義勇があの暗い地下でを見つけたとき、真っ先に過ぎったのは後悔だった。
 ――間違えた。
 首輪と鎖で繋がれた少女は、部屋に踏み入った義勇をぼうっと見上げた。その瞳に、知己に対する気付きはなく。彼女が自我さえ曖昧になるほど記憶を失ってしまっていたと知ったのは、保護して数日が経ってからのことだった。
『……隠れて生きろ。いいな』
 義勇がと初めて出会ったのは、義勇がセンチネルとして目覚めて間もない頃だった。慣れない任務で、超感覚を使い過ぎて。無様に倒れ伏した義勇は、標的が車で逃走しようとするのを阻止しようとしたけれど。動かない体は、けれどその車の進行方向に幼子がいるのを見つけてしまった。限界を超えて体を動かせば、ゾーンアウトしてしまうかもしれない。けれど、動かなければ確実にひとつの命が轢き殺されてしまう。咄嗟に庇った幼子の泣き顔に、自分の危機を察したが。その次の瞬間には、義勇は気が狂うような感覚に晒されていた。後から思い返せば、あの地獄はゾーンアウトだとわかったけれど。その時はそんなことを思考する余地もなく、ただ過ぎた感覚のもたらす苦痛に放り込まれていた。それは現実の時間にしては、数分のことだったのだろう。だがそれを経験した義勇にとっては、永遠にも等しい地獄だった。
『……だい、じょうぶ?』
 義勇をそこから掬い上げてくれたのは、幼い掌で。自覚も無しに義勇をゾーンアウトから救ったのが、助けた幼子であるだった。ぺたぺたと、泣きながら義勇の頬を触っていた。ゾーンアウトから救われた義勇は、がたった今ガイドとしての能力に目覚めたことを知って。けれど、彼女をタワーに連れて行く気はなかった。はレイタントだった、義勇が黙っていれば誰にもガイドとはわからない。センチネルであるからこそ、ガイドがこの世界でどんなに生きにくいか知っていた。今のタワーにいるガイドの扱いは、はっきり言ってあまり良くない。センチネルの気分ひとつで、どうとでも虐げられる。自分の未熟故に巻き込んでしまい、ガイドとして目覚めてしまったを、そんなところに連れて行くわけにはいかなかった。だから義勇は、逃した標的を追いかける前にに告げたのだ。ガイドであることは家族にすら黙って生きろと。平穏な生を享受したければ、もう二度とセンチネルを救ってはいけないと。救われた感謝を告げながらも、義勇はに二度と会うまいと決意したのだ。けれど。
『…………』
 虚ろな瞳。首に残る幾つもの甘噛みの跡。年齢のわりに貧相な体と、長く日を浴びていないせいで弱った肌と視力。義勇はを巻き込んでしまった時点で保護するべきだったのだ。責任を感じるのならタワーに連れて帰って、酷い目に遭わないように守り抜くべきだった。あの教団に、ヒドゥンとして生きるセンチネルがいたのだろう。僅かに聞けた話との状態から読み取れるものを繋ぎ合わせると、は明らかにガイドとして飼われていた。それも、もう何年も。幸か不幸か教団のセンチネルはに刷り込みを繰り返していただけで、バンドとしての関係はまだ結んでいなかったらしいが、それだけだ。の家族を探そうとしたが、何年も前から行方不明らしかった。あの日義勇が巻き込んだせいで、は。だから今度こそきっと守ろうと、を自分のバンドとして傍に置くことに決めたのだ。それは酷く制限された自由で、否応なしに義勇を含めた複数のセンチネルと肉体的な接触を持たなければいけない人生だったけれど。義勇に与えられる最大限の幸福と自由を、に。今更償いにもならないかもしれないが、少なくともどん底からは掬い上げてやりたかった。
「義勇さま、おかえりなさい」
 狭い壁の中の自由に、は心底幸せそうに笑ってくれる。任務から帰った義勇を抱き締めて、頭を撫でて。義勇の苦痛を、取り除こうとしてくれる。陽の光や空の色を教えてくれた義勇が好きだと、幼い笑みを向けてくれる。けれどそんなもの、本当はは知っていたはずなのだ。義勇と関わらなければ、がそれを失うことはなかった。義勇に稚い好意を向けるは、他のセンチネルと触れ合うことが苦しいと、それがまるで重罪であるかのように打ち明ける。想う人以外と触れ合うことに抵抗を覚えることなど、人として当たり前だ。それなのに、義勇に庇護される立場を思ってそんな罪の意識を抱かせてしまっている。そもそも義勇は、に想われる資格もないのに。
、」
 けれど義勇は、もうがいなければ生きていけない。騙し騙し使い続けていた超感覚は、義勇の意識を確かに蝕んでいて。仮でいいからバンドを持てと、ずっと言われていたのを拒否して苦痛を甘受していた。そこにもたらされたという救いを、義勇の体は覚えていた。あの日ゾーンアウトから救ってくれた手が自分の救い主だと、強く本能が訴えていた。手を繋ぐだけでは足りない、匂いを嗅ぐだけでは足りない、抱き締め合うだけでは足りない。もっと強く、もっと絶対的な繋がりが欲しい。深く繋がりたがる本能を必死で抑え込んで、選択肢のないに少しばかりの猶予を与えて救った気になっている。到底許されるべきではないと、思いながらも手放せなかった。
「っふ、ぅ、」
 首筋を舐め、やわやわと食んで吸い上げる。堪えるような声に、理性が焦がされるのを感じた。前にこの細い首に噛み付いたのは、実弥だった。泣きそうな顔で部屋に戻ってきたの首にくっきりとした歯型が残っていて、心臓が嫌な脈を打ったことを覚えている。義勇がどんなに大切にしても、はまだ義勇のバンドではない。一時的な関係ではない、自分だけのバンドが欲しいセンチネルなど、ここには何人もいる。今義勇にの優先権があるのは、を見つけた褒賞のようなものなのだ。それでもまかり間違って「事故」でも起きようものなら、はそのセンチネルのものになる。ガイドという立場ゆえに強く抗えないことを知っていながら自衛を促すのは、庇護欲と混ざり合った独占欲だった。
、痛くないか」
「は、はい……」
 日増しに、性交に近くなっていく行為。まだ身体年齢に心の追いついていないには、負担が大きいだろう。それでも、進むしかない。もう誰にも、を奪われたくない。の心を深く蝕むセンチネルのことが、恨めしかった。未成熟な体を、少しずつ暴いていく。触れるだけの口付けから、深いそれを教えて。髪を撫でていた手で、胸や脚を撫でて。少しずつ、深い関係へと進んでいく。幼い恋心に、許されたような気になって。浅いところに指を埋めて、少しずつ華奢な体を拓いていく。首に、胸に、痕を残して。義勇のものだと、浅ましい独占欲を植え付ける。刷り込み以上の行為を、が強いられないように。ふっふっと荒い呼吸を繰り返すを、緩やかに果てまで追いやる。小さな手が、ぎゅうっと義勇に縋った。に触れるほどに、と繋がっていくほどに、足りないものが満たされていくような充足感を得た。それでもまだ欲しいと、本能はどこまでも浅ましい。硬く張り詰めたそこに、おそるおそるが手を伸ばす。義勇が教えたとおりに、義勇のものを慰めようと。未だ手付きはたどたどしく稚拙な手淫だったが、義勇はそれに否定しようのない興奮を抱いていた。に触れられるのは、気持ちがいい。接触する程に能力を安定して使えるようになるという実利的な意味合いを抜きにしても、義勇はに触れられることに精神的な充足を得ていた。
「義勇さま、すきです、」
 一生懸命義勇のために陰茎をしごくの小さく柔らかな手が、不安そうに義勇を見上げる大きな瞳が、義勇の劣情を煽る。早く自分だけの唯一にしてしまえと、本能が訴えかけるけれど。それでもはまだ、あまりにも少女なのだ。義勇が大切にしてやらなければ、誰がこの子どもを幸せにしてやれるというのだろう。義勇がを、守らねばならないのだ。世界はに優しくないから、義勇がに優しくしなければ。に縋らなければ生きていけない身で、それはあまりにも滑稽な決意だけれど。
「……ん、」
 ちゅっと、可愛らしい音を立ててが義勇の頬に口付ける。たったそれだけの接触で、愛おしさは恐ろしいほどに膨れ上がっていく。後頭部を捕えて小さな唇を奪い、深く口付けて舌を絡める。唇を重ねるだけで心底幸せそうに目元を緩めるは、こんなにも幼いのだから。だから守ってやりたいと、義勇は思う。今はもうその足に枷は無いけれど、繋がれているのと何が違うというのだろう。飼い主が変わっただけのをそれでも幸せにしてやりたいと、義勇は驕傲な決意を胸にを抱き締めたのだった。
 
190503
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