義勇は、背景に部屋が映ってもあまり頓着しない類の人間らしい。居間が映る義勇の画面に、ちらりと時折映り込むの姿。洗濯物のカゴを抱えていたり、はたきや雑巾を手にくるくると手際良く掃除していたり、まるで幼妻だ。時々義勇の横にやってきては、湯呑みの中身を補充していく。その度に義勇は柔らかい表情でに礼を言っているものだから、画面の向こうで同僚たちはそれぞれに「普段生徒にもそういう対応をしろ」と内心思ったものだが。義勇から柔らかい表情を引き出せるが凄いのだと、それぞれに結論付けて口を閉ざす。やがて家事がひと段落したのか、は画面の奥にある卓袱台で教材を広げて勉強を始めた。外出自粛の意義も理解せず遊び歩く生徒たちもいる中で、感心なことである。もっとも、悲しいことには勉強に関して理解が遅い部類の人間だ。それでも個別に出された宿題の他に自主課題をもらいに教師たちに頭を下げて回ったのだというから、本当に涙ぐましい努力である。実弥などは日頃から補習常連のに手を焼いているから、それはもう分厚いプリントの束を持たせて帰したものだった。早速それを解いているらしいに、実弥も満更でもない気持ちになる。内容は今まで出してきた宿題から応用したものがほとんどだが、それでも自分が手間暇かけて用意した課題をきちんと解こうとしている生徒がいるというのは悪い気分ではなかった。
『…………?』
課題に取り組み始めてしばらくして、がきょとんと首を傾げる。プリントの文字とにらめっこするように眉を顰めて、教科書やノートをぱらぱらと捲り始める。何かわからないところでもあったのかと声をかけてやりたかったが、さすがに何か訊かれたわけでもないのに自分から声をかけるというのは私情が混ざりすぎだろう。なお、先程から実弥の視線が義勇の後ろにいるに向いていることも、それが私情によるものであることも、他の教師陣にはバレバレなのであったが。
『あの……お仕事中すみません、義勇さん……今、大丈夫でしょうか……?』
ちらりと義勇が許可を求めるように視線を寄越し、画面の向こうではそれぞれに構わないと言うように頷いたり「どうぞ」と笑んだりする。実弥は鼻を鳴らしてそっぽを向いただけだったが、それでも了承の意は伝わったのか、或いは気にしていないのか、義勇はに向き直った。
『どうした』
『その、この問題、どうしてもわからなくて……』
『…………これは、問題文に抜けがあるんじゃないか』
に渡されたプリントを読んだ義勇が、顔を上げて「不死川」と実弥を呼ぶ。問題に不備があると言われれば実弥としても気になるところなので、「ンだよ」と言いつつもしっかりと画面に向き直った。
「自主課題の方かァ?」
『いや、二年生全体の課題の方だ。四枚目の大問三、おそらく前提が足りていない』
「少し待ってろ……あァ、悪ぃな鱗滝。確かに抜けだ」
『すみません、不死川先生』
「こっちの手落ちだ、テメェの謝ることじゃねェよ。学年掲示板に訂正出しとくから、それまでは飛ばしてやっとけ」
『ありがとうございます、先生』
「……おう」
の表情に乏しい顔が優しい線を描いて緩み、実弥もどことなく柔らかい雰囲気を浮かべる。微笑ましいことだとカナエや煉獄などは笑みを隠さなかったし、宇髄はにやにやと口の端を吊り上げて面白そうにしていた。息の詰まる自粛生活にせっかく潤いが訪れたというのに、その空気を読まないまま壊すのが義勇という人間で。
『えらいな、』
だから生徒にもそういう顔を向けろという優しい顔で、義勇はの頭を撫でる。義勇に褒められてへにゃりと笑うは、可愛らしい。可愛らしい、のだが。ピキリ、と実弥のこめかみに血管が浮く。実弥がのことをいち生徒という以上に気にかけていることなど周知の事実であったから、皆手元で実弥の音声のボリュームを下げていく。そんなことなど露知らず、義勇は実弥の目の前でをよしよしと撫で回して。犬を可愛がる飼い主のように、存分にを愛でる。ビキッと実弥の血管がさらに浮き上がって、くわっと口を開いて叫んだ。
「密!!」
キーンと、実弥の怒声が通話にこだまする。唯一実弥の音量を下げていなかった義勇とだけが、まともに怒鳴り声を受けて耳を抑える羽目になったのだった。
200421