どんっと、後ろから脚に衝撃を受けてはきょとんと視線を落とす。ちんまりとした人の形に、どうして子どもがとは首を傾げた。蝶屋敷で最年少であろうきよたちではないその子どもは、ぎゅううっとの脚に強く強くしがみついている。目線を合わせてやりたいがしゃがむこともできないので、は「あの……?」と声をかけてその子どもの頭におそるおそる触れる。顔を上げた子どもに、は驚愕して目を見開いた。
「ぎ、義勇さま……!?」
……」

 いわく、任務で妙な血鬼術を食らって子どもの姿になってしまったらしい。や鬼殺隊のことはわかるが、意識や思考の大半は子どもの姿に引き摺られているため義勇自身にも説明のつけられない行動や言動をとってしまうのだそうだ。突如子どもの姿になった上に自分の思うように行動できないという負担は如何ばかりだろうと、は痛ましげに義勇の柔らかい髪を撫でながら話を聞いていた。子どもになってしまっているせいで要領を得ない説明をどうにかの足りない頭で繋ぎ合わせると、治療兼保護のため蝶屋敷に連れて来られたはいいが他の柱たちに見つかり喧騒から逃げてきたらしい。不安でいっぱいの中を見つけて拠り所にしてくれたと思うと、守らなければという思いがの胸に湧き上がる。どうにか喧騒を避けてしのぶの元に連れて行かなければと、は脚にしがみついたままの義勇を見下ろした。
「義勇さま、わたしが絶対に義勇さまを守りますので、どうか安心してください」
「……うん」
 上目遣いでを見上げてこくりと頷いた義勇は、の心臓をどくりと脈打たせるほどに愛らしくて。こんな状況で不謹慎だと自身に言い聞かせるが、大きな目をくりくりと動かしてにしがみつく義勇はとても可愛らしい。庇護欲という感情を知ったは、胸元でぐっと拳を握り締めた。
「義勇さま、私が一緒について行きますので、しのぶ様のところに戻りましょう」
が言うなら……」
 脚にしがみついていた義勇が、おそるおそる離れての指に触れる。その手をそっと握ると、義勇はどこか安堵したような表情でぎゅうっとの手を強く握り締めた。小さな指が、柔らかい手が、ぽかぽかとした体温がに縋っている。は廊下を窺って人目を避けながら、義勇を送り届けるべく小さな手を引いた。
「――柱から逃げれると思ってんのかァ?」
「っ!?」
 突如背後から聞こえた声に、は反射的に義勇を庇いながら振り向く。いつの間にか背後に迫っていたのは実弥で、は咄嗟に義勇を抱えて走り出した。けれど数歩も行かないうちに首根っこを掴まれ、は「きゅっ」と妙な悲鳴を上げる。それでも義勇を離そうとはせず逆に庇うように抱き締めたに、実弥はを振り向かせて吊ったまま面白くなさげに舌打ちをした。
「澄チャンよォ、そいつを渡せ」
「か、カツアゲ反対です……」
「胡蝶ンとこに連れてくだけだァ」
「義勇さまが、こ、こわがってますので」
「こいつが怖がるわけねェだろ」
「で、でも、私がちゃんとしのぶ様のところにお連れしますので、他の皆さんには、」
 抱っこした義勇を必死に庇って、少しでも実弥から遠ざけようとする。そんなの姿に実弥が苛立たしげに舌打ちをするが、確かに気に食わない水柱の珍しい失態に面白がる気持ちがあったのも否めない。ぷるぷると震えながらも必死に大事な師範の幼い姿を守ろうとするに、実弥は気まずげに頭をかく。ぺいっとを放り出した実弥は、ジト目で見てくる義勇からは努めて目を逸らしてに告げた。
「……俺もついてってやるよォ」
「えっ、」
「ガキの持ち方が下手くそなんだよ」
 咄嗟のことだったとはいえ、は小さな子どもの面倒を見た経験などなく抱き方は実弥の指摘通りぎこちない。実弥の指導を受けつつ抱き方を直したの腕の中の義勇は、確かに収まりが良くなったようで。しのぶの持っている図鑑に載っていたコアラとかいう動物のようだと、に抱き着く小さな義勇の姿に実弥は顔を顰める。つい兄としての血が騒いでにあれこれと教えはしたが、歩かせれば良かった話ではないだろうか。けれどはどことなく機嫌の良さそうな義勇に嬉しそうに目を細めて歩き始めたから、実弥も黙ってついて行くしかなかった。
「……義勇さま、おしゃぶりですか?」
 あむあむと指を食む義勇を見下ろして、は優しい声で問いかける。子どもの意識につられていた義勇はハッとしたように口から指を離すが、今は子どもだからとに気にしないように言われての胸元にぐりぐりと額を押し付けていた。本来であれば目にすることのなかっただろう義勇の幼い姿に、はにこにこと頬を緩めている。どうせおしゃぶりをする姿すら可愛らしく思えているのだろうと、隣を歩きながら実弥はげんなりと肩を竦めた。
「あ、」
「!?」
 けれど、次に義勇が手を伸ばしたのはの髪で。肩口でさらさらと揺れる髪が気になったのだろうか、もしゅもしゅと口に入れて食んでいる。はといえばどこか微笑ましげになされるがままで、いくら子どもの姿とはいえ師範がそれでいいのかと実弥は引いた表情を浮かべる。の羽織をぎゅっと握り締め、あむあむと髪を口に入れている義勇が全く羨ましくないと言えば嘘になる。けれどそれを態度に出してしまえば何かに負けるような気がして、精々元に戻ったときにこの話でからかってやろうと実弥は決意するのだった。
「義勇さま、もうすぐしのぶ様のお部屋に着きます」
「……ん」
 ん、じゃねえよマジでガキかよと内心思いつつ、実弥はスパンと襖を開ける。そこには伊黒や宇髄たちが揃いも揃って正座をさせられているという珍妙な光景があって、笑顔で振り向いたしのぶは「あら」とにこやかに三人を迎えた。
さんが冨岡さんを連れて来てくれたんですね、ありがとうございます。いくら冨岡さんとはいえ迷子にでもなっていたらどうしようかと」
「い、いえ、義勇さまから、来てくださったので……」
「ああ……冨岡さんは小さくなっても冨岡さんですねぇ」
「…………」
「義勇さま、しのぶ様に診てもらいましょう……?」
「うるさい部外者には静かに正座してもらってますので、安心してくださいね」
「…………」
「義勇さま?」
 ぎゅっとにしがみついたまま離れない義勇に、が首を傾げる。薄っぺらいの胸元にぐりぐりと顔を押し付けるようにして顔を隠す義勇は、どう見ても離れるのを嫌がっていた。おろおろと慌てるが優しく背中を叩いて下りることを促そうとするが、埋まろうとしているかのように義勇はぐいぐいと頭を押し付け続ける。「困りましたね」と頬に手を当てたしのぶの横で、ぶちっと実弥の血管の切れる音がした。
「本当のガキでもねェのに、駄々こねてんじゃねェぞ……!」
「あっ、実弥様、乱暴はだめです……!」
「テメェも甘やかしてんじゃねェよ!」
 義勇を庇おうとするの手を振り払い、実弥は義勇の首根っこを掴んでから引き剥がそうとする。けれど義勇は凄まじい力でにしがみついて離れない。「コアラみたいですね」と奇しくも同じ感想を口にしたしのぶに手伝えと言うものの、非力を理由に断られる。がっちりと両手両足でしがみつく義勇を剥がそうとすると、軽いの方が引き摺られてしまうのだ。
「おい胡蝶、薬とか打てねェのかよ」
「うーん……子どもの体に薬は、ちょっと危険ですし」
「さ、実弥様、義勇さまが痛そうです……」
「離れねぇこいつが悪ぃんだろうが」
 主に実弥だけが引き剥がそうと必死になるが、子どもの体のどこにそんな力があるのやら、義勇が剥がれることはなく。無理にから離そうとしても頑なになるだけだと、ひとまず義勇が落ち着くまで様子を見ることをしのぶは提案するのだった。

「義勇さま、眠たいですか?」
「……ねむくない」
 縁側に腰かけたの腕の中で、くしくしと目元を擦りながら義勇は首を横に振る。明らかに眠そうだったが、は優しく義勇の頭を撫でた。義勇のためならば枕にでも布団にでもなろうと、は思う。目を離せばがいなくなるからとたどたどしい言葉を連ねてと離れることを拒んだ義勇に、気の済むまで一緒にいさせてあげようとしのぶが気を遣ってくれたのだ。義勇の身に降りかかった珍事件を面白がっていた柱たちは追い返され、義勇とはのんびりと午後の日差しを浴びている。ぎゅっとの羽織を握り締める小さな手は、こんなことが起こってもを守ろうとしてくれているのだ。可愛らしくとも格好いいと、は義勇への慕情を深める。とはいえやはり子どもの姿では眠気に耐えるのも限界があるようで、の心音を子守唄に義勇はうとうとと眠りに落ち始めた。胸に寄りかかる義勇の頭を、ぽんぽんと一定の間隔で優しく叩く。子守唄のひとつも歌えないことを、少しだけ寂しく思った。
……」
「はい、義勇さま」
「離れたらいやだ……」
「離れません、義勇さま。ここにいます」
「……ほんとうか?」
「はい、本当です」
 ふっくらとした頬が、の胸元に押し付けられてむにっと潰れていた。もごもごと籠った声で、義勇は続ける。
「いま、俺はこんなすがただから……近くにいてくれないと、まもれない……」
「義勇さま……」
「おれが、を守らないと……」
 むにゃむにゃと呟きながら、義勇はついに睡魔に意識を明け渡す。義勇を守ろうなどとは考えていたが、子どもの姿になってさえ我が身よりを守ろうとする義勇にぎゅっと胸が締め付けられるようだった。苦しくないように、それでもきゅうっと腕の中の義勇を抱き締める。この世界の何もかもから、この幼い優しさを今だけでも守りたかった。このまま戻らなければ、義勇はもう戦わなくて良いのだろうか。を守ろうとして、傷付かなくても良いのだろうか。それがきっと叶わないことを知っているから、は眠る義勇をしっかりと抱き締めた。
(柔らかい、)
 もちりとした頬に、自らの頬を重ね合わせる。もし、もしも義勇との未来を先の先まで望めるなら。もしも、義勇との間に新しい命を繋ぐことができたなら。そのときは、こんなふうに愛おしくて尊い宝物をこの腕に抱けるのだろうか。それはきっと、には望めない未来だろう。だから、今だけだ。今この時だけ、そんな「もしも」を夢見てみる。柔らかくて、小さくて、温かい。守るべき命をこの腕に抱く幸福を、今だけ享受しても良いだろうか。ふにふにとした頬と自らの頬をくっつけて、静かに目を閉じる。を守ってくれる優しい温もりを、も守りたかった。
「――あら、」
 しばらくして二人の様子を見に来たしのぶは、縁側に転がる姿に目を瞬く。そこには元の姿に戻った義勇が、にしっかりとしがみついて眠っていて。も義勇の頭をぎゅっと抱え込んで寝息を立てている。微笑ましい光景に、しのぶは目を細める。起きたときが面白そうだという理由で、しのぶは彼らを起こさず静かにその場から立ち去るのだった。
 
190627
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