「一票……! 誰かがぼ……俺に入れてくれたのか!」
「他に入れたのね」
「自分に入れときゃ副委員長は争えただろうにな」
「何がしたいたんだ飯田……」
 悲喜交々の開票結果を、はにこにこと見守る。結果として飯田は委員長にも副委員長にも選ばれなかったが、の一票にあんなに感動してくれている飯田はどうやら誰かに投票したらしいのだ。彼なりに、相応しいと考える人間がいたのだろう。一票にあんなに喜ぶほど委員長をやりたがっていたのに、相応しい誰かに役目を譲ることのできる飯田に入れて良かったとは思う。ただ何となくで自分に投票するよりもずっと良い結果だったと、には思えた。
 
ちゃんも食堂?」
「うん! カレーうどんが食べたい」
 麗日のうららかな笑顔に元気良く返事をして、一緒に行かないかという誘いに応じる。上鳴の黄色い髪を見ていたらカレーの気分になったのだと笑うに、独特のペースの子だなと麗日は頬を弛めた。飯田と緑谷にも声をかけて、ランチラッシュが腕を振るう食堂へと足を運ぶ。多くの生徒でごった返す食堂でと肩がぶつかりそうになった緑谷は、真っ赤な顔で飛び退いて飯田にぶつかってしまっていた。
「緑谷くん、純情だ」
「あ、はは……こんなんだけど、僕に委員長務まるかな」
「大丈夫なんじゃないかな!」
 からりと笑うに、根拠はなくとも励まされて緑谷も笑みを浮かべる。もしかしてが入れてくれたのかと席に座りながら尋ねる緑谷に、はあっさりと首を横に振った。
「私は飯田くんに入れたよ」
「君だったのか!」
「そういえばちゃんも自分に入れてなかったもんね」
 飯田と麗日も会話に加わりながら着席し、の言葉にそれぞれ頷く。委員長に選ばれた喜びと不安を吐露する緑谷に、二人も肯定的な言葉をかけた。相応しい人間がやるのが正しいと思ったのだと言う飯田の言葉に、は顔を輝かせる。それはまさしくの考えたことと同じことで、嬉しくなった。委員長になるべきだと思った人間が、自分と同じ考え方をした。それは何だか、の考えが肯定されたような、も正しいと言ってもらえたような嬉しさで。器用に汁を飛ばさずカレーうどんを啜って、は満面の笑顔を浮かべた。
「飯田くんに入れてよかった!」
「む、そうなのか? 俺は君の期待に応えられなかったわけだが……そう言ってもらえるのなら、良かったよ」
 につられるように、飯田も穏やかな表情を浮かべる。緑谷と麗日も微笑ましげに見守りゆったりとした空気が流れる中、突如としてけたたましい警報が鳴り響きその空気を裂いた。何者かが敷地内に侵入したことを示すのだという警報に、瞬く間に食堂はパニックに陥る。避難を促す放送によって押し寄せた人の波に、小柄なは押し流されてしまって。緑谷たちが慌てたようにを呼んで懸命に手を伸ばしてくれたが、それを掴むことはできずあっという間に人波に呑まれる。押し合い圧し合いの中で潰されそうになり呻いたの手を、誰かがぐっと掴んで引いてくれた。
「わっ……!?」
「……チッ」
 頭上で聞こえたガラの悪い舌打ちに、はびっくりして顔を上げる。人の少ない隅へとを押しやった爆豪は、を一瞥して未だパニックの最中にある生徒の集団に呆れたような視線を向ける。どうにか息を整えたを見ないまま、爆豪はぼそりと呟いた。
「……生きてっかよ、お天気女」
「えっ、あっ、うん……ありがとう、爆豪くん」
「別に助けたわけじゃねえ」
 たまたま目についただけだと悪態をつく爆豪だが、の表情は明るくなる。それってまるでヒーローみたいだ、そう思ったことはどうやら口に出てしまっていたらしい。「みたいじゃなくてヒーローだろうが」と目を吊り上げた爆豪は、ふと思い出したように吊り上がる角度を鈍角に戻した。
「テメェ、デクに投票したんかよ」
「緑谷くん? 入れてないよ?」
「……そうかよ」
 据わっていた目が、スッと静けさを取り戻す。怒っていなければ頼もしい人だなあ、と呑気な感想を抱いたことを見透かされたのか、「余計なこと考えてたらぶっ殺すぞ」とまた目付きが鋭くなった。ここまで怒りっぽくなければ支持も得られるだろうにと、口に出せば爆破されそうなことを考える。そうこうしている内に突如喧騒を突き抜けてきた馴染みのある声に、は顔を上げてぽかんと口を開けた。
「……飯田くんが、非常口」
「あ?」
 大丈夫と、よく通る声で事態の沈静化を図る飯田。壁に張りつくその姿は非常口の標識そのもので、なんだか可笑しくなって笑ってしまう。飯田が大真面目に今できる最善を尽くしているとわかっているけれど、ついつい口元が緩んでしまって。これはサーが好きそうな「ユーモア」だと、は片手で口を押さえる。徐々に静けさを取り戻していく廊下で笑いを堪えて震えているを呆れたように見下ろし、爆豪はさっさと教室へ戻ったのだった。
 
「うん……? あ、百ちゃんだ!」
「あら、まだ残っていらしたんですね。さん」
 放課後の人もまばらな教室で、机に広げたプリントを前にうんうんと唸っている。早速学級委員としての雑用をこなして戻ってきた八百万は、主人を出迎えた犬のような反応に思わず笑みをこぼした。クラスメイトを愛玩動物に例えるのは失礼なことだろうと思いつつも、ついそんな比喩が浮かんでしまったのだ。どうやらは学校で宿題を終わらせていくタイプの人間らしい。エクトプラズムの出した数学の宿題はなかなかの難問揃いで、進捗は芳しくないようだった。推薦入試は繰り上げ合格だっただが、その個性の扱いは八百万や轟に引けを取らないことを知っている。若干足を引っ張ってしまったのは筆記の方なのだろうな、と何度か書いては消した跡の残るプリントを見下ろし八百万はの前にある自分の席に腰を下ろした。家の者に頼んでいる迎えまではもう少し時間がある。
さん、私でよければお教えしましょうか?」
「いいの? わぁ、ありがとう百ちゃん!」
 一も二もなく頷いてぱぁっと顔を輝かせたは、微笑ましい。の解いている問題と書かれた式を見れば、全くの的外れというわけでもなく途中まではきちんと公式に従って解けている。意地の悪い引っかけに見事に躓いてしまったようで、まだ短い付き合いではあるがらしいと八百万は和んでしまった。後ろの席の友人はどうにも少しばかり素直すぎるきらいがある。裏を読むことを覚えればもっと伸びるだろうと思いつつも、このままでいてほしいとも思うような矛盾。八百万の指摘を受けたはするすると以降の式を解けていたので、飲み込みは早いのだろう。いくつかの解けなかった問題を一緒に見たが、やはり引っかけ問題ばかりで。無事解き終えて嬉しそうにするは、八百万の両手を掴んでぶんぶんと上下に振った。
「百ちゃん、本当にありがとう! 私、一応理数系なのに全然わからなくてあせったよー」
「礼には及びませんわ。さんは引っかけにさえ気付けばきちんと解けていますから、問題の意図や裏を読めるようになることが課題でしょうね」
「……読解力を鍛えるね……」
 それにしても百ちゃんは教えるのが上手だなあと、自分の読解力のなさに肩を落としていたは憧れと敬意の入り交じった感情を浮かべて八百万を見上げる。山の天気のようにころころと表情を変えるは、今まで八百万の周りにあまりいなかったタイプの友人で。目を惹かれるし、見ていて自分の心まで弾む。
「また一緒にお勉強しましょうね、さん」
「うん! 今日は本当にありがとう、百ちゃん」
 下の名前で呼び合う友人関係は、少し擽ったいけれど心地良い。担任の相澤は友達ごっこと皮肉っていたけれど、ヒーローにだって友人は必要だ。コミュニケーション能力に長けていなければ人はついてこないし、サイドキックとの連携も取れない。そうやって言い訳じみた思いを並べて、の隣にいる心地良さを享受する。「また明日」と何でもないはずの挨拶でさえ、今の八百万にとっては宝物のようにきらきらと輝いて思えたのだった。
 
191107
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