「ちゃんは好きなヒーローとかいるん?」
救助訓練の前、更衣室で着替えながら交わされた会話。三人目の教師は誰が来るのだろうという予想から、それぞれの好きなヒーローの話題に移って。お茶子の問いかけに、はネクタイを締めながら答えた。
「オールマイトは別格枠で好きだよ!」
「別格枠」
「わからなくもない」
「前提みたいなところあるよねー」
思わず真顔での言葉を繰り返したお茶子の横で、耳郎と葉隠が頷く。NO.1ヒーロー、オールマイトは誰に訊いても大抵の人間が「好き」と答えるだろう。にとってもやはりオールマイトは特別だった。養父が全てをかけて支えようとしたヒーローであり、平和の象徴。そして、この国におけるヒーローの頂点。尊敬であり憧れであり、いつか辿り着きたい場所。はオールマイトに焦がれている。 「てっぺん」に焦がれている。最も空に近いひと。一番上から見上げる空は、今よりももっと近いのだろう。もっと上へ行きたい。更に彼方へ行きたい。が目指す景色はいつだって「いちばん」だから、勝つのも救けるのも「一番最高の形」が良い。今日の救助訓練もがんばろうと、は背筋を正して決意を新たにしたのだった。
「お邪魔するね」
「ああ」
フルスロットルで委員長としての役目を果たそうとしていた飯田が落ち込んでいるのを横目に、出席番号が最後だったは隣の空いている轟に声をかける。短く頷いた轟の横に腰を落ち着け、よいしょとシートベルトを締めた。わいわいと賑やかなバスの中で、轟は我関せずとばかりに目を閉じて睡眠の体勢に入っている。ならば自分も大人しく静かにしていようと、右手と左手でそれぞれ小規模に個性を発動させる。小さな水の球と、ごく小さな竜巻。同時に個性を操る練習だった。右と左を入れ替えたり、それぞれ全く違う動きをさせたり。両方の個性を組み合わせて、水と風の渦を作ったり。ひとり遊びのように個性を使っていると、ふと横から視線を感じる。寝ていたはずの轟が、じっと横目にの手元を見ていた。
「器用だな」
「ありがとう……?」
休息を邪魔してしまったかと一瞬焦ったが、轟はどこか面白そうにの手元を見ている。よそ見をしながらもコントロールを失わない様を見て、感心したように器用だと呟いた。思わぬ人物からの思わぬ言葉に、はきょとんと首を傾げる。
「んだとコラ出すわ!!」
前方から突然突き刺さった怒鳴り声に、はビクッと肩を跳ねさせる。同時にびよんと跳ねて伸び上がった渦を見て、轟がふっと笑った。どうにも爆豪がいじられて気炎を上げているらしい。面倒事の気配を察知した轟は再び瞼を閉じ、喧騒の中で何事も無かったかのように窓に頭を預けた。も爆豪の怒声を浴びたくはないので、個性の練習をやめて素知らぬ顔で目を閉じる。けれど次いで聞こえてきた「クソを下水で煮込んだような性格」という上鳴の言葉に不意打ちを受け、思わずブフッと吹き出してしまう。上鳴に怒鳴り返しているのでの笑い声など聞こえていないと思っていたが、「寝たフリしてんじゃねーぞ、聞こえてんだよお天気女!」と漏れなく罵声を浴びて降参するように両手を挙げた。目を開ければ敵も真っ青な凶悪顔がこちらを睨んでいて、「ごめん、面白かった」とは潔く笑ったことを認める。「それはそれでどうなんだろう……」と緑谷が心配したことなどいざ知らず、にこにこと笑うに舌打ちをして爆豪はそっぽを向いた。和気藹々というには些か賑やかすぎるバスの中に相澤の地を這うような低い声が響き、皆背筋を伸ばして口を閉じるのだった。
「13号だ!」
緑谷や麗日と同じく、スペースヒーロー13号の姿を見てはしゃぐ。空に愛着を持つどこか幼い友人は宙も好きなようだと、耳郎はその嬉しそうな顔を見てふっと口元に笑みを浮かべた。短い付き合いではあるが、の向上心はまさに雄英の校訓の通りだと耳郎は知っている。空の向こうにある宙を想起させる13号にが嬉しそうにするのも、何となくわかるような気がした。お小言がひとつふたつと増えていく宣言に皆がげんなりとした空気を出す中でも、ひとりにこにこと楽しげにしている。とはいえその「お小言」はいざ聞いてみれば個性の使い方を諭し、誰かを傷付けもするが助けにもなれる力だと教えるもので。聴き終わった後には自然と拍手が生まれ、耳郎の隣のもぱちぱちと全力で手を叩いていた。そんな生徒たちの様子を見た相澤が、訓練の開始を告げようとして言葉を切る。何かに視線を移した相澤は、バッと振り向いて叫んだ。
「一かたまりになって動くな!」
敵だと、相澤が叫ぶ。13号が、生徒を庇うべく前に立つ。オールマイトが目的だという敵が、ゾッとするような声で「子どもを殺せば来るのかな」と呟いて。その場にいる全員が戦慄する。避難を促しながら敵陣に突っ込んで行った相澤に弾かれるように、耳郎たちも踵を返した。隣にいるが躊躇ったような気配に、反射的にその腕を掴む。
「――ッ、」
「…………」
の目が、怖くなるほど静かで耳郎は息を呑む。普段は山の天気のごとくころころと感情の色を変える瞳が、何も映していないのが怖くなって。思わずぎゅっと手に力を込めると、ぱっと瞬きをしては耳郎を見てくれた。自分の意思で足を動かし始めたに安堵して、おそるおそる手を離す。その目には不安だとか焦りだとか、きちんと人間らしい感情が浮かんでいて。
「ほら、行くよ」
「うん!」
けれど、耳郎はの手を離したことを後悔する。全身が靄のような姿をした敵が、行く手を塞いで。爆豪と切島が咄嗟に殴りかかるも、ふたりが前に出たことで13号が個性を使うことを躊躇う。その一瞬で、広がった靄は皆を呑み込んだ。
「ごめん、助かったよさん」
「ううん! 『適材適所』って百ちゃんが言ってた」
靄に吸い込まれ飛ばされた先は、火災ゾーンの上空で。の風で難なく着地したことに礼を言う尾白に、は首を振って前を見据えた。ぞろぞろと待ち構えている敵に、尾白も油断なく構える。
「……生き延びようね、尾白くん」
「うん、幸いお互いの個性はある程度把握してるし……」
連携をとって無事に生き残ることを大前提にしようと、小声で方針を固める。炎の燃え盛る火災ゾーンではの操れる大気中の水分が少なく、風も熱で浮きやすいため広範囲だとコントロールしづらい。無理に大きな風を起こせば尾白を巻き込みかねず、水分が少ない場で大量の水を使おうとすればキャパオーバーで倒れかねない。それを少ない言葉で把握してくれた尾白に感謝しつつ、足でまといになりかねないことを小さな声で謝罪する。けれど尾白は「適材適所でしょ?」と尾を揺らして頼もしく笑ってくれた。
「さんは牽制優先で。隙を見て俺が一人ずつ倒していくよ」
「うん、がんばろうね!」
随分と余裕のあるガキだと、敵が苛立ち交じりに武器を振り上げる。刃物に対して遠慮はいらないだろうと、は水の渦を槍のように鋭く射出して武器を弾き飛ばした。丸腰になった敵が怯んだ隙を突いて、尾白が敵を投げ飛ばす。次々に襲いかかってくる敵を風で牽制しつつ、近接戦闘を中心とする尾白が戦いやすいようにと敵の武器の破壊に集中していく。尾白の背後を取った敵の肩に水の球をぶつけると、が人に対しては槍状の水ではなく球をぶつけることを把握した尾白が振り向きざまに叫んだ。
「顎とかこめかみとか、狙えるならそこにぶつけて揺らしてみて!」
「わかった、ありがとう!」
さすがは格闘を得意とするだけあって、人体の急所は網羅しているらしい。適当に背や肩を狙うより、衝撃で気絶を狙える部位を攻撃した方がも敵の撃破に貢献できる。ちゃんと考えて戦うべきだったと、反省しつつもすぐに狙いを切り替えた。指先を敵に向け、鉄砲を撃つように水分を集めて放つ。が戦闘訓練のことを話したとき、サー・ナイトアイに言われたことを思い出した。
――お前は戦闘より救助に意識が行きがちなようだが、
いずれは敵との戦いが避けられないときも来ると。今回はたまたま戦闘前に試合の決着がついてしまったが、実際に戦闘になっていたらどうやって戦うべきだったか考えろと。推薦入試のマラソンで立ち塞がった障害物は、水の槍で貫いた。けれど、それを人に向けるのは危ない。人に対しては主に風で吹き飛ばしたり転倒させたりを主軸としてきた。それが通用しないときは。風が扱えないときは。サーの元でインターン生として働いているミリオは、近接戦闘という答えを出したのために手合わせをしてくれながらも「それもいいけど、せっかくの長所は活かした方がいいと思うんだよね!」と言ってくれた。器用に個性をコントロールできるのがの強みなのだから、それを活かせる戦い方も考えるべきだと。槍を向けるのが危ないなら、もっと安全な形状にすればいいのだと。そんな簡単なことさえ、誘導されて初めて気付いた。狙うべき箇所があることにも、尾白の言葉でようやく気付いて。
(まだ、足りない。全然足りない)
もっと考えなければ。初めて敵を前にして、はまだ何もかもが足りていない。足りないから、補いたい。この敵を乗り越えて、更に先へ進みたい。若干の申し訳なさを感じつつも、顔周りをガードした敵の無防備な股間に水鉄砲を叩き込む。それを目にした敵のみならず尾白まで青くなっていたが、は容赦なく続けて二人の敵の急所を撃った。悶絶して転がる大の男にため息を吐いた女の敵の頭部を、大きめの水の球で覆う。呼吸を奪われ気絶したところで個性を解除すると、隣に戻ってきた尾白が感嘆半分呆れ半分に呟いた。
「さん、凶悪なくらい手数が増えてくね。物怖じしないし」
「尾白くんのおかげでもあるよ! 正直、敵より爆豪くんの顔の方が怖い!」
「まったく頼もしいや」
大技がない以上各個撃破であるため、敵の数は劇的には減らない。それでも、と尾白には「大丈夫だ」という思いがあった。
「ぷるすうるとら」
「本当に頼もしいよ、さん」
パンッと、ハイタッチを交わして前に飛び出す。絶対に無傷で勝ち残ろうと、の瞳は決意に燃えていたのだった。
191110