幻肢痛、というらしいそれは時折を苦しめた。今日のように、冷ややかなほど月の美しい夜は特にそうだった。布団の中で蹲り、左肩を抑える。腕はそこにないのに、少し盛り上がった肉があるだけなのに、まるで左手がそこに存在しているかのような。そして、その左手が指先から齧り取られていくような。皮膚を裂かれ、肉を噛みちぎられ、骨を砕かれる痛み。知らないはずのその感覚を、何故か鮮明に左腕は覚えていた。無い腕が痛むという症状には、治療法も薬もない。ただ、じっと蹲って目を瞑る。厳密に言えば幻肢痛とも違うそれは、原因もわからないままを苛む。不思議と朝になればその痛みは治まるから、必死に痛みを堪えて耐えていた。
「……っ、」
ぎり、と歯を食いしばる。大丈夫だと、何度も自分に言い聞かせた。には痛む左腕など無い。生まれたときから無い。だから痛くなんてないと、齧られてなどいないと、中身のない袖を握り締める。カチ、カチと、いやに進みが遅く聞こえる時計の針の音を意味もなく数えながら、朝に焦がれた。
「……?」
スッと、僅かに擦れる音。部屋に差し込んだ明かり。布団から顔を出せば、心配そうな顔をした義勇がそこにいて。驚きもしたが、同時に安堵する。どうしてか義勇は、がこうして幻肢痛に苦しんでいるときにいつも気がついてくれる。寄り添って、手を握っていてくれる。今日は眠りについてから痛みに起こされたから義勇に甘えるわけにはいかないと思ったのに、様子を見に来てくれたらしい。自分で思っていた以上にの心は弱っていたようで、ぽろりと涙が零れ落ちた。の隣に腰を下ろしてくれた義勇に、堪えきれずにぎゅっと縋り付く。そこには無い腕ごと囲い込むように、義勇は強くを抱き締めてくれた。ぽんぽんと優しく背中を撫でられて、頭を押し当てた胸元からトクトクと規則正しい鼓動が聞こえて、徐々に痛みが和らいでいく。完全に無くなったわけではなかったが、叫び出したいほどのそれではなくなっていた。じくじくと疼く痛みから意識を逸らして、義勇の鼓動の音に聞き入る。優しい音。安心の音。世界でいちばん、尊い音。もぞもぞと義勇の胸に頭を押し当てると、義勇はの頭を抱え込んでくれた。体温も心音も触れ合う感触も、義勇の全てに安心する。ひんやりとした夜に怯えていた体が、温もりを得て弛緩していった。
「……ありがとうございます、義勇さん」
「もう大丈夫なのか」
小さく笑って頷いたは、義勇からそっと離れて再び布団に入る。が寝付くまでの間だと言って、義勇は手を握っていてくれたままでいた。名残惜しく思いながらも目を閉じると、義勇の手が優しくの頭を撫でる。痛みに怯えていたのが嘘のように、深く息を吸えては安堵した。意識が遠のくのに任せて、眠りに身を委ねる。義勇が苦しげに顔を顰めたことを知らないまま、の意識は沈んでいった。
191008