「いや、すまんな冨岡! まさか本気で締め出されるとは思わなかった」
「まったくだ」
「冨岡妹も突然すまないな! うまい飯をありがとう」
「い、いえ……」
もりもりと飯を平らげた煉獄は、曰く父親と喧嘩をして家から締め出されたのだとか。弟と母親が父親を説得しているらしいが、その間行く宛もなく。同僚の困り事に知らん顔をするほど、義勇は冷たい人間ではない。そういう経緯で今日は冨岡家に世話になることになった煉獄だったが、煉獄のに対する呼称に義勇は眉を顰めた。
「妹じゃない」
「む、そうなのか? では冨岡娘か」
「子どもでもない」
「確かに年齢的には無理があるな。では何だ?」
「……え、っと」
「何でもいいだろう」
戸惑うと、くだらないと言わんばかりの義勇。夕飯が終わったのならさっさと明日の支度をして寝ろと言う義勇に、煉獄はそれもそうだと頷いた。
「客間は二階だ。必要なものは揃えてある」
「足りないものがあれば、おっしゃってください」
「何から何まで、世話になるな」
「構わない。にさえ気を遣ってくれればそれでいい」
「えっ?」
「ああ、もちろんだ」
「、お前も年頃の女子だということを自覚して行動するように」
「あっ……はい」
そういえば義勇相手に意識したことはなかったけれど、普通家族でもない男女は適度な距離を置いて接するものだ。煉獄が何かするというわけではないが、異性がいることを意識して行動しろと言う義勇に、何も考えていなかったはぽかんとした後顔を赤らめて俯いた。まるで修学旅行の夜だな、と煉獄は笑う。
「枕投げでもするか?」
「しない。 ……、なぜそこで残念そうにする」
「も枕投げをしたかったんだろう! いやしかし、女子ならば『恋バナ』なるものの方が良いのか?」
「この面子でする話に思えるか?」
「それもそうだな!」
テキパキと食器を下げる煉獄と、それを洗って乾かしていく義勇。客人の手を煩わせることにおろおろと落ち着かなさげにしていただったが、義勇に「先に風呂に入れ」と言われぺこりと頭を下げて風呂に向かった。
「はいい子だな」
「ああ」
「きっと良い嫁になる」
並んでほのぼのとしていたはずの男二人だったが、突然の煉獄の発言に義勇がぶほっと吹き出す。この男も動揺を表に出すことがあるのかと、煉獄は珍しいものを見る目を義勇に向けた。義勇は義勇で、朴念仁だと思っていた煉獄の突拍子もない言葉に信じられないものを見る目を向ける。
「ん? 兄妹でも親子でもないなら、好い仲ではないのか?」
「まだその話を続けるのか……」
「続けてはいけないか?」
「必要があるのか?」
「要不要の話でいうのなら、まあ無いのだろうな」
肩を竦めた煉獄は、水切りかごに置かれた食器を手際よく拭いていく。何が言いたいのかと訝しむ義勇に、快活な笑みを向けた。
「いやなに、宇髄が『スカポンタン師弟』だの『会話のドッジボール師弟』だの君たちのことを愚痴っていたものだからな。俺も興味がわいた」
「…………」
「真剣な話をすると、だ。単純に心配している。君たちの関係は、どうしても誤解を招きやすい。二人とも言葉が少ないから、余計にな」
大きなお世話だと跳ね除けようかと思ったが、煉獄が好奇心や悪意で義勇とのことに首を突っ込もうとしているわけではないと義勇にも解っていた。
「家族だとしか、今は言えないが……俺が教育実習生だったときの話だ」
「うん?」
キュッと蛇口を締め、義勇は濡れた手を拭く。そのままぽつぽつと語り出した義勇の言葉に、煉獄は静かに耳を傾けた。
「遠方の大学に通っていたから、実習先も向こうで選んだ。受け持ちのクラスにがいて……孤児院から里親に引き取られたが、どうにも上手くいってなかったらしい。表立っては、何事も無かったが」
詳らかには語らない義勇だが、その当時がどういう状況にあったのかは煉獄にも予想がつく。苦々しい顔で、義勇は続きを口にした。
「俺は何も気付かなかったし、何もしてやらなかった」
「…………君のせいではないだろうに」
「そうかもしれないな。だが教師になって数年して、あいつを拾った」
「拾った? それは……」
「言葉通りの意味だ。拾った」
それから色んな人の手を借りてを引き取って、今は戸籍の上では鱗滝の養子ということになっている。当時のは今とは比べものにならないほど、陰鬱な表情をした子どもだった。
「……罪滅ぼしのつもりだったのか?」
「最初はそうだった。今はわからない」
今にして思えば、先の見通しが甘過ぎた。子どもの面倒など見たこともないのに、ただ見ていられなかったからとを引き取って。鱗滝のところに毎日家事を習いに通う義勇の服の裾を握り締めて、もついてきた。「人の面倒が見れるのか」と義勇を心配する鱗滝に、「わたしが義勇さんの面倒をみます」と答えて笑わせたが結局本当に義勇の世話をしているのだから、情けないことこの上ないのだが。鱗滝の元で引き取るという話も当然出たが、は義勇の背中にしがみついて離れなくて。
「助けてやりたかったつもりが、俺がずっと助けられている」
「後ろめたいのか」
「……ああ。は、俺のことを覚えていなかった」
助けてくれなかった大人のことなど、きっと覚えていない方がいい。けれど、義勇を慕うを見る度に罪悪感が募る。
「に話すつもりはないのか?」
「話して楽になるのは俺だけだ。自分で思い出すのならまだしも」
「罪に思うなら、責めさせてやってもいいだろうに」
「責められて終わった気になるのも俺だけだ」
「……うむ、面倒だな!」
パンっと布を広げた煉獄は、自分から問いかけたくせにバッサリと義勇の話を切り捨てる。それでも嫌な感じがしないのは、煉獄の人徳というものだろう。
「しかし冨岡、それならもう少しスパルタ教育を改めたらどうだ。傍から見ていると、時々可哀想だ」
「俺がいなくても生きていけるくらいの強さは必要だろう」
「そこは『俺が一生守る』とでも言うべきではないのか?」
「いい加減な口約束で期待させる方が可哀想だ」
「難儀だな」
お前もも、と煉獄は苦笑する。それに応えることはなく、義勇はもう話は終わったとばかりに口を閉ざしたのだった。
「冨岡すまん、充電器を貸してもらえないだろう……か……」
夜更けに父親から罵声半分謝罪半分の電話を受けた煉獄は、赤くなってしまった電池残量に慌てて義勇の部屋であろう明かりの漏れる部屋の襖を開けたのだったが。
「……すまん、ここはの部屋だったか」
「いや、説明していない俺が悪い」
互いに小さな声で、義勇の部屋と充電器の場所を確認する。物が少ないながらもどことなく子どもらしい部屋は、煉獄の弟である千寿郎の部屋にも似ていた。は布団に包まって寝ているが、布団から出ている小さな手は義勇の手を縋るように掴んでいる。は眠ってはいたけれど、閉じられた瞼の隙間からはぽろぽろと涙が零れ落ちていた。何か見てはいけないものを見てしまったような居心地の悪さに、煉獄は早々に部屋から去る。義勇も煉獄も、のことには触れなかった。
(ああして、ついてやっているのか)
声もなく、助けを求めることもなく、ただぽろぽろと泣く子ども。毎晩のことか時々のことかはわからないが、泣くを見つけた義勇はああして傍らで何をするわけでもなく見守っているらしい。ただ縋られるままに手を握り返して、起こしてやることも涙を拭ってやることもできず。冨岡義勇という人間の誠実さと不器用さがただ、あそこにはあった。
兄妹でも、親子でも、恋人でもないけれど、それでも家族だと義勇は言う。もきっと、同じことを言うだろう。良いか悪いかは煉獄の考えることではない。ただ煉獄もあの二人の距離を、どう言い表したものかわからなかった。宇髄たちには黙っておこう。布団に身を横たえた煉獄は、今しがた見た光景を胸の奥へとしまい込む。とても哀しくて綺麗なものを、目にしたような気がした。
190218