、待ったか」
「ううん、今来たところ」
 セリフだけ切り出せば、まるで逢瀬である。実際には、ただ中等部校舎の玄関にを迎えに来ただけなのだが。「今日も弟さんのお迎え?」と揶揄うのクラスメイトの言葉に、錆兎はむっと顔を顰める。それをどう勘違いしたのか、は「ごめんね」と眉を下げた。
「錆兎くんの方が、私なんかよりしっかりしてるもんね、弟なんて、言われたくないよね 」
「……そんなことは思わない」
 弟と言われたくないのは確かではあるが、それはの言うような理由ではない。弟として見られている限り、の隣に肩を並べることを許されないような。少なくともそこにある感情が姉弟愛だけであることが面白くなくて、錆兎は顔を顰めたのだ。これが例えば錆兎が中等部の制服を着ていたなら、「彼氏のお迎えか」と囃し立てられていたのだろうか。いっそその方がいいと思っても、錆兎はランドセルを背負った小学生だった。

「今日、身体測定があっただろう」
「うん」
「身長は伸びたか、
「……伸び、なかった」
「そうか、残念だな」
 の成長期は、ひと足早く終わってしまったらしい。この年の男女には珍しく元からあまり身長差はなかったが、とうとう錆兎の背がを追い越したようだった。落ち込んでいるには悪いが、少しだけ安心する。少なくとも私服でいる間は、「お姉さんのちゃんと弟の錆兎くん」という視線は向けられまい。もう少しすれば、錆兎も制服を着るようになる。周囲の目に憚ることがなくなれば、後はの気持ちひとつだけだ。錆兎はいささか直情的ではあったが、機を待つことのできる人間でもあった。をただ可愛いと思っていた頃、その気持ちはまだ恋ではなかった。それが恋だと気付いた頃、はまだ義勇と家族になることに精一杯だった。が義勇以外の他人の心に目を向けられるようになった今、ようやくその心に触れようと手を伸ばしても許されるような気がする。錆兎は、ずっとの傍にいた。可愛らしくて臆病で、眉を下げて笑う女の子。義勇の他にに一番近い人間が誰かといえば、自分であると胸を張って言える自信がある。錆兎はずっとを守ってきたし、これからも守っていきたい。小さい頃から隣にいた女の子への感情は、健やかに恋へと育っていた。
「今日もうちで宿題をしていくんだろう」
「うん、義勇さん、今日も遅いって」
 お世話になります、とは頭を下げる。きっと真菰も、他の子どもたちも喜ぶだろう。は可愛らしくて優しいから、年下の子どもたちに人気だった。とじゃれつかれているのを、よく目にする。羨ましいとか、妬ましいとか、そういう風には思わないけれど。
「……?」
 隣のを見ると、きょとんと首を傾げる。さらりと揺れる短い髪は、柔らかくて指通りがいいことを知っている。義勇と同じシャンプーを使っているのに、少し違う匂いがすることも。幼馴染特有の距離で、錆兎はについて他人よりもよく知っていることが多い。それでも、例えば恋を知ったときどんな顔をするのかだとか。愛に触れたとき、どんなふうに笑うのかだとか。そういうことを、錆兎は知らない。きっとまだ、誰も知らない。
は可愛いな」
「えうっ、あ、ありがとう……」
 小さい頃からずっと言い続けているのに、ちっとも慣れないは可愛らしい。が錆兎の一番の女の子であると、それを言葉で示すことを錆兎は惜しまない。気恥しさや幼稚な嗜虐心で好きな女の子を傷付けることなど、もってのほかだ。学校指定カバンで顔を隠そうとするの手を取って、「前を見て歩かないと危ない」と道端に寄せる。顔を赤くしながら錆兎を見るは、ぽそりと声を絞り出した。
「さ、錆兎くんは、かっこいい、ね……」
「そうか、ありがとう」
 さらりと答えた錆兎に、がぷうっと頬を膨らませる。そんな言葉で錆兎を翻弄しようなど、十年早い。何しろこちらは、もう長いことに振り回されているのだ。涼しい顔をしていると言って、は信じないのだろうが。「むくれていても、は可愛い」と言葉を重ねると、へにゃりと眉を下げては笑ったのだった。
 
200313
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