「大佐、お夜食です」
「……ああ、ありがとう」
 夕食後の課業外も机に向かっている義勇のために、夜食を作るのがの日課となっている。給湯室の設備で作れる簡単なものだから、食堂で出されるような手の込んだものは作れないけれど。義勇はの作ったものが良いと言ってくれるから、一生懸命作らせてもらっている。今のには一部の書類の処理と使いっ走り、その他諸々の雑務しかできない。それでも、義勇を支えるための大事な仕事だ。義勇は、が軍人を志すきっかけになった大切な人で。背負うものの多い義勇にとっては、数ある重荷のひとつかもしれないけれど。にとっては、軍服を着る理由で在り続けている。
八百屋のおかみさんに教わった、玉菜と豚肉を交互に重ねて煮込んだものを出すと、「初めて見る料理だな」と義勇が興味を示す。そんな些細なことまで義勇が覚えてくれているのが嬉しくて、はにこにこと頷いた。
「お前の作ってくれたものを食べると、安心する」
「あ、ありがとうございます……!」
 思わず盆で赤くなった頬を隠したに、義勇はふっと笑う。柔らかく煮込まれた具を匙で器用に割って食べながら、義勇はぽつぽつと語った。
「今は、お前にも苦労をかけると思うが……きっと、良い世の中に変えていく一歩になる」
「……はい」
「お前にとっても、良い世の中であってほしい。だから、お前も考えていてくれ。どんな世の中にしたいか」
「はい、大佐」
 義勇は、幼いを助けてくれた人だ。かつて、軍と組織が衝突しての故郷で大きな戦いがあったとき。家族とはぐれて、混乱の中をさ迷って、食べ物も着るものも家もなくて。長く続く戦いの中で、流れ弾に当たらないように逃げ惑う毎日だった。今日も明日も、内乱は終わらない。必死に生きてきたけれど、擦り切れて家族の名前も顔も忘れてしまって。その日のことに一生懸命すぎて、自分のことすらほとんど忘れかけていた。そんなある日、は組織の人間を殺してしまった。組織は戦乱のどさくさに紛れて、戦災孤児を連れ去っては労働力や商品にしていて。も連れ去られそうになって抵抗して、逆上した男に首を絞められて。無我夢中で、手に触れた棒切れのようなもので男の顔を殴った。何度も振りかぶっては叩いて、男の手が離れたときにはもう、男は事切れていた。の手にした棒で、目や喉を突いてしまっていたらしい。人を殺してしまったことに気付いたとき、何もかもが恐ろしくなって。当時少尉だった義勇がその場に駆け付けた時、は呆然と死体を見下ろしていた。赤黒く汚れた棒切れを手にして、荒い息を吐いて。士官学校を卒業して間もなかった義勇が任されていたのは、比較的安全な市民保護の任務だ。けれど、生きている人々と密接に関わる分それはひとつの地獄だったと義勇は後に言っていた。自分の身を守るために人を殺してしまった幼子の存在も、小さな地獄だったのだろう。
『俺たちが間に合わなかったせいで、お前に手を汚させた。すまない』
 を保護した義勇は、柔らかい毛布をにくれた。は罪に問われなかった。正当防衛であることと、子どもであること。何より、守れなかった自分たちの罪だと。そう、義勇は説明した。身寄りのないを、昔世話になった恩人だという鱗滝に紹介してくれて。そうしては、鱗滝の養女のひとりとして引き取られた。優しい父親と兄姉を得て、幸せになってしまった。自分などが、こんなに優しい日々を得ていいのだろうか。やがて終息した内乱は、から在りし日の故郷の姿を奪った。はもう、自分がいたはずの故郷の風景を思い出せない。荒れ果てた土地だけが、残っていた。
『もし、お前が故郷の姿を思い出したいなら』
 鱗滝の家を訪れた義勇は、の出した茶の水面を見下ろしながら言った。
『軍人になる道もある。お前の犯してしまった過ちを、なかったことにはしてやれないが……』
 義勇は、ずっと悔いていた。あとほんの少し、あの場に早く辿り着いていたなら。が一生負うことになる疵を、その心に負わせることはなかった。その疵がなければせめて鱗滝の元で、花のように可愛らしい娘として普通に生きていけた。
『あの日のお前になりかねない者を、救ってやることはできる。誰かを守ることに、生きる意味を求めることも』
 故郷に、生死もわからない家族に、殺めた命に。は一生をかけて償おうとしている。この子どもの背負う罪ではないだろうに、と義勇は思う。それでも、誰が許そうとも。自身が許せないのだと、それは義勇にも覚えのある感情だった。義勇の言葉に顔を上げて、は軍人になることを決めた。鱗滝に勧められて、義兄たちのように士官学校に入って。学のないだったけれど、必死に勉強した。「お前が自分を許せる世の中を作る、その礎になる」とまで言ってくれた義勇に、ついて行きたいと思った。義勇の補佐官に配属された日の義勇の顔を、今でもよく覚えている。少しだけつらそうに、それでも目元を和らげて、嬉しそうに笑ってくれた。同じ道を行くと、そう決めたを受け入れて傍に置いてくれた。は、義勇の恩に報いたい。幸せな世の中に、大切な人たちと一緒に生きてみたかった。
「……家族と、離れ離れにならない世の中がいいです」
「……ああ」
「お父さんも、錆兎兄さんも、真菰姉さんも、……義勇さまも、大切な家族です。失くしたく、ないです」
 つい、家での呼称が口を突く。けれど義勇は、それを咎めることなく目を細めた。
「お前が何も、失わない世の中にする。
 義勇の言葉に、は眉を下げて笑う。義勇の望む世の中も、知りたかったけれど。それはまだきっと、には知り得ないものなのだろう。それは、義勇の疵だ。が触れていいものには、未だ思えなかった。いつか、その疵に触れることが許される日が来ればいい。その疵を預けるに足る人間になりたくて、は明日もがんばろうと思いながら綺麗に空になった器を受け取ったのだった。
 
200407
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