「テメェ、ひみつきちで寝泊まりすんなって何回言やわかるんだァ……?」
 そもそもルネのジムトレーナーがヒマワキの管轄内に家出をしてくるなと、実弥はこめかみを引き攣らせた。義勇から「がそっちに行っていないか」という連絡が入り(その連絡には当然のように返信していない)、とあるひみつきちを訪れると案の定そこには実弥に見つかってビクッと肩を揺らしたの姿があって。手持ちのポケモンと一緒にポフィンを頬張っていたが、慌てて口の中のそれを飲み込もうとする。「喉詰まらせんだろうがァ」と制止すれば、は「きゅっ」と妙な鳴き声を上げて動きを止めた。頬袋を膨らませたデデンネのような顔で、が困ったように実弥を見上げる。
「……いや、噛んで飲めよォ」
 何も、嚥下をするなと言っているわけではないのだが。安心したようにもぐもぐと口を動かし始めたに、怒りや呆れを通り越して脱力する。のギャラドスやミロカロスに寄ってこられ、実弥は「何も持ってねェぞ」と言いながらも追い払うことはしなかった。もう、この二匹の相手にも慣れたものである。それくらい、このひみつきちでのやり取りは恒例化していた。まったくこのポチエナ女は、と実弥はため息を吐く。
「で? 今度は何だってんだァ」
「……義勇さんの、」
 ようやくポフィンを飲み込んだが発した第一声に、「だろうなァ」と胸中で吐き捨てる。がルネを飛び出してくるのは、大抵義勇との他愛もないじゃれあいの延長のようなものだ。正直、こうして様子も見に来る必要もないのだが。
「ジムトレーナーの面接に来た人が、ビキニのお姉さんだったんです」
「ほーん」
「……ジムトレーナーの話はその人から辞退されてたんですけど、帰り際に、その、」
「…………」
「ほっぺに、ちゅー、を……」
 それも、「よければ今晩お食事でもいかがかしら」という誘いのおまけ付きで。義勇はそれはもう無関心極まる無表情で「断る」と即座に返答したらしいが、なるほどにとっては面白くない話だろう。の義勇に対する慕情は、本人の自覚している限りでは恋とも敬愛ともつかない幼い情緒だが。形はどうあれ強く慕っている義勇が言い寄られているのを見て、義勇が好意を抱かれていると喜んでにこにこ笑えるような性分ではない。いろいろと、なりに思うところもあったのだろう。
 義勇に誘いをかけたというビキニのお姉さんだが、なぜかその手のトレーナーは軒並み抜群のプロポーションを誇っている。のような貧相な肉付きの少女にとっては、ある意味で越えられない壁であろう。かといってその嫉妬を義勇にぶつけるわけにもいかず、海溝に潜ってルネを出て海を渡りミナモから走ってはるばるヒマワキまでひみつきちに家出しに来たというわけだ。アクティブな引きこもり、というのは実弥がルネジムの師弟を罵倒するときの常套句だが、今回もまさにその言葉の通りであった。
「いつものことだろうがァ」
「……はい」
 今回のような大胆なアプローチこそ珍しくとも、義勇が言い寄られるのはいつものことである。そもそもジムトレーナーを志してルネに訪れるのも、テレビに映る義勇の容姿や強さに惹かれた女性がほとんどなのだ。
 実弥からすればルネから出たがらない脳筋という印象だが、世間的には「寡黙な美男子」として認識されている。貴公子だ何だと持て囃され、端正な眉目と高い実力を兼ね備えたジムリーダーとして名を馳せているのだ。実のところ寡黙というより喋ることが億劫なだけであり、絶望的に口下手で言葉選びは一々壊滅的、更にはそれらに無自覚な上に根っからの脳筋で体育会系だ。少し話せばそれだけで幻滅されそうなものだが、遠巻きにされながらも人気は高い。まったく理解できないと思いつつも、目の前のを見れば自身にも返ってくる言葉なのでそれを口にするのはやめた。
 は血も繋がっていないくせに義勇に妙に似てしまい、見目は「可憐」と「綺麗」の間をゆらゆらとさ迷っているくせに中身と来たら師範同様どこまでも脳筋だ。一度、ジムに来ていた錆兎に稽古をつけられているところを見たことがあるのだが。「弱点を突かれたらどう対応する」という問いに対し「殴ります。上から殴ります」と答えていて、実弥は思わず自分のギャラドスが入っているボールを見下ろしたものだった。それに対して錆兎も「よし」と頷いていたから、脳筋は水タイプ使い特有のものなのかもしれない。閑話休題。
(幻滅、してねェなァ)
 例え、時折義勇以上の脳筋を発揮するとしても。普段は主が不在のジムをしっかりと守っているくせに、義勇と何かあると無駄に行動力を発揮して家出をするとしても。感情の発散の仕方も知らずこんなところまで来ておいて、やるべきことがあるからと毎度朝にはケロッとした顔で帰っていくとしても。それでも、幻滅していない。最初は、家出娘というところに弟を重ねて苛立ちのままに声をかけただけだったのに。気付けばこうして、様子を気にかけている。
「何でここに来るんだァ」
「……雨、降ってて、滝も川もあって……落ち着く、ので」
「テメェは水ポケモンかよォ」
 やはり根っからは義勇の弟子なのだと思い知らされて、胸がむかむかする。いつものことだ。も実弥も、成長しない。いつものことが割り切れなくて、もやもやとした苛立ちを相手にぶつけられなくて喉を詰まらせる。一応ヒマワキ周辺を管轄する者として様子を見に来たものの、無理に追い返さないあたり自分も相当にに甘いという自覚があった。
 ガリガリと頭をかく実弥に、ぽてぽてと近付いてくるポケモン。ギャラドスの背中に乗っていたそのポケモンは新顔で、実弥の風貌にも怯えることなくそっとポフィンを差し出した。
「……テメェの分だろォ、自分で食え」
「あ、チョンチー、」
 断られて落ち込むふうもなく、「そう?」とでも言いたげな顔でギャラドスの背に戻る。「実弥さんの分はあるから大丈夫だよ」とチョンチーを撫でたに、実弥は眉をぴくりと動かした。
「いつも、お世話になっているので……千寿郎くんにおいしいおはぎのお店を聞いて、買ってきたんです」
「……煉獄の弟かァ」
 机の上に置かれていた紙袋を手に取り、がとてとてと歩み寄ってくる。フエンの観光業を支える千寿郎の見立てとあらば、間違いはあるまい。それに同じおはぎ好きとして、の味覚は信用していた。年下にたかるような真似はしないが、なりの好意を示されて断る気もなかった。それに、はで毎度実弥に気を遣わせていることを気にしていたらしい。案外それは、悪くない心地がした。礼を言って受け取ろうとして、ふと気付く。
「……フエンまで行ってきたのかァ?」
「はい、ここに来る途中で」
「途中じゃねェだろ、行って戻ってきてんじゃねェか」
 明らかに、寄り道の範疇ではない。より正確に言うならば、の辿った道はルネからトクサネ、トクサネからミナモ、ヒマワキ、キンセツを経由してのフエン、からの来た道を戻りヒマワキだ。ホウエンをほぼ半縦断していることに、さすがの実弥も呆れた表情を浮かべる。トクサネで宇宙センターを見学し、キンセツで宇髄のジムに顔を出し、フエンでもおはぎのついでにいつものモーモーミルクを買ったのだろう。それだけバイタリティに溢れているのだったら、と実弥は思う。
「冨岡に一発ビンタでもした方が早ェだろォ」
「?」
 行動力の方向音痴を目の前に、思わずそんな呟きがこぼれた。またぽてぽてと寄ってきたチョンチーを見て、こいつはせめて脳筋にならないといいと思う。奇しくも義勇と同じことを考えているなどと幸いにも知らないまま、実弥はからおはぎを大人しく受け取ったのだった。
250924