「……どーま」
「すぐ終わる、我慢しろ」
ぷくっと頬を膨らませて不満をめいっぱい主張するの腕を捕まえて、採血のための針を刺す。針が刺さるときの痛みがお気に召さないらしいは、採血のときいつも不機嫌になる。嫌なものを見たときや不満を表すときはいつも「どうま」という名を口にするを見て、を囲っていた鬼の名はきっとそれなのだろうと察した。は、鬼を喰らうときもあまり積極的に喰らおうとしない。心底嫌そうな顔をして、「どーま、いや」と鬼の体を見下ろす。相当無理に肉を食わされていたらしく、死に際のあの女性の話では泣き叫ぶほど嫌がるを無理矢理押さえ付け、嘔吐くの喉奥に肉を押し込んでいたのだそうだ。とはいえ禰豆子のように睡眠で食を補えるわけでもないに、共喰いさせるのは気が進まないながらも鬼食いを促さなければならなかった。は自らを囲っていた鬼のことを蛇蝎のごとく嫌っているようで、「ぎゆー」と笑うときとはまるで正反対の表情を浮かべる。到底口には出せないようなこともその鬼にされていたらしく、が人を喰わないのはその鬼に対する嫌悪感によるものもあるのだろう。あの後義勇はが逃げ出してきたという寺を探したが、既にその寺はもぬけの殻で。追っ手もかからず、その鬼がを諦めたのではないかという期待もあれど楽観視はできなかった。に鬼や寺のことを訊いても要領を得ないことばかりで、「どーま」「きらい」の他にはほとんど何も話せない。鬼に囲われていたときのことを聞こうとすると、は義勇にぎゅっと抱き着いて離れなくなってしまう。カタカタと震えて、いつもの陽だまりのような笑顔が消え失せて真っ青な顔で義勇に縋るのだ。心底怯えているのだとわかってからは、無理に思い出させるのも躊躇われて。甘いと言われればそれまでだが、実際からは有益な情報は聞き出せまい。の精神状態が白痴めいて幼いままなのも、その鬼の影響でないとは言えず。鬼に対する怒りこそ募れど、に無理を強いるつもりにはなれなかった。
「終わったぞ」
「……ぎゆー、」
針を抜いた痕を拭ってやると、は不安そうに義勇に抱き着く。うりうりと頭を胸に押し付けるの背中をぽんぽんと叩いて、義勇は採血の片付けをした。まだ少し機嫌の悪そうなをしがみつかせたまま、ごそごそと荷物の中から藤の髪飾りを取り出す。何となく買ったそれを、の髪に当てた。
「、」
「?」
簪を差してやると、はきょとんと首を傾げる。おずおずと自分の頭に手をやり、形を確かめるように髪飾りに触れる。その様子が何だか微笑ましく思えて鏡を見せてやると、ぱあっと顔を輝かせて義勇を振り向いた。
「……ぎゆー!」
「ああ」
「あり、がとー、ぎゆ、」
たどたどしく礼を言うの頭を、ぽんぽんと撫でる。再会したときにの髪を結んでいた赤い結紐は、何となく外させていた。を追う手がかりになってしまうかもしれないという取ってつけたような懸念を言い訳に、の唯一の家族との繋がりであろう結紐を外した。柔らかい髪を結ってやっていたのはあの××という女性だったのか、あるいは「どうま」という鬼だったのか。その結紐を外させた義勇には怒るどころか、義勇が結紐を欲しがったと思ったのか「どーぞ!」と笑顔で結紐を差し出したのだ。自分の数少ない持ち物を、義勇にならばと簡単に差し出してしまえるほどの信頼と好意。後悔しつつも受け取らないわけにもいかず、赤い結紐は義勇の懐に仕舞われたままだ。せめてもの償いのように贈った髪飾りに、は心底嬉しそうにしてぴょんぴょんと跳ねていた。の幼い好意は、いつだって真っ直ぐで眩しくて。こんなにも綺麗な生き物が鬼ならば、人である自分は一体何なのだろう。そう、義勇はの頭を撫でてやりながら思ったのだった。
191010