「……大佐」
「どうした、少尉」
 童磨との話し合いを終えて戻ってきた義勇に、が駆け寄る。何か言いたげなの様子に首を傾げた義勇は、童磨と相対していたときの鋭さなど微塵も表情に残してはいなかった。
「その……今回保護した女性たちのこと、なのですが」
「連れ去りではなく、自主的な失踪とのことだったな」
「はい、できれば……そのまま家に帰す以外の方法が、あってほしいと」
「…………」
「甘い考えなのは、承知しています……ですが、困窮した市民にとって頼れるのが軍ではなく組織だというのは、あまりにも……」
 石を投げられるのには、慣れている。恨まれることも、憎まれることも、必要なことだと理解している。正義の味方になりたいわけではない。だが、助ける方法があるなら模索したい。組織の力を借りなければ弱者が助からない社会というのは、にとっても義勇にとっても望ましいものではないはずだ。組織に取って代わろうとする軍だからこそ、そうした人間の拠り所になってほしいと願うのは、我儘だろうか。もここにいたかもしれないという童磨の言葉は、案外深く突き刺さっていた。
「安心しろ、少尉」
「?」
「司令が先日、福祉部を創設したのは知っているな。その試用として、希望者が福祉部で住み込みの職業訓練を受けられないか打診している」
「では、」
「そのまま帰すようなことはしない。組織が真っ先に市民の拠り所になる社会を、司令は是としない」
 よかった、とは息を吐く。集められた娘たちの様子を見ると、不安げな顔をしてる者もいるが概ね落ち着いているようで。安堵した様子のを見て、義勇も少しだけ息を緩める。が彼女たちの行く末に心を痛める理由は、義勇にもわかる。も、あの戦乱で身寄りを失くして鱗滝に引き取られた。もし義勇と出会っていなければ、もし鱗滝の娘にならなければ。組織の手を取る未来もあったのかもしれないと、考えてしまうのだろう。
「それにしても、一日で片がつくとは思っていなかった。よくやったな、少尉」
「……それは、……はい……」
「どうした」
「運が良かった、だけです……」
 たまたま童磨がを見つけ、軍人だと知っていてなおの探しているものを明かした。の手柄とは思えず、義勇からの褒め言葉に頷けない。いつもなら尻尾を振って喜んでいる義勇の言葉に喜べないのが悲しくて、はしゅんと肩を落とした。
「……少尉、顔を上げろ」
「はい、」
 義勇の命令には、どんなときでも体が反射的に従う。今もそれは例外ではなく、考えるより先に顔を上げたに義勇は満足気に目を細めた。
「今回の件は迅速に、損害なく解決した。復唱しろ」
「ふ、復唱します。今回の件は迅速に、損害なく解決した」
「その成果は鱗滝少尉の尽力によるものである。復唱」
「そ、その成果は、鱗滝少尉の尽力によるものである……」
「記録に残るのは、お前が今復唱した言葉だ」
 偶然、幸運、結構なことだろう。重要なのは、が損害を出すことも労力を消費することもなく、指令から一日にして事件を解決せしめたということである。童磨という男の目的はともかく、彼はだからこそ屋敷に招いて行方不明者の存在を明かした。結果として事件ではなくなったものの、他所に嫁いだという幾人かを除いては無事に全員を保護し。その数人の行方は改めて捜査しなければならないが、組織と無為な衝突を起こすことなく目的を達成した。今後も、童磨や組織の動向には気を配らねばなるまい。けれど、少なくとも今回の件においてはは褒められこそすれ責められる謂れはない。ましてや運が良かっただけなど、がそう自身を卑下することを義勇は許さなかった。
「……お前は、俺の補佐官だろう」
「はい」
「俺の傍に早く戻れることを、喜んではくれないのか」
「い、いえ……いいえ!」
 義勇にそうまで言われては、卑屈に俯いてなどいられない。ぶんぶんと首を横に振るに、義勇は口の端を吊り上げた。
「帰るぞ。うどんでも奢る」
「はいっ……ありがとうございます……!」
 軍の馬車に乗り込んでいく女性たちを横目に、も義勇に手招かれて別の馬車に乗ろうとする。乗降口でスッと義勇に手を差し出され、はきょとんと首を傾げた。ぽけっと義勇を見上げて戸惑うに、義勇は眉を寄せる。
「……こういうときは、男にエスコートさせろ」
「えすこーと、ですか?」
「士官学校で習っただろう」
「……あ、」
 言われて思い出したような顔に、義勇は微妙な顔をする。そういえばは補佐官に配属されて以来ずっと義勇の世話に明け暮れていたから、交流会などのパーティに出席することもなく。士官学校で叩き込まれたマナーも、思い出す機会がなかったのだろう。
「今度、呼ばれている交流会がある。俺のパートナーとして、出席するか」
「えっ……よろしいのですか?」
「構わない、そういう場に慣れる機会だ。これから先も、パートナー同伴の催しはお前を連れて行けると助かる」
「は、はい……!」
 確かに義勇のような高官であれば、パートナー選びにも苦労するのだろう。副官を仕事として連れて行く分には後腐れも面倒もなく、気を張る必要もない。義勇はなどより余程腕が立つから護衛としては役不足かもしれないが、毒味役やいざという時の盾くらいにはなれるだろう。そうやってがおかしな方向に気を回し始めているのを表情から察した義勇は、微妙な表情を浮かべる。ひとまず真菰にも相談して正装を用意させておこうと決めた義勇は、改めてに手を差し出した。
「練習だと思っておけ、少尉」
「わ、わかりました」
 白い頬をほんのりと桜色に染めたが、義勇の手のひらに自らの手を重ねる。剣ダコや傷で硬くなった手のひらだが、義勇の手と比べればあまりに小さい。力を込めたら指などは簡単に折れてしまいそうで、義勇は臆病なほど慎重にそっとの手を引いた。今日のは私服だから、まるで軍に入る前のあの少女のようで。軍服一枚無いだけで、随分弱々しく見える。部下の実力を信頼し隣に置くことに躊躇いがないのと同じくらいに、あの日の少女であるを守ってやりたい気持ちがある。に軍人になることを勧めた自分がそんなことを思う資格はないとわかっていたが、それでも守れる限りは守ってやりたかった。を餌にするような真似だとて、個人的にはあまり気が進まなかったのだ。迎えに来てみれば案の定と言うべきか、妙な男に目をつけられていた。それなのには自分自身の心配を少しもしないから、不安になる。自分が死なないために人を殺したに、大衆を守ることで自らの生を肯定する道を示したのは義勇だ。けれどは、怖くなるほどひたむきにその道を行こうとするから。が同じような不安を義勇に抱いていることを知らず、義勇はの細い指をそっと握り締めたのだった。
 
200418
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