友達が死んだ。
「……っ、」
 ばくばくと煩い心臓を抑えて、カナヲは飛び起きる。もうすっかり見慣れた天井は、胡蝶家のものだった。ひゅうっと鳴った喉を落ち着かせるように、深呼吸を繰り返す。部屋を見回せば、いつもと何も変わらない。『平和な世界』だった。
 ――あなた、誰を食べたの?
 目の前で姉を殺され、仇と対峙し。その時カナヲの優れた視力は、鬼の胸元に引っかかっていた藤色を捉えてしまった。
 ――あなた、誰を食べたの。
 震えそうになる声を抑えて、努めて冷たく詰問した。あのちぎれた布地は、あまりに見慣れすぎた色をしていた。カナヲが問うているのが、しのぶのことでも周りに転がる白い服の信者たちでもないことに気付いたのだろう。その鬼は、実に不愉快な笑みを浮かべて口を開いた。
『君、もしかしてその子を知ってるの?』
 訊いてもいないことまで、その鬼はぺらぺらと話した。落ちてきた女の子のこと。運命の再会だとか、初恋だとか。指を食んだときのぽりぽりとした音。痛みに必死に耐える表情。血の甘さ。肉の柔らかさ。それでもなお睨み付ける天色の美しさ。知っているのか、という問いなど見せかけで、その鬼は自分が腕を喰った女の子がカナヲの知己であることを確信していたのだろう。けれどふと気付いたようにその鬼は、辺りを見回して。
『そこに置いておいたのに』
 友人が死んだとわざとらしく泣いたときでさえ青ざめなかった顔が、血の気を失くした。自分で腕を喰らっておいて、手当もせず捨て置いて、そのくせ愛しいだとか何だとか並べ立てたくせに、どこに落ちたとも知れぬとなった途端に狼狽えて。あまりの身勝手さに反吐が出そうだった。姉を殺された上に、友人まで。いつも生きることに一生懸命な友達を、この鬼は弄んだのだ。怒りで、どうにかなりそうだった。あの鬼は、自分が腕を喰べた人間の名前を知りたがったけれど。ふざけたことに、一緒にあの子を探そうとまで提案してきたけれど。カナヲはそのどちらも拒否した。友達を、これ以上あの鬼に穢させたくなかった。探しに行きたかった、助けたかった。それでも、カナヲはあの鬼の首を斬らなければならなかった。
『……俺の、あの子、』
 首が落ちたとき、その瞳は誰かを探すように動いた。探していたのが誰かなのかは、確信は持てない。それでも思わず『あなたのなんかじゃない』と吐き捨てた怒りを、カナヲは「今」も覚えていた。
 ――友達が死んだ。
 カナヲの大切な友達は、カナヲの知らないところで死んでしまった。看取ったのは、風柱だという。深手を負った状態で高所から落下したのが死因だった。あんなに死ぬことを恐れていたのに、安らかな顔で逝ったのだそうだ。きっと、もっと仲良くなれたはずだった。まだ、一緒にしたいことがたくさんあった。この世界でに会えたときカナヲが泣いた理由を、は知らない。それでも良かった。突然泣き出したカナヲを訝しむこともなく案じてくれたは、「前」の記憶がなくともだった。カナヲの大切な友達の、だった。
「……
 しのぶとカナエたちと、幸せの道を歩く願いが叶ったカナヲ。義勇と一緒に、毎日家に帰る幸福を得た。この世界は泣きたいくらいに優しくて、だから時々怖くなる。当たり前のように続く幸せなどどこにもないと知っているから、今度はきっと守りたかった。失くさないように、大切に握り締めて。家族も友達も、後悔のないように大切にしたくて。今度は心の声から目を背けないように生きようと、決めていた。「前」を覚えているしのぶもカナエも、そんなカナヲの決意を前向きに肯定してくれて。この少し不思議な優しい世界で、カナヲは生きていた。
 
191007
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