「……あ、」
 それはとても小さな声だったけれど、実弥が聞き逃すことはなかった。振り返った先のは既に前を見ていて突然実弥が振り向いたことにきょとんと首を傾げたけれど、実弥は頓着せずに辺りを見回す。薬屋だの呉服屋だのが並ぶ中で、ぽつんと佇む露天商。しゃぼん玉や竹とんぼが並ぶその店はよりも幼い子どもを客層にしているのだろうが、実弥にはが興味を示したのがそこであるとなぜか判った。行くぞ、と顎をしゃくると慌てたが「でも」だの「早く帰らないと」だのとぽそぽそ遠慮しようとする。気の短い実弥は煮え切らないの態度に苛立ち、その手を掴むと強引に引き摺っていった。
「あ、あの、実弥様……」
「帰るだけだろォ、寄り道くらい構いやしねェよ」
 任務帰りに、露店を覗いていくだけだ。どのみちが任務のときは義勇も外食で済ませているようだから、少し帰りが遅くなったところで支障などあるまい。何より、たまたま任務帰りに鉢合わせるという滅多にない偶然を、実弥はそう簡単に終わらせる気はなかった。どうせこのまま何事もなく帰れば、適当なところで分かれて互いに家路につくだけだ。次の偶然など起きるかどうかすらわからない。鬼狩りとしての本分を忘れることなどないが、好いた女と過ごせる貴重な時間を無為に終わらせる気もない。ただでさえの中で実弥は義勇との不仲により印象が悪いのだから、実弥から動かなければ進展など望めるはずもなかった。
「ガキはガキらしく遊ぶことも考えとけェ」
「は、はい……」
 ぐいぐいと引っ張っていくと、店主に「兄妹かい?」と微笑ましそうに声をかけられる。否定をするのも面倒だったので曖昧に頷いたが、いっそ恋仲だとでも言えばよかったかと少しだけ後悔する。けれどは義勇に負けず劣らず鈍感なのだ、それで実弥を意識するという方向よりも困惑の方向に転ぶだろう。今はを怯えさせずに距離を縮める方が先決だとわかっていた。
「これがいいのかァ」
「あ……」
 が興味を示していたものを、さっさと掴んで会計を済ませる。どうせその口から出てくるのは遠慮の類の言葉に決まっている。好いた女とはいえ、のそういったところに苛立たないわけではない。短気をぶつけて怯えさせる前にと店主に品物と小銭を渡して振り向けば、案の定は間抜けな顔をしておろおろと実弥を窺っていて。「ほらよ」と赤い風車を突き出した実弥にも、半ば押し付けられたそれをおそるおそる受け取ったにも、店主は微笑ましげな視線を向けていた。
「あ、ありがとうございます……」
 大切そうに両手で風車を握ったに鼻を鳴らし、実弥はの肩を抱くようにして歩き出す。しばらく歩いたところで「おかね、」と財布を取り出そうとしたの頭を、実弥はばしんと叩いた。
「つまんねェこと気にしてんじゃねェよ」
「でも……」
「俺に恥かかせんじゃねェ」
「……今度、おはぎ持っていきます……」
「おう」
 くるくると、の手元で回る風車。乏しい表情筋を緩めてそれを見下ろすは、ふにゃりと気の抜けた表情を浮かべた。
「嬉しいです……義勇さまにもみせます」
「好きにしろォ」
「鱗滝さん……育手が、昔作ってくれたんです、風車。はじめての、宝物で」
「ふーん……」
「実弥様からいただいたものなので、これも宝物、にします」
「……そうかよォ」
 言葉こそ無愛想に聞こえるものの、そっぽを向いた実弥の表情は満更でもなさそうなそれだ。あまり自分のことを話さないだが、師との思い出をぽつりと零すほどには嬉しかったらしい。からからと回る風車にちらりと視線を向け、笑みにも似た表情を実弥も浮かべたのだった。
 
190827
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