「交流会?」
「あれ、アオイちゃんは行かないの……?」
「衛生科では聞いてない話だもの」
軍病院兼衛生科の建物に書類を持っていくついでに、勢い余って取り寄せすぎてしまった花のお茶をお裾分けしていたはきょとんと首を傾げたアオイに目を丸くした。隣のカナヲに視線を移すも、カナヲはアオイの言葉を肯定するように静かに頷く。奥にいたしのぶも、「近日呼ばれている交流会はないですね」とにこやかに頷いた。
「アオイちゃんたちがいたら、嬉しかったなぁ……」
「はあまり交流会に出たことがないものね。正装とかは大丈夫なの?」
「真菰姉さんが、ほとんど見繕ってくれてるんだ……」
「鱗滝中佐が見繕ってくれるなら安心ですね。それにしてもさん、冨岡さんがパートナーでいいんですか?」
「? むしろ、大佐が私なんかでいいのかと……」
「いえ、おそらくさん、冨岡さんの好い仲として認識されると思いますよ」
「……? ……!!?」
しのぶの言葉に真っ赤になって固まったの前で、ひらひらとカナヲが手を振る。てきぱきとの寄越した茶葉を分けていたアオイは、さっそくその中のひとつを開けて茶の用意を始めていた。
「……わ、わわわ私なんかが、えっと、好い仲だなんて、その、大佐に、ご迷惑では」
「冨岡さんはそれを承知の上で誘っていますからね。あの人くらいになればむしろそういう相手がいると思われた方が気楽なんでしょうけど、さんは逆に大変でしょうから」
「私はその、大佐が少しでも気楽に過ごせるのなら、あの、そういった相手もいませんし、」
「さんは本当に補佐官の鑑ですねえ」
それなりに社交の場に(不本意とはいえ)出席している義勇とは違い、はほとんど初めての顔見せのようなものだ。そこで義勇という特定のパートナーを伴っていれば、今後義勇のいない場に出席することになっても本来のパートナーがいる身としてみなされるだろう。義勇はわかっていてやっているのだろうが、そんな思惑など露知らず上司の心労を減らそうと一生懸命なにしのぶは温い笑みを浮かべた。アオイやカナヲはしのぶたちの妹のようなものだから、胡蝶の名を知る者は迂闊に声をかけてきたりはしないけれど。の家はきょうだいのほとんどが軍の高官とはいえ、市井出身の孤児だった者ばかりな上養父はいち曹長に過ぎない。義勇のように家柄もそれなりにある高官の後ろ盾というのは、ああいう場では必要なものでもあった。交流会という名目だが、実質的には華族の社交場と変わりない。士官同士や外部の人間と腹の探り合いをする、嫌な場所だ。信頼できる見知った顔がいないことにが肩を落とすのも、当たり前のことだった。特にしのぶはそういう場所を好かないとはいえ得意にはしているから、力になれるときはなってやりたかったが。人付き合いが下手とはいえ、義勇もそういう場での立ち振る舞いはしっかりとしている。あの場を社交ではなく謀略と情報収集の場と割り切って立ち回っているから、日頃見せる天然じみて壊滅的な失敗をしないのだろう。もっとも、そうでなければ科を預かることなどできようはずもないが。しのぶは本来衛生科を預かるカナエの代理とはいえ、科を預かる者として義勇のやり方は義勇のやり方として認めて参考にしている。義勇と、ひいては白兵科はこの基地の中でも群を抜いて脳筋の部類に入るが、それでも鎮守府の一角を預かる者がただの考え無しであるわけがないのだ。
(過保護なんでしょうねえ)
士官として、いつまでも避けられる場でない。今までは白兵科の忙しさにかまけていたことにしてを遠ざけていたのだろうが、情報収集や人脈作りのためには必要な場だ。自分が睨みを利かせていられるうちに慣れさせてやった方が結果的にのためになるという考えなのだろう。そこで保護者としてではなくパートナーとしての立場を選ぶあたり、私情がかなり混ざっている気もするのだが。ただでさえ信頼関係の厚い男女の主従というところで勘繰られやすいのを、逆に自分から開けっぴろげにそうだと言うことで下世話な詮索からを守る意味合いもある。まったくどうにも過保護なことだと、しのぶは再び生温い笑みを浮かべた。
「そういえばさん、先日の任務で組織の男と接触したとの報告でしたが」
「は、はい」
「その男、おそらくですが交流会にも何度か来ています」
「え……?」
だけでなく、カナヲもアオイも驚いたように顔を上げる。今回が童磨を捕えられなかったように、基本的に組織の人間は一般市民としての身分を装い軍との衝突を避けることで拘束を免れている。中央の鎮守府などでは公然と組織の人間が交流会に出入りしていると聞いていたが、まさか産屋敷の膝元でもそういった出入りがあったとは知らず三人ともそれぞれに戸惑った様子を浮かべた。
「さんの報告がなければ、組織の人間だとはわからないままだったでしょうね。個人的には、気に食わない人間でもありましたが」
(しのぶ様がそうおっしゃるって……)
(相当じゃないかな……)
「軍内部の人間と違って、こちらの一存で出入りを禁止できるような立場の者ではありません。しかもあの男、厄介でしつこい」
「…………」
「……失礼ながら、何があったかお伺いしても……?」
「姉さんと私が、少し前からちょっかいを出されているだけですが……これからはさんもその憂き目に遭うと思うと、心配で」
「…………はい」
(が見たことないくらいしょっぱい顔をしてる……)
「その表情を見ると、既に目を付けられてしまっているようですけれど……冨岡さんを盾にしてでも、相手にしない方がいいと思いますよ」
「そうします……」
肩を落としたの頭を、カナヲがぽんぽんと叩く。茶を淹れながら、アオイもを励ました。
「もうすぐ約束してたお茶も完成すると思うから、元気出して」
「……ありがとう、アオイちゃん。楽しみにしてるね」
「お茶?」
「の育ててる薬草の中に、お茶に使えるものがあるの。私も興味があったから、作ってみようと思って」
「そういえばさんはハーブも育て始めたんでしたね。いつもありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、お薬とか、お茶とか……いつもお世話になってます……!」
は白兵科の施設の裏で、小さな畑を作っている。最初は美化班を任された一環として、基地内に植えても問題のない植物や草花の試行だったのだが。黙々と植物の世話をすることはの性に合っていたらしく、栽培の難しい薬草を育てたりかけ合わせて新しい種を作ることにまで今では手を広げている。アオイが入手が難しいと零していた薬草を覚えていて、無事育ったものを渡してみたところそれはもう感謝されたものだ。それ以来アオイやしのぶたちに頼まれて、小規模ながら専用の畑を作り希望された薬草を育てては渡していた。その代わりにと白兵科で困ったことがあったときに手を貸してくれたり、薬を融通してくれたりする。ハーブに関しては、実益というよりも個人的な興味と趣味を優先したのだが。海の向こうの国ではハーブティーと言って様々な効能を持つ薬草をお茶にして飲むのだと蜜璃に聞いて、アオイと協力して実際に作ってみようという話になったのだ。精神の緊張を解す効能などもあると聞いて、少しでも義勇のためになればとが考えたのは言うまでもない。
「ハーブティー……」
「カナヲちゃんも、お茶会しようね」
「うん……楽しみにしてるね」
ほわほわとした空気を醸し出す尉官三人娘を見て、しのぶは微笑ましげに目を細める。本来士官同士との交流とは、こういった形で自然に育まれるのが理想なのだろうが。せめて彼女たちが少しでも面倒事を避けられるようにと、しのぶは考えを巡らせる。さしあたっては護身用に麻痺毒の針をに持たせておこうと、しのぶは薬棚の鍵を引き出しから取り出すのだった。
200423