「不死川中佐、ここ、尉官の席です……」
「自分の階級より低い席使うのは禁止されてねェだろォ」
「周りの尉官がその、中佐のこと怖がってるので……」
「テメェは相変わらず馬鹿正直な口をどうにかしやがれ」
腹芸のひとつもできなくてどうやって士官としてやっていく気なのかと、実弥は溜息を吐く。この高官らしからぬ素直さが、人望に繋がっているのは理解しているが。義勇の副官としては、なるほど得難い人材である。は自身が隊を預かる器ではないと、あっさり自覚してしまっている。自分に人を束ね導く器量がないことを理解し、その器量があると認めた義勇を副官として支えると決意してそのために尽力している。義勇や鱗滝はそれを諦めの良さと思って惜しんでいるようだが、実弥から見れば潔さと思えた。自身に足りないもの、努力しても補えないもの、他人が持っているものを認められるのは得難い才能だ。一途がゆえに視野の狭いところもあるが、こうした人間もまた組織には必要だと思っていた。とはいえ、あまりにも自身の地位に無頓着なところは直した方がいいとは思うのだが。努力の結果はそれとして認めなければ、反感を持つ人間にとっては特に快く思えなくて当たり前だ。上司のために生きると決めているならば、自身の影響力も自覚したほうがいいとに対して思っていた。それはともかく、と実弥は芋がごろごろと入ったシチューを名残惜しそうに見て匙を置いたの頬を抓る。上官に話しかけられているときに食事を続けるなどもってのほかだが、温かいシチューは惜しい。顔に出過ぎだ、と実弥はギリっとの頬を引っ張った。
「それで、テメェは飼い主を引き摺って来れそうなのかァ」
「か、飼い主じゃなくて大佐です……合同訓練には、いらしてくださるそうです」
「できるんなら最初からやれって伝えとけェ」
「善処します……」
「遠回しに断ってんじゃねェよ」
「で、でも、大佐がお忙しいのは本当なんです……」
曲がりなりにも平和主義を謳うこの国では、各基地の司令に文官が置かれるのが通例となっている。ここの司令は最近変わったばかりで、新しい司令である産屋敷は「地下組織との癒着が認められた」と相当数の幹部を更迭したのである。この島は国という纏まりを持ってから年月が浅く、実質的に地下組織が各地を治めていた。軍の基地が置かれるようになってからも未だその影響力は根強く残っており、表向きは地下組織の排除を謳っている政府や軍も半ば公然の秘密として地下組織との繋がりを持っている。けれど産屋敷は本気で組織の排除を考えているらしく、司令就任と同時に基地の多くの人間が処罰を受けた。組織と関わりを持っていなかった者だけが今、この基地には残っている。義勇もも元々組織と軍の繋がりを快く思っていなかったから、産屋敷の方針に否やはない。むしろ、この基地を起点に国から組織を根絶やしにしようとしている産屋敷を支持していくつもりだ。だが目下の問題として、この基地は今人手不足なのである。特に白兵科はそれまで大隊長を担っていた錆兎や真菰たちがほとんど空になった司令部に招聘されたから、実質的に義勇一人で連隊を直轄している状態なのだ。各中隊長以下や臨時の大隊長たちの協力もあるものの、ほぼ義勇の優秀さに依存している有様で。実弥のところも大隊長を何人か司令部に引き抜かれたようだし、実弥自身も元は大隊長だったのが砲科の連隊長が免職されたことによる代理の連隊長である。この秋には実弥やも含む相当数の幹部の昇進が決まっているようで、それだけこの基地は混乱していた。だから決して義勇だけが忙しいわけではないのだが、大隊長がごっそりといなくなったのは白兵科だけで。もできるだけ義勇の書類を引き受けてはいるのだが、尉官のにはそもそも閲覧権限すらないものも多いのだ。義勇は決して個人的な感情だけで視察を避けているわけではないと、実弥にも理解してほしかった。
「まあ、俺んとこには匡近もいるけどよォ」
「粂野中佐、お元気でいらっしゃいますか」
「……知り合いだったのかァ」
「『実弥がいつも迷惑をかけていてごめんね』と金平糖をくださいました」
「…………」
「い、痛いです、痛いです中佐……!」
ギリギリと、抓った頬を限界まで引っ張られては涙目になる。砲科の大隊長のひとりである匡近は、優しくて良い人だ。新兵たちには「鬼の不死川」に対して「仏の粂野」と呼ばれていて、彼が怒ったところを誰も見たことがない。科の違うにも気さくに声をかけてくれて、お菓子まで分けてくれる。「実弥がよく構っている子だから、覚えてた」と言っていたけれど、彼は新兵たちの名前も一人一人きちんと覚えているから元々周りをよく見ているのだろう。砲科の元連隊長は職務をほとんど大隊長たちに丸投げしていたらしく、そのことも「まあ、引き継ぎに困らなかったと考えれば良かったかもしれないね」と笑ってしまえる豪胆さも持ち合わせている。そういうわけで砲科は比較的人事異動の影響が少なかったが、決して余裕があるわけでもないだろう。それなのに他科のことまで気にかけてくれる匡近をは尊敬していて、義勇の副官として働く上での理想像でもあった。けれどが匡近について話すほどに、実弥の機嫌は降下していって。ようやく離された頬を押さえて摩っていると、実弥はむすりとした顔で自分の盆に乗った小鉢をの方へ押しやった。
「林檎、テメェにやる」
「よ、よろしいのですか……?」
「冷めたメシの詫びだ」
「ありがとう、ございます……」
確かにシチューはだいぶ冷めてしまっていたが、は気にしていない。けれどここで断るとまた面倒なことになりそうで、は大人しく林檎の鉢を受け取った。食べることが好きなにとっては、単純に嬉しくもある。にこにこと笑顔で食事を再開したを前に、実弥も冷めたシチューを匙で掬った。元より育ちは良くないから飯など食えれば良いと思っている部類の人間だが、と向かい合って食べるなら例え冷めていても不思議と旨く感じる。「あんまり鱗滝少尉を虐めるなよ?」と匡近に言われたことを思い出して、頬を抓ったことを少し後悔した。林檎程度で笑ってくれるに、言葉には出さないものの感謝する。一部始終をしのぶや宇髄たちに見られていたことなど知らぬまま、実弥は心做しか柔らかい雰囲気で食事を続けるのだった。
200405