「義勇さん……!」
「なんだ」
「あの、これ、」
「……桃の節句だからな」
 朝起きてきたは、リビングにちょんと鎮座している可愛らしい雛人形に気付いて義勇に駆け寄った。ふいと顔を逸らしながらも告げた義勇に、はぱあっと顔を輝かせる。「ありがとうございます」と本当に嬉しそうに言うに「菓子でできているから後で食べられる」と告げれば、は驚いた顔をした後に雛人形を近くで見に行っていた。まだまだ花より団子かと思いつつも、当然悪い気はしない。ほわほわと嬉しそうに雛人形のケーキを眺めるを横目に、義勇はジャージの袖を捲りエプロンを装着する。いつもは仕事の都合もありに家事を任せがちな義勇だが、保護者から子どもに贈るべき行事まで任せにしていてはあまりにも不甲斐ない。鱗滝からもらったレシピを冷蔵庫に貼り付け、ちらし寿司の準備へと取りかかる。作り置きの朝食を食べて炬燵で宿題をし始めたにおそるおそると見守られながら、義勇はの健やかな成長を祈るべくまず米を研ぐのであった。

「何で自分ちで、派手に防犯ブザー鳴らしやがる!」
「す、すみません、反射で……!」
 耳を劈くような防犯ブザーの音に、義勇はエプロン姿のまま玄関に駆けつける。応対に出たに危機が迫ったのかと思い全力疾走した義勇は輩先生こと同僚の宇髄の姿を認め、そしてそのまま蹴り出そうとした。
「何すんだテメェ!!」
「宇髄に会ったら迷わずブザーを鳴らせと教えたのは俺だ」
「今はそこ聞いてねぇんだよ! どういうテンポで会話してんだそれでも教師か! エプロンが地味に似合ってねえんだよ!」
「似合う似合わないの問題じゃない」
「そこに反応すんな!」
「あ、あの、義勇さん、宇髄先生は悪くなくて、」
「そうなのか」
「先にその話をしろよ!!」
 あっさりと足を引っ込めた義勇に、「ったく」とぼやきながらも宇髄は提げていた包みをに押し付けた。
「俺の女房からの差し入れだよ。須磨がいつも世話になってるらしいな」
「い、いえ、須磨さんにはいつもお世話になって、ます」
「おう、須磨の話し相手になってくれてるってな。冨岡のこと待つのは構いやしねぇが、地味に遅くまで残るんなら気ぃ付けろよ」
 聞けばが義勇を待つ間、須磨がのことを見てくれているらしい。購買の伝票整理がてら図書館で話し相手になってくれる須磨の明るさに、も打ち解けているようだ。意外なところで縁を持った須磨は、桃の節句に向け甘酒を拵えていた雛鶴に頼んでの分を一緒に作ってくれたらしい。料理上手な雛鶴や「人様に差し上げるものだから」と厳しくダメ出しをしたまきをの監督の甲斐あって、須磨自身も「これは大丈夫!」と胸を張って言える出来になったのだとか。今度お礼をしなければ、と思いつつも甘酒を包んだ風呂敷を受け取ったの頬は緩む。その顔をぱしゃりと撮った宇髄は、義勇の睨みもどこ吹く風で「嫁への土産にする」と言って帰っていったのだった。
「……宇髄の妻と知り合いだったのか」
「はい、時々須磨さんのお手伝いをしているうちに、よく話すようになって……」
「手伝い?」
 須磨は購買の店員だが、よくドジをしているらしい。なんとなく見過ごすこともできなくて毎度手を出してしまうに、「優しい子ですね!」と笑ってくれたのだとか。須磨のドジは最早学園の名物と化しているほどだが、はそれに嫌な感情を抱いたことはないらしい。
「その、義勇さんも、私の失敗……嫌がらないで、くれたので……」
 卵焼きに卵の殻が入ってしまったり、義勇の服を色移りさせてしまったり。今となってはほとんど思い出せない昔は、誰かに鈍間や愚図と言われていた気がして、それは本当のことだとは思う。けれど義勇は一度もを頭ごなしに怒鳴りつけることはしなかったし、厳しかったけれどのことをいつも心から案じてくれていた。失敗ひとつを見て、お前はダメなやつだなどとは言わないでくれたから、だからは本当に安心したのだ。ちゃんと叱ってくれて、心配してくれて、一緒に歩いてくれる義勇がいたから、は誰かの失敗を笑わない人間になれた。
「……そうか」
「はい、そうなんです」
 淡々とした言葉とは裏腹に、も義勇も表情は柔らかい。炊飯器のピーッという電子音に急かされ、ふたりは居間に戻ったのだった。

「伊之助、ダメだって! それは先輩の分! 伊之助の分はさっき食べただろ!?」
「俺がここまで持ってきてやったんだから、俺のもんだろ」
「どうしてそうなるかなあ!? 炭治郎も何か言ってやってよ!」
「実はさんの分はこっちにあるんだ」
「何!? 豚二郎のくせにやるな!」
「えっそれ俺知らないんだけど! なんで!?」
「――人の家の玄関先で騒ぐな」
 わいわいと玄関先でひなあられを巡る攻防をしていた三人は、おろおろとするの背後から現れた包丁片手の成人男性の姿に慄く。善逸などはその姿を見た瞬間、レクイエムの怒りの日が脳裏に鳴り響いたと後に語ったのだった。
「……鱗滝さんたちから、ひなあられを預かってきてくれたんだそうです」
「どうしてあそこまで騒がしくなる」
 男子高校生三人を殴り飛ばし庭先での腕立て伏せを言い渡した義勇は、炭治郎たちのために茶を用意するの隣で卵焼きを細く切って錦糸卵を作っていた。炭治郎は葵枝と鱗滝のお使いで、伊之助と善逸はそれぞれの保護者に持たされたのだとか。伊之助の性格を見越して彼の保護者は伊之助にふた袋、炭治郎にひと袋預けていたらしい。無事の手に渡ったひなあられを、はお茶請けに取り分けていた。鱗滝はともかく、伊之助や善逸の保護者からなぜひなあられが届いたのかと思えば、「いつもうちの子がお世話になって」ということらしい。義勇の知らないところで案外は交友関係が広いのだなと、ビビリのはずのの人間関係に義勇は感心を抱いたのだ。
「義勇さん、おひとつどうぞ」
「ああ」
 の差し出したひなあられを、ぱくりと食べる。行儀は悪いが、こういうこともたまにする分には悪くない。妙に静かになった庭先を見れば、炭治郎たちが窓越しに義勇たちを見て慄いていて。何に対しての反応かわからず訝しげに首を傾げた義勇は、「三十回追加!」と容赦ないノルマの増加を言い渡したのだった。

、大きくなったか?」
「は、はい!」
「……昨日会ったばかりだろう、学校で」
「む、そうか? では一日で背が伸びたのかもしれないな、!」
「はいっ、このまま大きくなって、義勇さんと同じくらいになるんです……!」
「…………」
「どうせなら、冨岡を抜くくらいの気概でいなければな!」
「…………」
 今度の来客は煉獄兄弟である。の好物であるおはぎを「母が作りすぎてしまったから、お裾分けに持っていけと言われた!」と届けに来てくれたのだとか。昨日どころか去年の春と比べても些とも変わっていない身長の話に、義勇はあからさまに訝しげな色を浮かべる。妙な期待をに持たせるなと言いたいものの、まあが楽しそうなので良しとした。
「こ、こんにちは、冨岡先生、先輩」
「ああ」
「こんにちは、千寿郎くん」
 そういえば千寿郎は図書委員だったかと、義勇は穏やかに挨拶を交わす生徒ふたりを見て思い出す。が図書館に日頃世話になっているのならば、千寿郎とも既知の間柄なのだろう。また道場に顔を出してくれとに言う杏寿郎に、義勇は首を傾げた。
「道場?」
「ああ、この間うちに寄ったついでにな。ああ見えて父も喜んでいたから、よかったらまた来るといい!」
「は、はい!」
先輩、兄はこう言いますが無理はしないでくださいね」
「ありがとう、千寿郎くん」
 詳しく経緯を尋ねれば、図書館で屯する不良に絡まれた千寿郎を庇いに入り、共に不良から逃げ惑ったことがあるのだとか。そのとき転んで膝を擦りむいてしまった千寿郎を煉獄家に送り届けたついでに、道場やら夕飯やらの世話になったらしい。いつの話か尋ねれば、ちょうど義勇が引率で数日留守にしていた間の話で。
は立派に風紀委員の務めを果たしているぞ! 存分に褒めてやってくれ」
「れ、煉獄先生、そんなことは、」
 にこにこと笑っての背中を叩く杏寿郎と、顔を赤くして慌てる。苦笑する千寿郎がさり気なく杏寿郎の手を止めて、それから少し他愛ない話をした後に兄弟は帰っていく。ずっしりと重たいおはぎは、本当は作りすぎたのではなくのために作ってくれたのだろう。千寿郎の話では、意外とは煉獄家と親交があるらしい。そういえば町内会活動に行ったときも何やら挨拶を交わしていた。義勇の知らないところで、なりにしっかりやっているのだ。後輩を守るために、不良の前に入ったりして。臆病なのに、校内で迷っている伊之助に道を教えてやったりだとかカツアゲされている善逸のために義勇を呼んできたりだとか。在庫をひっくり返して困っている須磨に、勇気を出して話しかけたりだとか。義勇の知らない時間のは、案外逞しくやっているようだった。
「……よく頑張ってるな」
「!?」
 ぽん、と頭に手を乗せて、柔らかい髪をかき回すように撫でる。驚いたように肩を跳ねさせただったが、嬉しそうに目を細めて義勇の手に頭を預ける。一生懸命がんばるということは、それだけできっと才能だ。否、才能かどうかなどもどうでも良いのだ。ただはがんばっている。義勇がそれに対してかけてやるべき言葉は、ただひとつだ。偉いなと、褒めてやりたい。
「義勇さんの、おかげです」
「……そうか」
「はい。義勇さんの、おかげなんです」
 頭に乗せた義勇の手に自分の手を重ねて、は拙くも笑顔を浮かべる。義勇がに与えてやれるものはそう多くはないのかもしれないけれど、は色んな人に与えて、与えられている。きっとそれでいい。
「……今日の夕飯はちらし寿司だ」
「! はい、楽しみです」
 なんだかんだで時間のかかってしまったちらし寿司だが、は心底嬉しそうに笑う。健やかであれと、多くの人に祝福されている大切な存在。すくすくと育つに義勇もささやかながら祝福を与えられればと、小さな手を引いて居間へと戻るのであった。
 
190312
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