「ねえさ、ん……」
 やってしまったと、玄弥はバッと口を押さえた。振り向いてきょとんとするは、蝶屋敷に通ううちに親しくなった先輩であり、玄弥が緊張せずに話せる数少ない女子である。そして、兄である実弥の想い人。水柱の冨岡義勇の継子として義勇を慕っているのは知っているが、もしかしたらが玄弥の義姉になる未来もあるのかもしれない。そんなことを考えていたのが良くなかった。友達と言うにもまだ微妙な距離なのに、唐突に恥ずかしい呼び間違いをしてしまって顔が熱くなる。真っ赤になって黙り込む玄弥をきょとんと見上げていたは、ぽつりと「ねえさん」と呟いた。響きを確かめるように、姉さん、姉さんと数度口にして。
「姉さん……!」
 ぱああっと、の顔が華やいだ。弟妹がいない上にどちらかと言えば妹のような立ち位置で扱われることが多いからだろう、嬉しそうにはしゃいで乏しい表情筋で喜びを表現する。
「あの、玄弥くん、もういっかい、」
「……勘弁してくれ」
「あのね、すごくうれしい」
「それはいいけどよ……」
 大きな手のひらで顔を覆って赤面を隠す玄弥と、尻尾があれば左右に勢いよく振れているであろうほど、にこにこ嬉しそうにしている。そんな二人を、物陰から見ている人物がいて。
「…………」
 ひどく悔しそうな、それでいて満更でもなさそうなのを憤怒の形相で隠そうとしているかのようなその人物は、言わずもがな不死川実弥その人であった。未だに確執の根が深い不死川兄弟である。実弥の恋するが実弥よりむしろ玄弥と親しいことも、実弥の不機嫌の理由のひとつだった。弟と認めていないと公言している玄弥を餌に、「俺と結婚すれば本当に姉さんになれるぞ」と誘うのも癪で。けれど、が「姉さん」という言葉ひとつで珍しくはしゃいでいる様子は実弥は本来見られなかったであろう光景だ。死ぬほど悔しいと、その表情は雄弁に語っていたのだった。
 
190509
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