が煉獄杏寿郎に初めて出会ったのは、義勇の継子になって少し経ってからのことだった。
「ここで待っていろ」
柱合会議に出ないわけにもいかず、さりとて生傷だらけのをひとり家に置いておくわけにもいかず。さすがに産屋敷邸まで連れて行くわけにはいかなかったが、義勇はを中継地点のひとつに近い藤の家へと預けて行った。知らない人間にはついて行くなと、少なくとも五回は義勇が言っていた気がする。それでものことが心配だったのか(何しろはいつもぼうっとしているように見える)、義勇は自分の羽織をに被せて言った。
「これを見れば、鬼殺隊の人間にはお前が俺の関係者だと判る」
犬や猫に首輪をつける飼い主のようだと、隠たちに思われたとかそうでないとか。義勇はぶかぶかの羽織に包まれて眠そうにしているを藤の家に預けて、注合会議へと向かったのだった。
「…………」
口にこそ出さないものの、は暇を持て余していた。「水柱の継子」という肩書きに真面目な隠は萎縮してしまい、「包帯でぐるぐる巻きの女の子」という見た目に気さくな隠も遠慮してしまうのである。この藤の家の家人はに対しても低姿勢で、偉い人にするように頭を下げられてしまった。誰にも構ってもらえずに、日当たりのいい部屋でぽかぽかのんびりと空を見上げていた。けれどそれも次第に飽きてくる。義勇はの身の安全には気が回ったが、子どもがひとりで他所の屋敷に置いていかれては退屈すぎるということをまるで考えなかったのである。もっともそれができないからこその義勇であると、言えなくもないのだが。なまじは聞き分けがよく大人しい子どもであったから、普通の子どもとしての感性を義勇は見落としてしまっていたのだろう。
「…………ん」
ぽて、とは縁側に座った姿勢のまま後ろに倒れ込んでみたりする。普段ならこんな行儀の悪いことはしないが、あまりに陽射しが気持ちいいことと暇すぎるせいでの気も緩んでいたのだろう。そのまま横にころんと転がると、イグサのいい匂いがしては眦を緩めた。いそいそと草履を脱いで、一応綺麗に並べておく。きょろきょろとしつつ辺りに人の気配がないのを確認すると、そのままぽすっと畳にうつ伏せになった。ころころと部屋の端まで転がっては、また反対側まで転がってみたりする。義勇がここにいたなら我が目を疑っただろうが、当然ここに義勇はいない。畳にぴとりと頬をくっつけてみたり、畳の目を数えてみたり。しばらくそうしてひとりごろごろしていたは、ふとイグサとは異なる匂いに気付いて。ふわっと香ったその匂いは、義勇の羽織から発せられていた。
(義勇さまのにおい、)
ぶかぶかの袖に顔を埋めて、すんすんと匂いを嗅いでみる。義勇は香など焚かないしが自分の着物と一緒に洗濯しているはずなのに、の匂いとは違っている気がした。義勇の匂いのする羽織に顔を埋めていると、とても安心する。義勇同様乏しいの表情筋が、ふわりと緩んだ。ぎゅっと羽織を抱き締めてから、顔を上げる。真上からの顔を覗き込む大きな瞳と、目が合った。
「……ッ!? ……!!?」
思わずズササッと大きな音を立てて後退する。は記憶にある限り一番の驚愕に、自分の心臓がひっくり返っていないことを確かめるように何度もぺしぺしと胸を叩いた。まったく、ちっとも、これっぽっちも気配を感じなかったのである。あまりに心臓に悪すぎる。
「…………」
「…………」
の寿命を数年単位で縮めたと思われる青年は、一言で表すのなら炎のようななりをしていた。燃える炎のような髪に、煌めく焔のごとき瞳。意志の強そうな濃い眉、威風堂々を体現したかのごとき立ち姿。揺らめくようにさえ見える羽織も炎を模していて、その存在感たるや太陽そのものである。常に自然体で静謐な水を思わせる義勇とは、対極にあるような青年だった。
「その羽織、冨岡の縁者か!」
「はっ、はい、」
声も耳を突き抜けていくようなどっしりとしたもので、ずんずんと近寄ってきた青年には気圧されて怯える。真っ青な顔で義勇の羽織をぎゅっと抱き締めたを、ひょいっと青年は抱き上げた。
「もしや君が、冨岡の継子か!」
「い、一応、そういうことに……なって、います……」
「一応? 自身を卑下するのはいかんぞ! あの冨岡がまさか継子をとるとは思わなんだ!」
義勇を呼び捨てにしているということは、この青年も柱なのだろう。全身から威厳と威圧感が溢れているかのような青年は、煉獄杏寿郎と名乗った。炎柱の、煉獄杏寿郎。まさに目に焼き付くようなその存在が眩しくて、は何度もぱちぱちと瞬きをした。
「それにしても君がああやって暇を潰していたということは、冨岡はまだ戻らないのか。ここで落ち合う約束だったのだが……いやはや、どこで油を売っているのだろうな!」
見られていた。ものすごく見られていた。義勇がこの人と何やら約束をしていたらしいのも初耳だが、あんなだらしのない姿を見られていたことにの耳は真っ赤に染まる。義勇の顔に泥を塗ってしまいかねない軽率な行動を深く反省するだったが、杏寿郎は一人反省会をしているを担いだまま庭に降りようとしていた。
「よし! 少女、冨岡を迎えに行くぞ!」
「えっ、だ、だめです……!」
「む? 何故だ」
「義勇さま、ここで待ってろって……知らない人について行っちゃいけない、とも、」
「そうか……なら、ここで待つことにしよう」
納得したらしい杏寿郎は、しかしを下ろそうとはしない。それどころか、高い高いをするかのようにを持った腕を突き上げた。
「ひぇ……っ!?」
「冨岡を待つ間、俺が遊び相手になってやろう! なに、これも鍛錬というものだ」
掠れたような悲鳴が、の喉の奥から絞り出される。けれど不幸にもその声は、杏寿郎以外の耳には届くことなく消えたのだった。
「俺の継子は重傷だと言ったはずだ」
が義勇に救出されたのは、三途の川を渡りかけたまさにその瞬間だった。正座をして向かい合う二人の柱の姿など、一般隊員には中々見れないものだろう。けれどは頭まですっぽりと義勇の羽織を被って、義勇の背中にひしっとしがみついていた。子どもとはいえ普段はこんな甘えるような行動をとらないの珍しい行動に、義勇は形容し難い表情を浮かべていた。
「すまん! つい弟と同じように遊んでしまった」
「…………」
「……その、少し張り切りすぎたことは否定できない。すまなかった」
善意で遊んでくれたことは、にもよく解っている。だから責める気など毛頭なかったけれど、単純に疲弊しすぎていて声が出なかった。何というか、玉遊びの玉にでもなったような気分だった。ぽんぽんと投げられ、転がされ、お手玉にされ。怪我を痛めないようにしてくれたし、楽しかったのは、事実ではあるが。如何せん体力の差というものがありすぎた。柱の人外魔境ぶりを身をもって思い知らされたは、ぐわんぐわんと未だに揺れているような頭が静まるのを必死に待っていた。
「……以前借りた書を返す。助かった」
「これぐらい、いつでも言ってくれ!」
そのまま、二人の会話は少し続いた。どうにも義勇は杏寿郎と書物の貸し借りをしているようだった。産屋敷邸で本の貸し借りをするわけにもいかなかったのだろうが、話の内容から察するに人を介しての受け渡しも躊躇われる書物なのだろう。自分がここにいても良いのだろうか、と思うものの義勇たちが良しとしているから自分に構わず話すのだろう、とは思った。義勇の背中にくっついていると、にとっての安心の匂いがする。けれどふと香ったのは、イグサでも義勇のでもない匂いで。
(お日様の匂い、)
ぽかぽかとして、少し落ち着かなくてどきどきするような、そんな暖かい匂いがする。は今薬草の匂いばかりだから、これはもしかしたら杏寿郎の匂いかもしれない。そう考えると、何故だか耳まで熱くなって。そのままうとうとと眠りに落ちてしまったを、義勇は起こさなかった。杏寿郎も、すうすうという穏やかな寝息に気付いたもののただ微笑ましそうな顔をする。
「――他人を育てることは時に、自分が育つことより難しいかもしれんぞ?」
「ああ、わかっている」
大きく育てと、杏寿郎は笑う。義勇が大事にしている継子。この時はまだのことを、そうとしか思っていなかったのだった。
190218