛び出していった義勇を見送った不死川と煉獄の耳に、宇髄の叫び声が届いた。
「何しやがる冨岡! 俺はまだ部屋に入ってねぇだろ!!」
顔を見合わせた不死川と煉獄は、黙って温くなった茶を啜る。
「……まあ、そうなるよな」
「うむ」
「どうせ化粧とか髪とかの担当だろ、宇髄は」
「そうだろうな」
「あいつ馬鹿だな」
「継子想いなのだろう」
「……この茶、苦ぇんだけど」
「そうか? うまいぞ」
それから何度か激突の音がして、最終的に宇髄としのぶの二人がかりで義勇がぽいっと煉獄たちのいる部屋に捨てられる。
「…………」
転がされたまま真顔で見上げてくる義勇に、煉獄と不死川はの淹れた茶を差し出したのだった。
「見てください冨岡さん、蟲柱と音柱の自信作ですよ」
「派手に町のガキどもに溶け込めるぜ」
それから少しして、しのぶと宇髄に連れられて出てきた。もじもじと指を組むを目の前に、義勇はぽかんと口を開けた。
「うむ、愛らしいぞ!」
「そういうのは普通、冨岡が一番に言うことなんじゃねぇのか?」
「うん? そうなのか、それは悪いことをした」
快活に笑う煉獄と、「まあ悪くねぇな」と言う不死川。路地裏や河川敷で遊んでいそうな子どもの格好になったに、義勇は思わず胸を押さえた。ちょーんと佇むは、足首が見える程度の丈の、小花柄の着物を着ていて。隊服が似合わないとは常々思っていたが、ここまで普通の子どもだとは思っていなかった。
「これで顔に泥でもついてりゃ、完璧にその辺のガキだな」
「顔の傷はちと多いが、化粧してた方が不自然だろってことでそのままだ」
「宇髄さんの手持ちの着物があって助かりましたよ」
「宇髄は女装趣味なのか?」
「馬鹿野郎、嫁んだよ。任務に使うから借りてきてたとこだったんだっての」
「……冨岡さん? あんまり無反応なのもいかがかと」
「へ、変でしょうか……?」
「…………攫われる」
不安そうに見上げるの肩を掴んで、義勇は呟いた。その言葉に固まったその場の空気は、不死川が「ぶっ」と吹き出したことによって弾ける。
「どんだけ心配性なんだよこいつ!」
「一応剣士だろ、ちんちくりんも」
「攫われる」
の首に腕を回してがっちりと抱え込み、ふるふると首を横に振る義勇。「さ、さらわれないですよ?」と訴えるだったが、義勇はを見下ろして「駄目だ」と真剣な目で言った。
「冨岡さんは過保護ですねえ」
「この間も怪しい男に声をかけられていた」
「それお前だろ」
「違う」
「さんも鬼殺隊の剣士ですよ? その辺の男ならのしてしまえるでしょう」
「は腕相撲でも俺に勝てない」
「比較対象が冨岡なのはどうかと思うが……」
「ぎ、義勇さま、私がんばりますので」
「駄目だ、人攫いに遭う」
「石頭かよ」
が実際に人攫いに遭っている過去を想起した義勇にとっては大真面目に洒落にならない懸念であるのだが、いかんせん本人がそれを覚えていないのである。心の柔らかいところに痛みが直撃した義勇は、ふるふると首を振り断固却下の姿勢を崩さない。
「だめだこいつ、聞く耳持たねぇ」
「こういうところですよね」
「こういうところだよな」
「また連行されるぞ」
「……とにかく、これは駄目だ」
「じゃあ隊服でいいだろ、とりあえずこいつ連れて行け。代わりに会話させろ。いざとなりゃお前が背後から睨み効かせれば解決だ」
「……なるほど」
「が、がんばります」
「解決なのか? それ」
「だんだんどうでもよくなってきましたね」
「胡蝶、お前こいつらで遊んでただろ」
そんな他愛のない話をわいわいと繰り返しながら、柱たちとの夜は更けていく。結局その後ずっと義勇は膝の上にを抱えたままだったが、誰もそれに突っ込む者はいなかったのだった。
190403