耳を劈くような爆音の中を、駆けていく。遠慮はしなくていいと命令されていたから、手榴弾のピンを抜く手に躊躇いはなかった。粉塵の向こうから伸びてきた手が耳を抉ったが、その腕を掴んで相手の懐に飛び込む。組み付いて至近距離でマシンガンを連射すれば、血と臓物が辺りに飛び散った。貫かれた腹をものともせずに噛み付こうとしてきた、涎を垂らす口。そこに、手榴弾を握った手を突っ込んで。勢いよく腕を引き抜いてその肩の向こうの扉の奥に転がり込むと、間一髪で閉めた扉がドンッと震えた。
「……、」
震えたポケットからスマホを引っ張り出すと、場に似つかわしくない軽快なメロディが埃臭い廃ビルの一室に響く。毎週日曜の朝に欠かさず見ている特撮番組のオープング曲をイントロで打ち切って、着信に応えた。
「義勇さま?」
『こちらは終わった』
前振りの一切ない、淡々とした声。こちらの進捗を問う意図を短い言葉から読み取って、それに答えるべく頭の中で数字を数えた。
「こちらは三つです。あとふたつ、」
『わかった、援護に向かう。お前はそのまま目標へ向かえ』
「はい」
ぶつりと切れた通話はいつものことだから、今更気にすることもない。指示の通りに奥に向かうべく扉を開ける――と、ドアノブを握ったはずの右手が肘から吹き飛んでいた。
「……ガキが、好き勝手してくれたじゃねぇか」
にやにやと、大きく裂けた口を吊り上げて歪に笑う男。その顔は腐ったように崩れ、眼窩も落ち窪んでいる。銃を握る腕を落としたからだろう、その男は勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべていた。
「その腕じゃもう何もできねぇなぁ? 悲鳴も上げねぇのはちっとばかり物足りねぇが……」
ぼたぼたと、血の溢れる腕を見下ろす。壁に視線を移せば、男が投擲したらしい斧が腕を磔にするように突き刺さっていた。「命乞いをすれば犯すのは殺した後にしてやる」と、ニタニタ笑いながら男は言う。ああ、この男はこちらを
人間だと思っているらしい。なるほどそれは、馬鹿なことだ。
「それとも生きてる間に犯されんのがお好みか、あ゛ッ!?」
「……私の契約僧は、」
ぐしゃり、と男の頭部が吹き飛ぶ。頭を失ってぐらりと傾く体を貫くように二撃目の蹴りを入れて、倒れる胴体を冷たく睥睨した。
「おしゃべりが嫌いです、ので。余計な口を閉じてください」
むっと頬を膨らませて、壁に突き刺さった斧を引き抜く。破れてしまった制服の袖を惜しむように掴んだ右腕を見下ろすと、「ぐちりと断面同士を押し当てて腕を繋いだ」。
(……あと一体)
最後の目標を仕留めるべく顔を上げると、開いた扉の向こうにやはり体の崩れたような見た目の男が立っていて。
まるで化け物でも見るような目でこちらを見る男は、刃渡りの長い包丁を構えていた。
「何だ、てめぇは」
「…………」
「人間じゃねえな……!? 同じ『屍』なら、なんで俺たちを襲う!」
ぶん、と振り下ろされた包丁を、銃床で受け止める。ぎりぎりと重たい一撃に、ぐっと唇を噛み締めた。
「……私は犬です」
同じ、という単語に眉を顰める。その言葉は正しくもあり、けれど正しくてはいけない。
「あなたたちを、殺すためだけの猟犬」
それは、自らに言い聞かせるようでもあった。そうあれかしと、自身に強いているような。
「てめぇ、まさか――」
ギャリッと耳障りな音を立てて、銃と包丁が擦れ合う。次いで放たれた蹴りを躱すために大きく飛び退き、男は冷や汗を流しながらドアにじりじりと後ずさっていく。
「『不死殺し』……!」
「――知っているのか」
「ッ!?」
バッと男が振り向いた先には、袈裟に身を包んだ青年が立っていた。男が退路にしようとしていたドアを塞ぐように立ち、凪いだ瞳で男を見据えている。挟み撃ちにされる形になった男は、ギリッと歯を食いしばって青年を睨み付けた。
「なら、なぜお前が殺されるかわかるだろう」
「…………」
「この廃ビルを根城にし、肝試しに訪れた人間を殺していたな」
「……だったら何だってんだよ」
「お前で最後だ」
青年の言葉と共に、背後から男の足を鉄パイプで貫く。痛みに呻いた男の頭を掴んで引き倒し、首にも腕にも鉄パイプを突き刺した。床に磔にした男を見下ろし、いつでも撃てるようにマシンガンを構える。すぐに殺さないのは、訊くべきことがあるからだった。
「お前たちを、『作った』のは誰だ」
「あ……?」
鈍い返事の男の手を、青年の錫杖が突き刺す。「俺は喋るのが好きじゃない」と呟いた青年は、懐から小瓶をいくつか取り出して男を冷たく見下ろした。
「だから、毒の類を預かってきている。『お前たち』のような者にも、効く毒だ」
錫杖に毒を仕込んでいると、青年は語る。「楽に死にたいのなら、早く言った方がいい」と。真冬の水よりなお冷徹な目を向けられ、男はぐっと拳を強く握り締める。
「ふざけんじゃねぇぞ……!!」
「っ、義勇さま!」
ぶちぶち、と鉄パイプに貫かれた腕を裂きながら無理やり持ち上げ、拳を高く掲げる男。咄嗟に青年を庇うべく動いたが、男はその拳を力いっぱい床に叩き付けた。脆い廃墟ビルの床に、大穴が開く。磔にされた床ごと落ちていった男を見て、青年は鋭い声で「追うぞ」と命じた。人間ならば、あんな捨て身の真似はしない。即効性の毒、落下の痛み、貫かれた手足。例え下の階に逃れられたとしても、そこから動けなくなるからだ。けれど、「あれら」は違う。あれは『屍』と呼ばれる、「未練」で動く死体だ。バラバラにするか脳を破壊しない限り、妄執によって動き続ける。自らの無念を、妄執を、生者に当たり散らす化け物。それらを狩るために、彼女は――は、存在している。屍を狩るための屍。不死殺しの猟犬。大師系真言密教「光言宗」と契約を交わし、屍を殺すための屍となった少女。彼女たちは畏怖と憐憫、そして侮蔑と嘲笑を込めて「屍姫」と、そう呼ばれる。屍姫のひとりであるは、光言宗の小僧正、冨岡義勇と契約を結んで屍を壊していた。
「行けるか、」
「はい、義勇さま」
先ほど切れた腕も、契約僧である義勇が傍にいることで回復している。ここであの屍を逃がしてしまっては、また新たな犠牲者が出てしまう。逃がすわけにはいかないと急いで穴を飛び降り、辺りを見回す。ぶん、と暗闇の中から何かを投げ付けられ、反射的に引き金を引いた。
「……ッ!!」
ビスッと、頬に突き刺さる破片。咄嗟に腕を交差して目は守ったが、庇った腕にも庇えなかった脚や腹にも無数の破片が深く突き刺さった。破片手榴弾か、と相手の武器を分析すると同時に、義勇が上に残っていてよかったと場違いな安堵を覚える。これくらいなら、自分にとっては大した傷ではない。人である、義勇と違って。
「――死なねえって言ってもよお、限度はあるんだ。わかるだろ」
暗闇の中からゆらりと現れた男は、全身がずたずたになっていた。鉄パイプの拘束から逃れるために無理に引き裂いた手足も、落下の衝撃で突き刺さった瓦礫も。決して軽傷ではない、けれど「足りない」。
「不死殺しだろうが何だろうが、同じ死体なら……全身吹き飛べば、死ぬよなあ?」
「…………」
男の胴体に、巻き付けられた爆弾。確かにそれだけの爆発をまともに喰らえば、という死体は壊れるだろう。けれど、とは思うところがある。それは、自ら諸共を殺すための手段だ。本来どこまでも利己的なはずの屍がどうして、と問わねばなるまい。喋ることは、得意ではないけれど。
「喋るくらいなら、死にますか?」
「言えねぇな」
答えた男の目には、のよく知っている感情が浮かんでいた。男は、怯えている。それも、よく見れば震えが見て取れるほどに。たちの問うたことが、ここまで男を怯えさせている。彼らを屍にしたのは誰かと、その問いに男は震えるほど怯えているのだ。これは無理だと、には解った。この男は、死んでも口を割るまい。や義勇が与えうるよりもずっとずっと大きな恐怖を、この男は植え付けられている。
「……っ、」
銃を構えて、コンクリートの床を強く蹴る。窓の傍に立っていた男に勢いよく飛び付いて、左手でその頭を窓ガラスに叩き付けた。ぐらりと傾いだ体にはお構いなしに、マシンガンで更に撃ち込んで。射撃で壊れた窓から押し出され、男の体が宙に浮く。頭を失った男の腕が、せめて道連れにしようとに伸びるが。間一髪、の首根っこを掴んで引き戻した腕があった。
「……義勇さま」
どちゃりと、何階か下で肉の潰れる音がした。次いで、ドンッと爆発の音。脳も破壊された上死体が燃えては、あの男は屍としても終わりを迎えたことだろう。落下から助けてもらった安堵でが表情を緩めて振り向くと、義勇は渾身のでこぴんをに食らわせる。
「痛ッ……!?」
「何をしている」
眉間に皺を寄せた義勇の瞳には、明確な怒りが浮かんでいて。情報を聞き出す前に男を殺してしまったのがまずかっただろうかと、はおろおろと額を抑えながら義勇を見上げた。けれど義勇はの考えを見透かしたように、「情報のことじゃない」と低い声で言う。
「今、俺が来なければ落ちていたと思うが。どうするつもりだったんだ」
「な、なんとかするつもりでした……」
「………」
「……あいたっ!?」
二発目のでこぴんに、は唖然として目に涙を浮かべる。何がダメだったのか全く理解していないをじろりと半目で見下ろし、義勇はを床に下ろした。
「いくらお前でも、この高さから落ちればただでは済まない」
「は、はい……」
「自分の身のことも考えろ。 ……天国に、行くんだろう」
目を伏せた義勇の言葉に、は言葉を呑み込んで俯く。それは、屍姫が光言宗と交わした「幸福と死の条件」。ひとつ、108体の屍を殺せば天国へ行ける。ひとつ、途中退場はできない。ひとつ、「殺されても」文句は言わない。
――殺せよ乙女、屍を積み重ねて天国へ至れ。それが、屍姫が屍と戦う理由だった。
「お前は、あと99体屍を倒せば天国へ行ける。それまでは、死ぬな」
「はい、義勇さま」
義勇は、優しい。屍姫などただの道具だと見なす者が多い中で、まるでを人間のように扱ってくれる。を一人で戦場に立たせず、一緒に戦ってくれようとする。本当は優しくて慈悲深くて、尋問などは好かないのに。それをにさせようとはせず、自分が悪意を背負おうとする。はきっと、幸福な屍姫だ。こんなに優しい契約僧を得られてよかったと、本当に思う。だから、義勇には傷付かないでほしい。の傷は、生身の人間である義勇とは違ってどうとでもなるから。だから、義勇が傷付かないためならどれだけ傷を負ってもいい。こんなことを考えていると知れれば、デコピンどころではなく叱られてしまうのだろうけれど。の全身をざっと確認した義勇は、肌に突き刺さった破片を見て顔を顰める。ここでは治療は無理だと判断して、の手を引いた。
「……帰るぞ」
「はい、義勇さま」
実のところにとって、天国というものはさほど重要ではない。天国よりも、義勇の傍にいることが大事だ。義勇はを、救ってくれた人だから。
――……来い。
惨たらしく殺されて、屍にされそうになって。一歩間違えれば誰彼構わず生者を呪っていたかもしれないに、手を差し伸べてくれた義勇。あの日義勇が来てくれたおかげで、は生者を呪う化け物にならずに済んだ。生者を守るために、屍姫として戦うことを許された。は、死にたくなかった。もう死んでいるとわかっていても、死にたくなかった。それが、の未練だ。あまりにも単純で、強すぎた執着。それは屍姫となった今、の戦う力の根源であり続けている。死んでいるのに、死にたくないという矛盾。その未練を糧に、自分を殺した屍をいつか必ず殺してみせると。義勇は、が本懐を果たして天国に行くまで共に戦うと言ってくれたのだ。屍姫であるの、ひとりの人間としての感情を慮ってくれる。それだけで、が義勇のために戦いたいと思う理由には十分すぎた。
「……腕は大丈夫か」
「はい、大丈夫です。義勇さまも、お怪我はありませんか」
「俺は問題ない」
今も、こうして。屍としての再生力を持つの怪我を、心配してくれる。切られた右腕ではなく、左の手を繋いで手を引いてくれる。こんなふうに扱ってもらえて、はきっと幸せ者だ。まるで、生者のように。
(でも、)
義勇は優しい。けれど、義勇は間違っている。はとうに死んだ身だ。妄執だけでこの世に存在を残す、動く死体。そんなこと、義勇が一番わかっているはずなのに。義勇は優しいから、を道具と見なせない。生者の身で、光言宗の僧侶の身で、を守ろうとしてしまう。それは、正しくない。幸せだけれど、間違っている。だから、は自身に言い聞かせなければならない。この幸せは、あってはならないものだと。自分は道具だと、人間とは違うおぞましい生き物だと、常に義勇に示し続けなければならない。そうでなければきっと、いつか取り返しのつかないことになる。死体を守るために生者が傷付くことなど、あってはならないのだ。義勇は、生きているのだから。
(死なせたくない)
新たな妄執が、の中で育っている。この未練は、きっとおぞましい花を咲かせる。だから、実らせてはいけない。芽吹いて、葉を増やして、蕾をつけて。それでも、咲かせてはならない。 絶対に。
きゅ、と義勇の手を握り返す。死体の手を躊躇いなく握り締めてくれるこの人の優しさが慕わしくて、哀しかった。
200301