「いや、派手に組み分け間違ってんだろ」
 そう呟いたのは宇髄である。その隣でくじを配っていた雛鶴も、思わず苦笑いをした。
「わ、わたしがふたりを、ま、守りますので」
「あはは……がんばろうね……」
「先輩とはいえ、女性に守られるわけには……」
 と、善逸と、千寿郎。肝試しのくじ引きでチームになった三人は、参加者たちの中でも群を抜いて臆病で気弱な部類に入る。偏った組み分けに宇髄が呆れるものの、厳正なるくじ引きの結果なのだ。キメツ町内会主催の肝試し大会において、ビビリの頂点に立つ三人がチームを組むという事実は動かしようがなかった。
「い、行こっかふたりとも……」
「は、はい!」
「がんばりましょうね……!」
 ここに残っていても宇髄にしばかれるだけだと知っている善逸が震える声で拳を突き上げ、と千寿郎も真似をして拳を上げる。情けない声の合唱に、宇髄夫妻は顔を見合わせて不安しかない三人組を見送ったのだった。

「ふ、雰囲気あるね、あはは……」
 善逸の乾いた笑い声が、夜の森に溶けていく。年長としての使命感で年下を守ろうとすると、女の子の前で情けないところは見せられない善逸、兄や父への憧れから自らを奮い立たせる千寿郎。どういう並びでコースを歩くか相談した結果、ビビりでありながらも互いに譲らない彼らはを真ん中として手を繋いで歩いていた。チームにひとつの懐中電灯は、一番冷静そうという理由で千寿郎が持っている。鎮守の森で神社を中継地点として一周するコースは、十分間隔で歩いているはずの他の組の様子などわからないくらいには広い。深い森が音を全て飲み込んでしまって、物寂しい雰囲気に誰ともなしにごくりと唾を飲み込んだ。
「な、何かお話しでも、しませんか?」
「おはなし、ですか……?」
 千寿郎の提案に、がきょとんと首を傾げる。の隣の善逸が、少しだけ顔色を明るくして頷いた。
「黙ってるより、楽しい話でもしてた方が気が紛れそうだしね!」
 確かに、とも頷く。善逸の手も千寿郎の手も、緊張のせいか冷え切っている。きっとの手も同じだ。このまま怯えながら歩くよりは、明るく話ができたらいい。けれど口下手な自分に楽しい話ができるだろうかと、頭を悩ませるに千寿郎がおずおずと問いかけた。
「母が、先輩の料理の手際を褒めていました。先輩は、日頃から料理をしてらっしゃるんですか?」
「料理っていうか、家事全般を先輩がしてるんでしたっけ?」
「は、はい、義勇さんは忙しいので、私が」
 千寿郎の母である瑠火に手際が良いと褒めてもらえたのは、不器用なにとっては嬉しいことだ。へにゃりと頬を緩めて頷いたに、千寿郎はきらきらと尊敬の目を向けた。
「先輩、すごいです。僕はまだ、火を使う料理はさせてもらえなくて」
「千寿郎くんも料理の手伝いするんだ? えらいなぁ」
 純粋に感心したように言ったのは善逸で、千寿郎は照れ照れと笑う。千寿郎からの憧れの眼差しに含羞んでいたは「でも、」と口を開いた。
「私もね、最近までは、ひとりで火を使ったことがなくて」
 中学生までは、「危ないから」と火を使った料理は固く禁じられていたし、その分レンジを使った料理のレパートリーが多かった。高校に上がってから、鱗滝や義勇の付き添いの元での火の使用が解禁されて。今では、義勇が家にいるときに限ってコンロを使っている。
「……案外、過保護なんですね?」
「冨岡先生らしいといえば、らしいような……?」
 少し意外そうに首を傾げているふたりに、はくすくすと笑う。料理も家事も、好きな人たちが喜んでくれると思えば全く苦ではないし楽しい。けれど、はどうにも昔から洗濯も料理も掃除も下手だった。始めのうちは上手くいかなかったことばかりで、失敗談をぽつりぽつりと話せば可笑しそうに笑いながらも「嫌にならなかったんですか?」と二人は首を傾げた。失敗続きで、周りは皆学校から帰れば遊んでいる子どもたちばかりなのに、と。
「全然、嫌なんかじゃなくて、楽しくて……これは義勇さんには、内緒なんです、けど」
 義勇に内緒という言葉に、善逸は些か青い顔で、千寿郎は真剣な顔で頷く。引き取られたばかりの頃のことを思い返しながら、自然と頬は緩んでいた。義勇は優しくて、何でもできて、家事だってよりずっと得意だった。は最低限の手伝いさえしてくれればいいと、鱗滝のところに家事を習うのについてくるを微妙そうな顔で見下ろして諭したこともあった。子どもには子どものやるべきことがあると。それでもどうしても義勇の役に立ちたくて、半ば意地を張ってついて行っていた。そんなある日、鱗滝の家に集まっている子どもたちのままごとに巻き込まれて。日頃「『はなよめしゅぎょー』だ!」とをからかっている年下の子たちの勢いに押されて、あれよあれよと「およめさん」のポジションに座らされ。わけもわからず他の子どもに引っ張ってこられた義勇は「だんなさん」で、はおませな女の子たちに求められたセリフを口にしたのだ。
 ――おかえりなさい、あなた。
――……? ああ、ただいま。
「……いつか本当の『およめさん』になりたいって、思ったんです」
 流されるままに、それでも当たり前のようにの言葉に頷いてくれた義勇。どうしてか、きゅうっと胸が高鳴って。その時からずっと、の夢は「およめさん」だ。義勇のためという理由は、少しだけ形を変えた。幼い日の決意と淡い憧れは、日々の幸せに育てられながらずっとずっとの理由であり続けている。
「先輩、一途なんですね……」
「ぎ、義勇さんには、内緒にしてくださいね」
「はい、絶対言いません!」
 普段はあまり温度を変えることのないその頬が、ぽかぽかと赤く染まっている。義勇のことが苦手な善逸は若干青い顔をしながらも微笑ましそうにしていて、千寿郎は目を輝かせながら頷いた。
「それに、義勇さん、案外ドジっ子だったり、不憫だったりするところもあって」
「ドジっ子……!?」
「不憫……?」
 照れ照れとしながら「冨岡先生」にはそぐわない形容をするに、慄く男子二人。そんな二人の反応に首を傾げながら、は幼い頃を思い返す。
「犬に吠えられて落ち込んでた義勇さんを見て思ったんです、義勇さんにずっとついていてあげたいって」
 引き取られたばかりの頃のにとって、義勇はかっこよくてすごい神さまのようなひとだった。自分を助けてくれた人ということも相俟って、まるで崇敬にも似た気持ちで慕っていた。今思えば、そんなの眼差しに義勇が居心地悪そうにしていたような気がする。それでもにとって義勇は絶対の存在で。そんな人がある日犬に吠えられてしゅんと落ち込んでいたとき、の胸には初めての感情が過ぎったのだ。守りたいとか、助けたいとか。そんな感情を抱いて初めて、神さまよりも絶対の存在は一等大切なひとになった。義勇には、とても言えないけれど。義勇が「ひと」だと知ったとき、愛しさというものを理解したのだ。この人にずっとついていてあげたい。その気持ちがあったから、『この人のおよめさんになりたい』という考えに繋がったのだと思う。
「先輩、本当に一途ですね」
 夜の不気味な森の空気が、惚気話の甘酸っぱい空気へと塗り替えられたいく。つないだ手はぽかぽかと温かくなっていて、肝試しの怖さはすっかりどこかへ消え失せていた。三人でほのぼのと家事の話――善逸の兄貴分はいつも善逸に皿洗いを押し付けるだとか、千寿郎が可愛らしい花の形に切ったさつまいもを杏寿郎が絶賛してくれただとか――に花を咲かせていると、ふいにガサリと茂みが大きな音を立てる。先ほどまでの緩んだ空気はどこへやら、ぴゃっと飛び上がって手を強く握り合うたち。脅かし役とわかっていても、怖いものは怖いのだ。暗闇の中から、伸びる白い手。「ヒイッ」と善逸が掠れた悲鳴を上げた横で、はぱちりと目を瞬いた。
「……義勇さん?」
「えっ」
 きょとんと首を傾げるやいなや、軽やかに駆け出していく。繋いだ手に引っ張られ、お化け(仮)の方に引き摺られて慄いたのは善逸と千寿郎である。「ちょ、ちょっと先輩!?」「せ、先輩!? どうされたんですか!?」と制止しようとするものの、は頬を上気させて善逸と千寿郎諸共お化けに突っ込んで行った。
「義勇さん!」
「……
 平然と駆け寄ってきたに、幽霊に扮していた義勇は困ったような様子で眉を下げる。元の顔立ちが綺麗な分、シンプルな白帷子に身を包み血色を悪く見せる化粧をした義勇の幽霊姿は中々に背筋を凍らせる恐ろしさがあったのだが。尻尾があれば左右に勢いよく振れていそうなほど嬉しそうなは元より、ぽかんとした顔の善逸と千寿郎すら怖がっている様子はない。今までここを通った参加者全員を絶叫させた義勇の幽霊姿は、ビビりの頂点三人組だけを驚かせることができなかったようで。義勇がどんな格好をしていようが肝試しの最中であろうが飼い主を見つけた犬のように駆け寄ってくると、そんなに巻き込まれ恐怖や驚きを忘れてぱちぱちと目を瞬いている二人。最も心配されていた三人組が、最も恐ろしい義勇を前に悲鳴一つ上げていない。義勇が義勇である限り、が義勇を見て抱くのは喜びだとか嬉しさだとかそういった感情だけで。善逸と千寿郎は、あまりにも肝試しらしからぬ事態に呆然として驚くことも忘れているようだ。
「義勇さん、幽霊の格好も素敵です」
「素敵か……?」
「髪を下ろしていて、白い着物姿で、かっこいいです」
「……そうか」
「……先輩の美的感覚、よくわからないけど……」
「なんだか、今更怖いとも思えなくなってしまいましたね……」
 滅多に見られないであろう義勇の仮装にはしゃぐと、そんなの勢いにタジタジになっている義勇。青白い肌にべったりとついた血糊すら、ニコニコと笑うの前ではどこか微笑ましいものに思えてくる。一通り義勇の格好を眺めて満足したらしいに、義勇はそろそろ先に進むようにと促して。上機嫌なの温かい手に先導されて、善逸と千寿郎は暗闇へと再び踏み出していったのだった。

「善逸、おかえり! 元気そうでよかった」
「ああ……うん、ただいま炭治郎……」
 その後無事ゴールへと辿り着いた善逸は、ご褒美のラムネを抱えて炭治郎たちのいる河川敷へと腰を下ろす。は錆兎や真菰たちに呼ばれて、鱗滝のところで肝試しの終了と義勇の帰りを待つらしい。千寿郎を瑠火の元に送っていくと言って善逸を見送ったは、それはもう可愛らしい笑顔だった。
「紋逸の叫び声が聞こえてくるかと思ったけど、全然だったな!」
「そういえば、善逸はさんと千寿郎くんと一緒だったっけ? 周りが怖がってると逆に冷静になれるってやつかなあ」
「馬鹿野郎、周りが怖がってたら俺も一緒に怖がるに決まってるだろ」
 感心したような炭治郎たちの視線は、善逸の堂々とした情けない言葉ですぐ生温かいものに変わった。しかしそれならどうやって無事に帰ってきたのだろうと、炭治郎は首を傾げる。伊之助は既に興味を失くしたようで、肝試しが終わったら全員でやる予定の花火を手に取って眺めている。「まだ袋は開けちゃダメだぞ」と伊之助に言い聞かせてから、炭治郎は善逸に疑問をぶつけた。
「ああ、それは先輩が……」
さん?」
「最初に冨岡先生に会えたのが、すっごく嬉しかったみたいでさ……その後ずっとニコニコ笑顔で進んで行くから、お化け役の方が怖がって出てこなくて……」
「そっかあ……」
 確かに、不気味な夜の森を笑顔で闊歩する少女がいたらそちらの方が怖いだろう。しかも、それが普段表情に乏しいとあらば尚更だ。内緒の惚気話に花を咲かせた直後に、意中の人と出会えた恋する乙女の強さたるや怪異何するものぞといったところである。善逸と千寿郎は上機嫌なに手を引かれ、何事も無く戻ってきた。まあ、実弥だけは満面の笑みのに慄くことなく律儀に脅かそうとしてきたのだが。「不死川先生、こんばんは!」とに満面の笑みを向けられて、その眩しさに撃沈していた。恋する人間ほど恐ろしく美しい生き物はいないから、実弥がの笑顔に敵わなかったのもむべなるかなといったところで。肝試しの醍醐味がぶち壊しであるが、善逸としては別に叫びたかったわけではないのでそこはむしろに感謝する気持ちもある。ただ、なんというか。
先輩、本当にあの人のことが好きなんだなあ」
 毎日スパルタで鍛えられて、そのくせ過保護にされて。わけがわからないと怒るどころか、あんなにも義勇のことを好きでいる。何がにそこまでの好意を抱かせるのか、善逸にはさっぱりわからない。少しだけわかるのは、昔はにとって義勇は神さまで、今は大好きな人だということくらいだ。前々から薄々とわかっていたことではあるが、はどうやら義勇といて幸せらしい。大好きな先輩が幸せなのは喜ぶべきことだが、その相手があの義勇だというのはやはり、善逸には不可解なことで。
「恋ってよくわからないよな、炭治郎」
「うん? そうだな」
 使い古された言葉ではあるが、結局一番怖いのは人の心だなあと善逸は思う。幽霊しかり、わからないものは怖いものだ。肝試しが終わり森からぞろぞろと出てくる脅かし役の中、義勇を見つけて真っ直ぐに駆け寄っていくを眺めつつ、善逸は隣の炭治郎にぼやいたのだった。
 
200513
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