最初はなんとも思っていなかった。有象無象のひとりだった。ほんの時々、藤の家で見かけて。チビのくせにまだ生きているのかと、そのくらいは思ったかもしれない。
初めに抱いた明確な感情は、苛立ちだった。気に食わない水柱と、それでも同じ任務に行かざるを得なくて。妙にそわそわとしていた義勇の頭には、いつも以上に連携や協調という言葉はなく。鬼の頸を刎ねた途端に踵を返した義勇を、一発殴ってやろうと追いかけたのだ。義勇の向かった藤の家には、包帯でぐるぐる巻きの子どもがいて。手負いの獣のような子どもが、やたらと義勇に懐いていた。あんな弱い生き物を庇護するくせに周りを顧みない義勇にも、呑気に保護されて安心している仔犬にも無性に腹が立った。嫌いだと、思ったのだ。その日は、実弥の憎悪の対象になった。
それが憎悪ではなく嫉妬だと気付いたのは、いつの日だったか。いつもうじうじおどおどと義勇の後ろで怯えている子どもが、珍しく独りで鬼を斬っていて。小さな牙を剥き出しにして、頼りない爪を研ぎ澄ませて、自分の命すら置き去りにするような速さで鬼の頸めがけて奔っていた。自らの血なのか返り血なのか、顔を横切るように血の線が走っていて。そんなものに頓着することもなく首元に喰らいついたは、いっそ痛快なほど惨たらしく何度も鬼の頸に刀をめり込ませていた。技も何もない、ただ何度も鬼の頸が切れるまで。取っ組み合いのように鬼に頭を掴まれて、髪を引っ張られて、それでもの方が速かった。何度目かもわからない斬撃で、ようやく首がぼろりと落ちた。その時にふっと安堵したようにわらった、のなりはぼろぼろで。濃い死の匂いを纏わりつかせて生の安堵を噛み締めるように柔らかく笑ったに、どくりと心臓が跳ねるのを感じたのだ。そして漸く理解した。自分はずっと、あの綺麗な同族を飼い慣らしている義勇が妬ましかったのだと。
「――間抜けな顔だなァ」
藤の群生する藪で、すうすうと丸まって眠る仔犬。乱れ咲いた藤をかき分けてを見つけた実弥は、その鼻の頭についた花びらをびしっと弾き飛ばした。藤の家紋の家に泊まれば良いものを、なぜこんな藪の中で寝ているのか。の鴉がたまたま実弥を見つけなければ、徹夜明けの体力を回復するまでここで休むつもりだったのだろう。その頬には、ぱっくりと赤い線を引く切り傷ができていた。
「チッ、図太い神経してやがる」
思いの外丁寧な手付きでを抱き上げた実弥に、の鴉は驚いたように翼をばたつかせる。柱にこんなことをさせるなんていい度胸だと思いながらも、そもそもでなければ蹴り起こして去っているか無視している。夜通しの戦闘で疲弊し怪我をしているは、実弥にとっては保護すべき同族だった。ただ、それだけのことだ。
「……クソ、」
が抱き締めている刀の鍔は、亀甲の形だ。いつだっての後ろには、あの気に食わない男の影がちらつく。一番近い藤の家にこの子どもを放り込んで、さっさと帰ろうと思うものの。ここから一番近いのは、実弥に与えられている屋敷だった。別にやましいことをするわけでなし、誰に責められることもないとわかってはいたが。
「起きたら覚えとけェ……!」
イライラしながら、を抱えて走っていく。誰と間違えているのか実弥の羽織の裾を握って間抜けな寝顔を晒すに、けれど満更でもない気持ちでいることを認めざるを得なかった。
190508