友人と、呼ぶべきなのだろうか。
数多いる天司たちの中で、オリヴィエの対として存在するもの。性質ゆえかそれとも元々そういう気性なのか、と呼ばれる天司は無機質なようでいてその実ひどくマイペースな性格だった。あの神経質そうな研究者の元にいてうまくやっていけているのか、不安になるほどだ。聞いてみれば案の定というか、この淡々としたおっとりさに研究者は手を焼いているように思えた。手をあげられても呑気に「ルシファー、砂糖入れたお茶は嫌いだったみたい」とのたまっているのだから、あの研究者も苦労していることだろう。
「緑茶、というものは砂糖の甘味が合うようには思えないが……だが、が叱られたのは確実に他の原因だと私は思う」
「え? どうしてだろう、オリヴィエちゃん、わかる?」
「の話を聞く限りだが……そもそもあの方は昨日、疲労と睡眠不足で相当に苛立っていたのだろう? そういうとき普通の人間は、関わらないことを選択するものだ」
「私、人間じゃないよ? それにルシファーが、『ここにいろ』って」
「それは……」
「?」
「いや、ルシファー様はなかなかに複雑な心情だったようだ」
率直に言ってしまえば、ルシファーのそれは「面倒くさい」と言われる類の言動だが。そんなときにこのほげほげとした無表情が目の前にいたら、頬をつねりたくなる気持ちはわからないでもない。何しろ真面目なオリヴィエからみればは同じ天司とは思えないほど大らかで呑気で、例えば空気を読むといったことは一切できそうにないのだ。同じくルシファーの配下である狡智の天司といい、変わり者の創る天司はやはり変わり者なのだなとオリヴィエは感嘆と無礼が紙一重の感想を抱いた。
「オリヴィエちゃんの羽は、きれいだね」
唐突に変わる話題には、もう慣れた。それでも、オリヴィエの羽にそっと触れた小さな手のひらに、どきまぎとする。夕闇から夜空へと変わる空のごとき色彩を持つ羽は、のお気に入りらしい。壊れ物を扱うかのように、けれど余すところなく愛おしむように、はオリヴィエの羽に触れる。それがこそばゆいような、戸惑うような、けれど暖かくて優しい感情を生み出す。オリヴィエはいつだって、その幼い手が触れてくれるのを待っていた。
「の羽も綺麗だ」
「オリヴィエちゃんにそう言われるの、すきだな。きっと私は『うれしい』んだと思う」
羽を震わせるの表情は、笑みのそれを象ったりはしない。それでもオリヴィエは、が本心で『嬉しい』と言っていることを知っている。オリヴィエの半身、オリヴィエの片割れ。もうひとりの自分の感情は、手に取るように解る。オリヴィエの愛する比翼は、オリヴィエとはまるで違っていて、だからこそ尊かった。明けの橙から朝の浅葱へと移り変わる空のごとき色彩の羽。相反する色なのに、調和する二色はオリヴィエの心を穏やかにさせた。
「おや、こんなところにいたのかい。ファーさんがお冠だぜ」
「ベリアル」
「、仕事中だったのか? 職務放棄はいただけない」
「えー、たぶん違う……」
「安心してくれよ、別にサボりじゃないさ。ただファーさん、俺の淹れたお茶はお気に召さないみたいなんだ。君の力を貸してくれよ」
「……ルシファーが怒ってるの、ベリアルにだね?」
「そうとも言うね」
「オリヴィエちゃんとお話してるから、行かない」
「おいおい、愛しのファーさんのご機嫌が斜めなんだぜ? 優しく慰めてやってくれよ」
突然やって来たベリアルは、いつものように掴みどころのない言葉を弄する。愛しい半身がオリヴィエの手を握ったことに優しい情動は生まれたが、しかしたかがお茶汲みの用とはいえルシファー直属の堕天司に反抗するのも望ましくないだろう。そっとの背中を押したオリヴィエに、はあっけないほど素直に頷く。馴れ馴れしくの肩を抱いたベリアルは、「悪いね」とオリヴィエに片目を瞑った。
「…………」
さあっと、穏やかな風が吹く。けれど隣の半身が去った後では、気持ちのいいはずの風は何もオリヴィエに情動を与えはしなかった。
「……ベリアル?」
「どうした? 可愛いちゃん」
「ルシファーの部屋、こっちじゃない」
「おやおや、ようやく突っ込んでくれたのか。焦らされるのも時と場合によりけりだ」
人気のない通路で、は足を止めて首を傾げる。けれどベリアルはの疑問を待っていたかのように肩を竦めた。
「キミもプロトタイプの一つだろうに……知能に制限がかけられているわけじゃないだろう、その白痴はファーさんの趣味かな?」
「……?」
「いや、情緒の欠落か。なぁ、オレがキミをこうして誘うのは初めてじゃないだろう。そろそろスマートに誘われてくれたっていいんじゃないか?」
とん、との顔の横に手をついたベリアルが、前触れもなくの頬に唇を落とす。親愛を示すかのような行動とは裏腹に、その瞳には渇いた情動だけが浮かんでいた。
「遊んでくれよ、退屈なんだ『ねえさん』」
「ベリアル、忙しいのに」
「よしてくれよ、キミと愛を交わすくらいの時間はあるんだ」
ぺろりと唇を舐められても、は動揺すらしない。ベリアルとて、愛情や快楽を求めて人間の真似事をしているわけではなかった。そんなことはあの天司長に任せておけばいい。どちらかといえば、興味本位だ。あるいは、儘ならない情動の発散だろうか。生殖もしないのに、交合ができる機能を備えた意味を持ちたいのかもしれない。その相手にを選ぶのは、ただの趣味だ。ルシファーのお気に入り、無用の長物、無垢の朝焼け。いつまで経っても雛鳥のような彼女をどれだけ汚せば変化を促せるのかという、好奇心。黎明を司る彼女は、変化の契機を与えることが本質だ。そんな彼女だけがいつまでも変わらないのが滑稽で、ベリアルの嗜虐心を刺激した。どこまで汚れたらは泣くのか、そんな悪戯心だった。
「変わらないものなんて、つまらないじゃないか」
「そうだね」
適当な返事に、ベリアルは唇を吊り上げる。可笑しくて可笑しくて、笑ってしまいそうだった。黎明の天司は、その名に相応しく最初期に創られている。その時あの宵闇はいなかった、後付けの一対だ。けれど彼女はベリアルやルシフェルのような特権は持たない。ベリアルの姉は、ベリアルよりもよほど幼く。けれどベリアルの言葉にも行動にも揺らがない。彼女自身を「つまらない」と言っているようなものなのに、それにすら関心が無いのだろう。
「姉さん」
殊更に低い声で囁いて、目の前の体を抱き寄せる。抵抗もせずにベリアルに抱かれるの体は、ルシファーの被造物らしく欠けることなく美しい。互いにルシファーが造物主であることの他に好ましく思う点など無いのだろうと思えば、そこが『姉弟らし』くていやに笑えたのだった。
190301