「ぎゆー!」
 人気のないところで口枷を外してやると、はにこにこと満面の笑みを浮かべて義勇に抱き着いた。見た目通りの幼子のようなは、あまり語彙が多くない。とある廃寺で出会った子鬼は、信じ難いことに人を食べたことはなかった。かつて義勇が、救ったはずだった子ども。当時と何一つ変わらない見た目のを見つけたとき、義勇はこの子どもを殺してやるべきだと思ったのだ。けれど、白い服の女性がを庇った。この子どもは、教祖を名乗る鬼に何年も囲われていたのだと。無理矢理鬼にされ、その鬼の肉を食わされ、それでも一度も人間を襲ったことはない。だからを逃がしてやってほしいと、女性に懇願された。ある寺に身を寄せていたその女性は教祖の正体との境遇を知ってしまい、亡くした娘に面影を重ねてしまったを連れて逃げ出した。けれど逃げる際に深手を負ってしまい、もう助かりそうもないのだと。そんな状態で鬼を庇おうとする人間にも、それだけ血臭を漂わせている女を喰らおうともしないにも驚かされて。は、今にも内臓がまろび出そうな女性の腹の傷口を懸命に抑えてぽろぽろと泣いていた。××、××とそれしか知らないように女性の名を繰り返し呼んでいた。かつて助けたはずだった子どもを見捨て鬼にしてしまった罪悪感、特異な鬼、鬼を庇うために命を捨てる人間。脳裏に浮かぶ炭治郎と禰豆子の姿。様々な要因から、義勇は埋めた女性の墓前に手を合わせてを引き取ると決めた。産屋敷に文を出し、に口枷を嵌め、柱としての職務を果たす傍らを人間に戻す方法を探し始めた。竈門兄妹との出会いがなければ、義勇はやはりを斬っていたかもしれない。それなのには、「ぎゆー、ぎゆー」と雛鳥のように義勇を慕う。自分がこの子どもに抱いている感情が何なのか、義勇にも整理がついていなかった。
「ぎゆー」
 にこにこと、柔らかい布団を指してが笑う。の言葉はひどく拙いが、どうにもは好ましいと思ったものに対して「ぎゆー」と笑顔になるのだと最近気付いた。自分に懐く犬だとか、ふわふわとしたたんぽぽの綿毛だとか、水面に映る月だとか。嬉しいという感情全てを義勇に定義している幼子を見て、何も感じないかと言えば嘘になる。庇護欲だとか慈愛だとか、そういった感情を抱いてしまっているのは事実だった。
「ぎゆ、」
 は人を食わない。代わりに、鬼を食う。鬼になってからずっと鬼だけを食わされていたせいなのか、の鬼としての本能は人ではなく同胞を食べ物として認識してしまっているようだった。異常な鬼で、人ではなく鬼を食うと言ってもいつその矛先が人に向くかわからない。それでも鬼殺隊の歴史に鬼食いの隊士が度々現れていることもあり、また実際どんな深手を負っても飢餓状態にあってもが人には見向きもしない現状から、義勇の監督下で生きるという例外を許されていた。自らの体を血のように赤い水に変化させ、またそれを操ることのできる鬼食いの鬼。定期的に産屋敷経由で送られてくる採血管にの血を採取して返しているが、その結果は鬼にかかっている呪いを外しているらしいということが判明した。禰豆子とも違う意味で突然変異のような鬼を、ひとつの可能性として保護すると決めた産屋敷。他の柱たちはをあまり好意的な目で見ていなかったが、悲鳴嶼がをしのぶに診せることを提案したのは少し意外だった。聞いた話によると、悲鳴嶼の弟子である玄弥は鬼食いらしい。弟子と紙一重の境遇と、嘘も吐けないほどの白痴にを哀れんだらしかった。

 布団に入れて寝かしつけてやると、はやはりにこにこと嬉しそうに義勇を見上げる。この子どもを人間に戻してやって、真っ当な幸せを与えてやりたい。その思いから、義勇はの柔らかな額をそっと撫でてやったのだった。
 
191010
BACK