荘園の主は、余程他人の古傷を抉るのが好きらしい。目の前に突如突き付けられた「思い出」を、義勇は苦い気持ちで見下ろした。
『告げられなかった約束は、思い出の裏で朽ちていく。懐かしい日々に沈めた後悔を、君は手に取る』
 義勇にしか意味のわからない言葉の並ぶカードを手に取って、水に沈めた。紙もインクも、暗い水に溶けていく。よくもまあこんなものをわざわざ用意したものだと、義勇は改めて荘園の主に呆れを抱いた。
(やり直しでも、させるつもりか)
 はこの簪を、知らないだろう。知るはずがない。これは義勇がに贈ろうと思って、結局渡せなかったものだ。きっと似合うと思った、その花を贈って。義勇は、に「一緒になってくれ」と告げるつもりだったのだ。
(折ってしまおうか)
 こんな形で、の手に渡ってほしかったわけがない。と夫婦になることも、藤の花を見せてやることもできなかった。あの日の義勇は、臆病だった。を、あんな閉鎖的で寂しい漁村に縛り付けることを躊躇った。年中潮風に苛まれる貧しい暮らしで、共に生きてくれと言うことを恥じた。一度だけ街の写真館で撮った、一枚しかないふたりの写真。その写真立ての裏に、簪を隠した。それは受け取るべきの手に渡らないまま、あの村で朽ちたのだろう。自分は溺れ死んで、は焼け死んで。あのさもしい村も、焼け落ちた。煤けた浜辺に打ち上げられたカンテラだけが、あの日から今に繋がっている。
「……きっとお前に、よく似合う」
 器を同じくする、愛しい人。二度と触れ合えず、視線は交わらず、声は届かない。義勇はそっと、帯に簪を挿した。まぶたの裏で、簪を揺らして笑うの姿を思い描く。きっと義勇が、この簪の由来を伝えることはない。ただは、いつかの約束を思い出して少しだけ寂しそうに笑うのだろう。それでも、この花はあの優しい笑顔によく似合う。

「わぁ、」
 ゲーム中だというのに、思わず感嘆の声が出た。椅子に縛られた医師も、と同じように目を見開いている。
「これは……花……?」
 特別な効果を持つ携帯品は、医師も持っている。特別とは言ってもゲームには何ら影響を及ぼすものではなく、主に視覚効果に限定されるものだけれど。灯台守の耳元で揺れる飾りと同じ花が、椅子の傘になるように咲き誇っていた。上品な薄紫の、雨が降るように咲く花。思わず状況を忘れて見とれてしまうほど、こぼれるように咲くその花は美しかった。実体のないその花は、灯台守の炎に焼けることもなく。救助に来たオフェンスも、ぽかんと目を見開いていた。ハッと我に返ったが、少し恥ずかしそうに咳払いをして表情を引き締める。タックルのためにオフェンスが走り出した刹那、カチンと音がしてマップは暗闇の水底へと沈んだのだった。
 
200110
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