『無事だったのなら何よりだ』
 電話の向こうで、養父が安堵したように息を吐く。その口調や言葉選びは普段と変わらず硬いものだったが、を案じる色が確かに含まれていた。
「けど、私、オールマイトの役に立てませんでした」
 と尾白が敵を倒し切ったとき、既に事件は終わっていた。学校から駆け付けたオールマイトが、主犯の差し向けた『脳無』という改造人間を撃破して決着したのだそうだ。その場には緑谷や爆豪、轟たちを始めとして、飛ばされた先の敵を倒した生徒たちが駆け付け助力していたらしい。は火災ゾーンの敵を倒すことに精一杯で、彼らの目的を聞き出すことも援護に駆けつけることもできなかった。生徒を守るために真っ向から戦いを挑むしかなかった担任の相澤は、重傷を負って。オールマイトも、脳無との交戦により少なからずダメージを受けたらしい。自分たちのことばかりで何もできなかったと、ひとり暮らしのアパートに帰ってきては落ち込んでいた。そんなの言葉を遮ることなく聞いてくれたサーは、『後からは何とでも言える』と言った。
 『お前は、その場で自分が行える最善を尽くしたのだろう。共にいた級友と助け合い、生き残ることを先決としたのだろう。それを後悔する必要などない』
「サー……」
『不利な環境で無理を押して一か八かに賭けることなく、味方と共に確実に被害無しで生き延びた』
 お前は上を目指すあまり無謀なところがあるから心配だったと言うサーが、電話の向こうでどんな表情をしているのかわかった気がした。
 『お前は無謀で大雑把だ。空に行きたいと、風を使って飛んだ日からお前の評価は変わっていない』
「うっ……」
『その評価に基づいてお前の行動を予測した場合、味方を巻き込むリスクを承知の上で大竜巻を起こすか、敵全てを押し流す規模の水を集めようとして倒れるかの二択だった』
 だがどちらでもなかったと、意外そうに言うサーの声は笑っているような気さえした。
 『オールマイトの助けを必要とするお荷物にならなかったこと、それ自体が役に立ったと言えるのではないか。逸る気持ちを抑えて、各個撃破に努めた選択を私は評価する。成長したな、
「……ありがとうございます、サー!」
 養父がどんなにオールマイトを大切に思っているか、は知っている。それ故に、ふたりの道が分かたれてしまったことも。オールマイトは、サーの元で育てられたのことを覚えていた。時折気まずそうにに視線を向けるのも、サーのことがあるからなのだろう。もオールマイトの助けになりたい。ワン・フォー・オールの継承者が緑谷であることにサーは険しい顔をしていたが、は口を噤んだままでいる。今回はオールマイトのために何もできなかった。助けるために動いたのは、緑谷だ。オールマイトを殺すと主犯の死柄木が言ったとき、は一瞬我を忘れた。オールマイトはサーの大切な人だ。オールマイトに何かあれば、サーが悲しむ。サーの予知が当たってしまうのは、今日なのかもしれない。そんな考えが一気に頭の中に渦巻いて、動けなくなった。耳郎が腕を引いてくれなければ、あの場に突っ立ったままになっていただろう。
「サー……お父さん」
『なんだ』
「わたし、もっとがんばります!」
『……ああ』
 無理だけはしないようにと、サーの言うことに頷いて電話を切る。電話のあと送られてきたのは、のよく行く登山用品を扱う店のクーポンで。趣味の買い物でもして気を休めてこいということなのだろう。硬い印象があるようでいて優しい養父の気遣いに、はスマホを握り締めて笑顔を浮かべたのだった。
 
「あっ」
「あ?」
 ばったりと出くわした顔を見て、互いに声を上げる。「爆豪くん、こんにちは!」とにこにこ笑って挨拶をするに、爆豪は舌打ちをして顔を背けた。前に教室で交わした会話を覚えていたのだろう、どうしてここにいるのかという問いは飛んでこない。昨日の襲撃事件を踏まえ休校になった日に、爆豪もと同じことをしていたのが何だか面白くて。自分に対するブーメランであることに気付いたのだろう、「家で大人しくしてろよ」という悪態は言い終わる前に途切れていた。
「爆豪くんもクーポン使うの?」
「は?」
 何のことだとでも言いたげな爆豪に、きょとんと首を傾げてスマホを見せる。「株主優待じゃねぇか」と呆れたような目でを見た爆豪は、言われて初めて気付いた顔をしたにますます呆れたようだった。
「お父さん、株買ってたんだ……てっきりアプリか何かだと」
 のよく行く店を、覚えていてくれたのだろう。遠回しなサーの優しさに感謝と尊敬を募らせるをよそに、爆豪はさっさと自分の用を済ませようと踵を返す。けれど、ぐいっと引き止めるように手を掴まれて、反射的に爆破しそうになったのを抑えて舌打ちをした。
「ンだよ」
「よかったら一緒に買い物しよう!」
「ふざけんな誰がてめぇと」
「一会計での割引だから、一緒に会計すれば爆豪くんの分もお得になるよ!」
「…………」
 しばし思案した爆豪は、質に比例したそれなりの価格と他人と一緒に買い物をする煩わしさを秤にかけたらしい。「一時間以内に済ませるぞ」と吐き捨てるように結論を出して、の手を振り払った。雑な返答だが、一緒に買い物してくれることに嬉しくなってはにこにこと笑う。脳天気な笑顔に早くも自分の選択を後悔し始めた爆豪だが、へらへらとした笑顔を横目にボソリと呟いた。
「テメェはUSJん時どこにいやがった」
「え? 火災ゾーンにいたよ、尾白くんと」
 唐突な問いかけに正直に答えると、爆豪は胡乱げな目をに向ける。「どこで油売ってやがった」と続けて問うた爆豪の言葉に首を傾げつつも、その時の状況や判断を説明していく。短時間で敵を制圧するための大技はリスクを危惧して使用を避けたのだと言うと、爆豪は「ビビりが」と鼻で笑った。どうにも爆豪は、がもっと早く敵を片付けて広場に駆け付けると思っていたらしい。意外な人物からの意外な期待に、はパチリと目を瞬かせた。
「火のあるとこででけぇ風使った経験は」
「……ほ、ほとんど無いよ」
「規模のでけぇ水は」
「一度あるけど、その時は倒れた」
「いつの話だ」
「中学校のとき」
 の返答を聞いた爆豪は、何か考えるように目を細める。その口元が愉しげに吊り上がったのを見て、は思わず一歩後退った。
「一緒に回ってやる代わりに、明日の帰りにツラ貸せ」
「い、いいけど……」
「俺はてめぇも潰すって決めてんだよ」
 個性把握テストの結果で、爆豪の上にいた。戦闘訓練では轟に負けたものの、その全力を見せる機会はなかった。USJでも、ちまちまと戦って広場まで来なかった。味方を巻き込む、敵がどれだけいるかわからない中気絶はできない、そんな枷のせいで全力を出したところを目にできていないのはつまらない。それが環境の条件のせいなら、何も気にしなくていい条件でぶつかってやればいい。ちまちまとした水鉄砲だの向かい風だの、それも悪くはないがどうせなら全力の威力を見ておきたいのだ。潰すという言葉に「うわぁ」と呟いたの首根っこを掴んで、ズルズルと引き摺っていく。熱のある条件下で風がどう動くのか知らないのが怖いというのなら、実際にその条件下で風を使って知ればいい。気絶のできない条件下で博打ができないというのなら、気絶してもいい条件下で一か八かを試してみればいい。何にも気兼ねせず全力を出せる環境を作って、それを叩き潰す。それでやっと、個性把握テストのときの悔しさをひとつ克服できる。放課後に何をするのかと尋ねるに端的に「殺り合う」と答えれば、二度目の「うわぁ」がその口から漏れた。けれど、手合わせ自体には嫌そうな反応を示していない。周りを助けることばかり気にしているくせに、案外好戦的なのだ。
「爆豪くんはすごい人だよね」
「当たり前のこと訊いてんじゃねぇ」
「爆豪くんに勝てたら、もっと一番に近くなるよね」
「いい度胸してんじゃねーか」
 ぐっと両手を握り締めたは、やはり呑気な顔をしていながらも好戦的だ。戦闘訓練のとき、轟と交わしていた言葉。轟はあれを理想主義の絵空事と捉えたようだが、爆豪から見れば完全な勝利への理想は遥か上への向上心と執着だ。穏健そうな顔をして、遠くを見据える目はギラついている。超えるべき壁を、好戦的な目をして見ている。オールマイトを見るとき、自分がどんな顔をしているのか自覚していないのだろう。『てっぺん』への苛烈な憧れ、彼方への執着。こんな人間、戦った方が面白いに決まっている。何だかんだで図太く順応性の高いが引き摺られつつも「あっちが見たい」と棚を指差すのを鼻で笑い、爆豪は自分の見たい棚へと足を向けたのだった。
 
191110
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