は誰をも否定しない。言葉にすれば同じ「幼馴染」でも勝己ほどに近くない出久には、の博愛をやや俯瞰的に見ることができた。出久や勝己が憧れたように、も「平和の象徴」に少なからず影響を受けている。救けるため、考える前に体が動く。先天的にオールマイトと同じ狂いを抱いていた出久がその姿に感銘を受けたように、はその反射的であるが故の分け隔てのなさを心の大切なところに置いてしまったようだった。元より受動的であるは、オールマイトや出久のように誰かに手を差し伸べたりしない。けれど、伸ばされた手は握ってくれる。勝己に虐げられて、立ち向かって、それでもどうしても堪えきれないものがあるときは、のところに行った。泣かせてほしいと言えば受け入れてくれるを、泣き場所にしていた。
「ぼく、ヒーローになりたい」
「うん!」
「ヒーローになるんだ」
 にだけは、「ヒーローになれるかな」という問いかけはできなかった。は自分から出久に「ヒーローになれるよ」とは言わない。出久がどんな答えを出そうと肯定してくれるだけだ。「なれるかな」「なれないよね」、どちらを問いかけても同じ質量の肯定が返ってくるとわかっているから、にだけは訊かなかった。それでも、否定をされないというのは今の出久にとっては救いだった。だから、問いかけではなく意思として「ヒーローになる」と口にした。
ちゃんのことも、救けるよ」
「ありがとう!」
 個性は魔法ではない。身体機能だ。だから、体力が減るように個性の発動にも限度がある。なら、は。個性が発動することで体力の損耗や身体の疲弊があるという当たり前の摂理は、にはどう当て嵌めれば良いのだろう。の花は、いったい何を糧に咲いているのだろう。
 ――脳から花を垂れ流してるんだよ、そいつは。
 勝己の言葉が、ふと頭をよぎる。という人間性を食らって、花が咲いているのだとしたら。この「お花」は、剪定なのではないか。という生命を滞らせないための、剪定。はっきりとした言葉にはできないが、出久はそのようなことを感じていた。根を張られ、糧とされ、空っぽになった洞に詰め込まれた憧れの博愛。何もかも受け入れないと、消えてしまうのではないか。そんな恐ろしいことを考えてしまって、出久はの手を握る。勝己の残した火傷跡に、なぜか少しだけ安心した。

「デクくんはね、ヒーローになるんだって」
 デクという響きから木偶の坊が連想できる程度には賢い子どもだった焦凍は、蔑称であろうそのあだ名に眉を顰める。この従妹が蔑みの意図でその名を呼んでいるわけではないことなどわかっていたから、話の筋を逸らしてまでそこに突っ込もうとは思わなかった。
「しょうちゃんもかっちゃんもヒーローになるから、ヒーローがいっぱいだね」
「そうだな」
 ざりざりと土を掻きながら、の話に相槌を打つ。の話には内容が無いから、焦凍にとって地雷となりうる話題ですら負の感情が湧き上がることはなかった。の話には能動性がない。は誰にもはたらきかけない。だからこそ、は綺麗で、の隣は居心地が良かった。何も無いから綺麗なものがあるのだと知るには幼すぎたが、焦凍は既にそれを知ってしまっていた。
、個性」
「うん!」
 浅く掘り返した地面にいくつかの種を蒔いて、を促す。自らの「お花」以外の植物もそれなりに操ることができるようで、遊びと言って焦凍はに個性の訓練をさせていた。個性が成長し、強化されればは花を生まなくとも木にならないかもしれない。年中見てやることはできないが、せめて自分がついていられる時はと焦凍はの手をとった。の個性に応じて、早送りで動画を再生するように種が発芽し伸びていく。ひょろひょろと頼りなく伸びていく芽を見て、は焦凍を見上げた。
「しょうちゃん、おみず」
「俺は水じゃない」
「ちがうの、お水がいるよ」
 今の焦凍に向かって水を寄越せと言うのはくらいのものだろう。に言われた焦凍は、黙って自分の右手と左手を合わせた。最小限の範囲で個性を発現させて、右手を少しだけ覆った氷を左手で溶かしていく。両方の個性を使って水を作ってくれなどと、焦凍の憎しみや決意を知るは頼むのだ。ぽたりぽたりと滴って地面を潤す雫を、黙って見つめる。透明な箱だとか奥行きのある鏡だとか、を例えるのならそういうものだった。は他人を自分に響かせているだけだ。の言葉や行動は単なる反響だから、焦凍を傷付けない。自我や人格がないわけではなく、はそういう人間なのだ。何もかも受け入れて反響させるから、全てを愛しているように見える。それを是とするか否かは、自分次第だ。受け入れてはくれるけれど、背中を押してはくれない。手を握り返してはくれるけれど、差し伸べてはくれない。だから、居心地が良かった。焦凍はを是とした。恨みだとか憎しみだとかいう泥ではなく、幸せという花を心に詰め込んで生きている従妹のことが、好きだった。柔らかな灰色の髪は、陽の光の加減で白っぽく見えることもある。母の色を重ねたその色が、焦凍を受け入れてくれることが嬉しかった。は、いつも笑っている。そのままずっと笑っていてほしいと、そう思う。焦凍の個性は、を傷付けるものだと思っていた。氷は花を傷めるし、炎は花を焼いてしまう。けれど、それを合わせれば水となりの笑顔の糧になれるのだと。そう思えば、少しだけ憎悪から目を背けることができた。
「しょうちゃん、お花さいたよ!」
「ああ」
 出入りの庭師に頼んで種を分けてもらった、名も知らない花。の個性でわさわさと増えていくその花を見ても、特に花が好きなわけでもない焦凍にとっては「綺麗な花だな」以上の感慨はない。それでもは、クリスマスプレゼントを靴下の中に見つけた子どものように喜ぶ。空っぽだから、すぐ失くしてしまうから、だからにとってひと時の情動はこんなにも尊い。胸に沸き上がった喜びの欠片を拾い上げて、消える瞬間まで大切に大切に抱き締める。ぽんぽんと生まれる「お花」と共に、散っていく情動。そうやっては、これからも生きていくのだろう。
「おはな、きれいだね!」
「ああ」
「しょうちゃんも、きれいだね!」
「俺が?」
 花に準えて綺麗と褒められるべきは、男の自分よりも女のなのではないか。胡乱げに目を細めた焦凍に、は力いっぱい頷いた。
「しょうちゃん、きれいだよ!」
 お前の左側が醜いと、火傷と共に刻み付けられた言葉。言われたことは正反対なのに、どうしてかやはり母を思い出した。は受動的だが、節操なく流されているのとは違う。反響しているからといって、影響されているとは限らない。は、本心から「焦凍が綺麗」だと言っているのだ。にこにこと嬉しそうに笑うの頭を、おもむろに撫でる。日頃容赦なく幼馴染に叩かれているというその頭は、確かについ触れたくなるような綺麗な丸みをもっていた。だからといって女の子の頭を理由もなく叩くような真似は、焦凍には到底理解できないが。
「お前は花よりきれいだ」
「お花とひとはくらべられないよ?」
「どうしてそういう屁理屈は知ってるんだ」
 前言撤回、そうしたくなる気持ちだけは少し理解できるかもしれなかった。
 
191020
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