――ひらり。
「それ」は、物心ついたときからの日常の一部だった。視線の端に翻る、赤か黄色。それが半分この模様の羽織だと気が付いたのは、わりと最近のような気がする。はっきりとその姿を捉えたことはないけれど、それはにしか見えていないようだった。何をするわけでもなく、近付いてくることもなく。ただ、の視界ぎりぎりにいた。誰に問うても、誰も知らない存在。いつしかは、それについて問うことをやめた。
――ひらり。
舞い落ちた落葉。赤と黄色に思い浮かぶのは、視界の端にいる「彼」の姿だ。年を経るにつれ少しずつ鮮やかになっていく「彼」は、詰襟の黒い制服の上に羽織を着た青年のようだった。臙脂色の無地と黄色や緑の亀甲柄を半分ずつ組み合わせた羽織は珍しいものだろうに、が調べた限りではそのような人物は係累にいないらしい。優しい祖父母の昔話には、彼の姿は見いだせなかった。何となく彼が詮索を嫌がっているような気がして、はそれ以上彼の素性を辿るのを諦めたのだ。
――ひらり。
近頃は、彼の顔も視認できるようになった。とはいえ相変わらず彼は視界の端にしかいないから、何となく顔立ちがわかる程度なのだけれど。あの翻る羽織は、
――ひらり。
思わず手を伸ばす。けれど容易に躱された。否、初めから届きはしないのだけれど。彼はに何もしない。語りかけもしない。
――ひらり。
彼はただ、を見ていた。
190610