へらへらと、能天気にいつも笑う子どもだった。鈍感で愚図で呑気で、本来勝己にとっては相性が悪いはずの人間。それでも、その幼馴染は不思議と勝己を苛立たせなかった。初めて引き合わされたとき、母親に「あんたは男の子なんだから守ってやりなさいよ」と言われたことが、最高のヒーローへの憧れと混ざり合って使命感へと育ったせいか。「かっちゃんはすごいね」と笑う、卑屈や媚びへつらいを感じさせない純粋な肯定が心地よかったせいか。という幼馴染は、爆豪勝己という人間にとってどうしようもなく「特別」だった。
「かっちゃん」
 は無邪気で可愛らしい子どもだった。綺麗で可愛いものに手放しの賞賛を与えられることは、気分の良いものだ。勝己のように些かひねくれた子どもにとっても、それは例外ではなく。何でもできる自分が、何かとできないことの多いを助けるのは当然だという意識さえあった。勝己はの他愛ない頼みを引き受けてやることが嫌いではなかったし、むしろ積極的にの困り事を解決してやりたかったが、「仕方ねぇな」「俺がやってやるよ」と恩を着せるような迂遠な態度を取ってしまいがちだった。あの時も、そんなふうにして手を伸ばして。
 ――かっちゃんはわるくないよ、
 そして、幼馴染の腕には一生消えない火傷痕が残ってしまったのだ。

 絶対に許せない人間がいる。従妹の腕に残る火傷痕を見るたびに、焦凍は顔も知らない人間への怒りを募らせていた。
「かっちゃんはすごいんだよ」
 にこにこと笑うは、母方の従妹だ。母が入院させられてからも、父の計らいで時折こうして家に呼ばれている。個性婚のために母の親族を丸め込んだ父は、外聞のためにをも利用していた。母がいた頃と変わりなく母の親族との付き合いを続け、関係が良好であると示すために。あれだけ横暴なくせにそういうせせこましさを見せるところも焦凍が父を嫌悪する一因だったが、本人には負の感情を抱くこともなかった。少し抜けていて、ぽやぽやしていて、守ってあげたくなるような可愛らしい女の子。「傷」を負ってしまってからは、なおさらわかりやすく「守るべきもの」の形になった。
「かっちゃんがね、星座をおしえてくれたんだよ」
「……星座くらい、俺も教えられる」
「かっちゃん」とやらに借りたらしい図鑑を抱えてにこにこと笑うに対し、焦凍はむすっとした顔で畳に落ちている花弁を拾い上げる。それを並べて夏の星図を作っていく焦凍に、は「しょうちゃん、すごいね」と無邪気な笑顔を見せた。
 ――かっちゃんはね、やさしいんだよ。
 の個性は、植物にまつわるものだった。ぽんぽんと宙に花を生み出したり、植物を活性化させたりできる。けれどその個性がを蝕むものでもあると知って、ただ微笑ましいだけのものではなくなった。主にの感情に連動して生まれる花は、抑えてしまえば害になる。腕や背中から突如植物の枝が生えたり、肌に直接花が咲いたり。それでも抑えようとすると次第に体が植物へと変わっていき、最後にはただの木になってしまうのだそうだ。木になってしまわないために花を生み出し続けなければならない従妹は、ひどく生きづらそうなのに全く己の不自由さを自覚している様子がなかった。不幸に気付いていない人間は、傍から見ていて痛々しい。
 ――かっちゃんはね、わたしを助けてくれようとしたんだよ。
 の腕を燃やした「かっちゃん」。四六時中ぽんぽんと生まれる花を他の子どもたちに揶揄されたが、花が生まれないようにと我慢して。その結果腕から生えてしまった枝に、はいつものおっとりした顔で「こまったねえ」と言ったのだろう。の幼馴染は、爆破の個性を持っていたらしい。抜くことも折ることもできない枝を、親切心から「爆破」したのだ。枝は除かれて、にも幼馴染にも良い結果に終わるはずだった。その枝が、皮膚の下にまで根を張っていなければ。爆破によって点いた火は、導火線のように広がる根を燃やしながら腕の中に潜り込んで。燃え上がった火が内部から腕を焼いた光景に、その幼馴染とやらが何を思ったのかは知らない。その夏にやってきた従妹の腕に、幾筋もの火傷痕があるのを見て初めて焦凍はその騒動を知ったのだ。はまるで幼馴染のことを憎んでいなかったし、それどころか事の顛末を「かっちゃんが優しい話」として焦凍に聞かせるのだから救いようがなかった。焦凍にも火傷痕があるし、焦凍もまた加害者である母を憎んではいない。けれどそれは父を憎んだからだ。母はどうしようもなく追い詰められていたからだと、わかっていたからだ。誰も悪くないと、それが優しさだと、理不尽に腕を焼かれてなお笑っていられるを見て、焦凍は従妹は頭がおかしいのだと思った。大切な従妹が傷付けられたのに、焦凍は何もしてやることができない。その幼馴染は、事故の前と変わりなくの無邪気な笑顔を享受している。この無垢を、変わらず自らのものとして手にし続けている。それがどうしようもなく腹立たしかった。
が俺の幼馴染だったら良かったんだ」
「しょうちゃん、いとこだよ?」
「そうだけど」
 いつもと遊ぶのが、自分だったら。傍にいてやれるのが、家が隣なのが、「かっちゃん」ではなく自分だったら。年に数回だけの泊まりではなくて、いつも傍にがいてくれたら。焦凍の夢を肯定してくれる笑顔が、いつも隣にいてくれたら。もしそうだったら、きっと焦凍はもう少し笑えていた。
「…………」
 は可哀想だ。可哀想なことに気付いていないのが可哀想だ。は自分の不幸に、気付こうともしていない。花弁で作った星図を、が「すごいすごい」と称賛する。畳にふたりで寝そべって、の抱えていた図鑑をめくりながら花の星図を指してあれこれと話をした。それもほとんど、焦凍が話すのをがにこにこと頷くだけだったが。花の咲くような、という比喩はあるがの笑顔には本当に花が咲く。ぽんっと咲いた花を何となく掴んで、焦凍はそれを見下ろした。現存する植物のどれにも当てはまらないその花は、が意識せず花を生み出すときに生まれてくる。「お花」とだけが呼ぶ名も無い花は、淡い白の花弁が五枚。ふっくらと丸みを帯びた花弁が広がるその花は、まさに子どもが思い浮かべて絵に描くような「お花」だった。だけの花。を蝕み、ただの木にしてしまうかもしれない花。の一部だと思えばいとおしいのに、を害するものだと思うと憎らしい。大切な女の子の「個性」は、焦凍の胸の内にぐるぐると黒い靄のような感情を渦巻かせた。
「…………」
 掌の上の白い花を、何を思ったか個性で燃やす。瞬く間に水分を失い灰となって散った自分の花を見て、は「しょうちゃん、すごいね」とまた笑う。自分の個性で生まれた花が燃やされるのを見て真っ先に出てくる言葉が焦凍への賛辞なのだから、本当に救えない。たった今花を燃やした焦凍の手に怯えることすらなく撫でられることを受け入れたを見て、焦凍は唇を噛み締めたのだった。
 
191015
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