「義勇さまのことで、相談があるんです……」
「相手を間違えてんだろォ」
何だって義勇と不仲の自分を相談相手に選ぶのかと思いつつも、結局実弥はの頼みに弱い。それが嫌っている男のことだとしても話を聞いてしまうのだから本当に甘いと、実弥は胸中で嘆息した。
「……で?」
「義勇さま、動物が無理なのだそうです……」
「それを俺に言っていいのかよォ」
義勇のことが嫌いだと公言している男の前でその弱点を明かすなど、危機感がないのだろうか。今度の前で義勇に犬でもけしかけてやろうかと思ったものの、それを本気で実行に移す気はない。やはりどうしたって実弥はに弱いのだ、惚れた弱みというものである。何よりもタチが悪いのは、がそれを自覚もしていないくせに実弥を振り回すことだった。今もようやく実弥の言葉を理解したが、ハッとした様子で「動物で義勇さまを虐めないでください」と土下座などしてみせる。本当にこの女は何もわかっていないのだと思えば腹立たしくもあり、けれどそういうところすら含めて好いているのだから末期である。蜜璃の言動に頭を抱えることもありながら一目惚れを拗らせている伊黒を理解できないと思っていたこともあったが、今の実弥はどこから見ても伊黒の同類であった。
「……あいつに構うほど暇じゃねェ」
吐き捨てるように言えば、わかりやすく安堵の表情を浮かべる。本題から逸れていることを指摘するとまたハッとしたは、義勇でなくとも心配になるだろう。危険を嗅ぎとる本能も警戒心も持ち合わせているのに、気を許した相手の前だと途端に飼い慣らされた犬のように無警戒になる。自分もようやく気を許されたのだと満更でもない気持ちになる一方、いつか騙されたり裏切られたりするのではないかと思うと心配性にならざるを得ないのだ。育手に山で拾われたと言っていたが、人攫いにでもあって逃げたのではないかと実弥は思う。実のところそれはほとんど正解に近い予想なのだが、実弥もも知る由もない話だった。
「その、実弥さまも伊黒様も、私のことを犬とおっしゃいます……」
「おう」
「義勇さまは、動物がお嫌いです……」
「そうらしいなァ」
「わたしが犬だとすると、義勇さまに嫌われるのではないかと……どうすれば、義勇さまに嫌われない犬になれるでしょうか……」
「…………」
問われた実弥は、長い長いため息を吐いた。額に手を当てて、自身を落ち着かせるためにも深くゆっくりと息をする。この女ときたら自分を好いている男を前に、他の男に腹を見せて尻尾を振る手管を尋ねているのだ。自覚がないからこそ、余計に腹立たしい。恋仲でもない男と呑気にふたりきりでいることも気にかけていない間抜けな顔の女を、今ここでどうにかしてやろうかとすら思ってしまう。結局はそう思うだけで、稽古ならともかく男女としてを傷付けることなど実弥にできるはずもないのだが。「間違っても伊黒には相談するんじゃねェぞ」と釘を刺しておきつつも、実弥はのっそりと顔を上げた。
「あいつはテメェを犬だとは思ってねェだろ」
伊黒や実弥がを犬呼ばわりするたびに顔を顰めて訂正する義勇のことだ。杞憂だと、その丸い頭を小突く。不安そうな顔をしていただが、実弥の言葉に少し表情を和らげた。
「よしんば犬扱いしてたとしても、首輪つけて傍に置いてんだからテメェはいいんだろうよォ」
実弥の言葉に、へにゃりだとかふにゃりだとか、そんな気の抜けた笑みを見せる。そうやって笑っていればいいと、実弥は思う。こうしてずっと、間抜けな笑みを浮かべて幸せそうに生きていればいいのだ。そう、思ったのだった。
190903