※転生ネタ

ちゃん」
「…………こんにちは」
 義勇のいない帰り道で声をかけられて、は逡巡の後にぺこりと頭を下げる。正直なところ、はこの男と一言も会話を交わしたくはない。それでもが知り合いとしての礼儀を守るのは、「ここでは彼は人間だから」だった。
「学校の帰り? いつもの先生がいないね」
「……今日は先に帰るようにと」
「そっか、じゃあ俺が送っていってあげよう」
「いえ、ひとりで帰れます」
「方向が一緒なんだから、遠慮しないで」
 にこにこと笑う童磨は、折り合いの悪い里親の元からを逃がしてくれた恩人でもある。結局の人生は、この男がいなければ義勇の元に辿り着けないようにできているようだった。感謝の気持ちが無いかと言われれば、無いわけではないのだ。それでも、胸の内に巣食う嫌悪感はどうしようもない。この世界と以前の世界では事情が違うとわかっていても、多くの人を喰らいの生死を弄び、あまつさえの腕を奪った化け物の記憶がちらつく。この世界の童磨は人を喰わないし、胡散臭いとはいえ教祖として人を救っているのは事実であった。とて、童磨に助けられた人間である。この世界に鬼はなく、童磨は人を喰らわず、の手には刀などない。だからこうして、会ってしまった以上礼儀としての会話を交わす程度の関係には耐えられた。どうしてこんな記憶を持って生まれてしまったのかと思ったことも、一度や二度ではない。何も知らなければ呑気にこの男に恩義を感じていられたのだろうかと、益体もないことを考える。童磨の存在は、前世とやらの記憶を持って生まれたことに対する唯一にして最大の後悔だった。
「ねぇちゃん、寄り道していこうよ」
「……しません」
「ええ、そこにおいしい和菓子屋さんがあるのに」
「おひとりでどうぞ」
「あそこ、おはぎがおいしいらしいよ? ちゃん、おはぎが好きなんだろう?」
 童磨が寄り道をするならばさっさと帰らせてもらおうと、すたすたと歩みを進めていただったけれど。を引き留める童磨の言葉に、の顔色が青くなった。ぴたりと足を止めて見上げるに、童磨は首を傾げる。
「どうしたの?」
「……忘れ物をしたので、失礼します」
「あっ、待ってよちゃん」
 踵を返して、学園への道を走る。童磨の慌てたような声が聞こえたが、追いかけては来なかった。バクバクと鳴る心臓を抑えて、ひたすらに来た道を駆ける。忘れ物をしたなんて嘘だけれど、とにかく童磨から離れたかった。
 ――ちゃんはおはぎが好きなんだってね。俺は人間の女の子が好きだよ。好きなものを食べたいって気持ちに、人も鬼もないでしょ?
 それは「前」の童磨の言葉だ。今の童磨が、知らないはずのこと。今の童磨はと顔を合わせれば一方的にぺらぺらと話しかけてくるだけで、の好物など知りようもない。誰かから聞いたという可能性もあったが、悪寒の走った背筋が楽観を許さなかった。やはりもう二度と童磨には関わるべきではないと、本能が警鐘を鳴らす。今はきちんと左腕があるというのに、幻肢痛の感覚が蘇った。
「……は、」
 気持ち悪い。無様に地に這い蹲り目の前で腕が食われるのを、ただ見ていることしかできなかったときを思い出す。例えこの世界の童磨に何一つ非が無いとしても、は童磨を避けても良いのではなかろうか。蹲ったは、吐きそうになるのを堪えて努めてゆっくりと息を吸う。あの童磨がの知る鬼であってもそうでなくとも、が覚えている限りは相容れないだろうと悟ったのだった。
 
190618
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