「上に上がれば関係ねえ」
 同じ学年の生徒に対する無礼な物言いはともかくとして、不遜な言葉はいっそ清々しいとさえ思えた。「はよしろ」と急かされて、もぱたぱたと爆豪を追いかけていく。が爆豪に果たし合いじみた呼び出しを受けたことを知っているA組の面々は、憐憫すら含んだ視線でを見送った。
「爆豪くんは『ごーがんふそん』だね!」
「傲岸不遜って漢字で書いてみろよ」
 はよく、八百万の言った熟語の意味を調べてはそれを口にする。邪気のない天然の悪口をあまりに朗らかに言うので、怒る気にすらなれずに鼻で笑った。今日は何やら八百万と顔を付き合わせて色々と調べ物をしていたようだが、それは体育祭に向けての準備らしい。水と風の個性は応用が幾通りも考えられる汎用性の高いものだが、は今までそれを人に向けることをあまり考えてこなかった。それを反省に活かし、対人戦での個性の使用を真剣に考え始めたのだそうだ。何はともあれ良い準備運動になると、爆豪はを連れてトレーニングルームへと向かった。
 
「……クソ、」
「もう倒れてくれないかな……!?」
「君たち、程々にね」
 火災ゾーン並に火が燃え盛る条件下での、最大規模の突風や竜巻。特殊な条件のない中での同じ技。極端な乾燥状態と湿潤状態それぞれにおいての、水分の操作。全力での爆破とそれらをぶつけた結果は、どちらの勝ちとも言えないほぼ相打ちの打ち消し合いだった。水と風それぞれで爆破と相打ちなのだから、複合技であれば押し負ける。忌々しそうに舌打ちをした爆豪と、何度も大きな範囲で個性を使用し少し息の上がっている。トレーニングルームの監督をしていたセメントスが、屋内を屋外にしかねない二人のぶつかり合いに淡々と制止の声をかけた。様々な条件下で個性を使ったは、今の感覚を忘れないようにと拳を握り締める。燃え盛る火の中で風を扱うのはなかなか思うようにはいかなかったが、どう風が揺れるのか掴めば何とか思った動きに近付けることはできた。乾燥した空気の中で水を操るのも、何度か倒れて叩き起されてを繰り返して試すうちにようやく限界値がわかって。爆豪には爆豪なりの目的があってのこととはいえ(それもほとんど私情によるものだが)、その結果が得られたものは決して少なくない。威力で押し負けたことに不服そうな爆豪だったが、あくまで今の撃ち合いは「個性のみの最大威力を競うもの」だ。近接格闘を含めれば、緑谷との戦闘であんな動きを見せた爆豪に敵うとは思えなくて。爆豪も同じことを考えたのか、「個性ありの組手すんぞ」と指を鳴らす。尋常ではない体力の多さにげんなりとして休憩を申し出るだったが、爆豪はそれを一蹴した。
「うるせぇ、プルスウルトラしろや」
「……っ、うん!」
「単純バカかよ」
 校訓を引き合いに出せば、あっさり頷いて気合いを入れ直す。は本人や周りが思っているほどいい子ちゃんでも器用でもない。大雑把に全力を撃っているときの方が、よほど生き生きとしている。普段真面目で大人しく見えるのは、がそうあろうと振舞っているからだ。何に遠慮をしているのか知らないが、周りに気をつかって殊更に「いい子」を心がけている。個性を使って空へ行こうとした、そんな子どもが奔放でないわけがない。
「手ぇ抜いたら殺すぞ」
 敵顔負けと評される笑みを浮かべて、爆破で加速し駆け出す。どうせ今までは同格に競える相手などいなかったのだろう。爆豪もそうだった。周りも見ても格下ばかりで、自尊心ばかりが膨れ上がった。の個性は周りを巻き込みやすいものだ、自分より弱い周囲への遠慮ばかりが積み上げられてきたのだろう。全力を出せないが故の、劣等感。けれど今相対している爆豪は同格以上だ。遠慮など要らない。多少がコントロールを失おうが、自分の力で水も風も退けられる。手加減をしていたら負ける相手。気を遣うべき味方のいない状況。そんな状況で真剣な顔をしつつも、その目に浮かぶ「楽しい」という感情は隠し切れていない。きっと今、自分も笑みを浮かべているのだろう。個性が強力な分本人は動けないタイプかと思ったが、風を使っているのを差し引いてもよく動く。きちんと鍛えられた動きは、訓練か何かで戦い慣れたそれだ。支援だの救助だので前線に出ないのが、手抜きだと思えるほどの。それでも自分が上だと、爆豪は容赦なく爆破を浴びせて殴りかかっていく。結局トレーニングルームの使用時間を過ぎてセメントスに追い出されるまで、は爆豪に吹き飛ばされてはまた挑んでを繰り返したのだった。
 
! 体育祭は見に行くからな!』
「うん、ありがとうイナサくん!」
 中学時代の親友からかかってきた電話をとると、突き抜けるような大声が耳を刺した。常人であれば文句を言うところだが、はスマホから耳を離して同じくらいの大声で返す。もはやハンズフリーの通話である。お互いにこういうところが違う高校に進学しても親友でいられる所以――つまるところ、類友であった。
 『全力で行けよ、! お前、誰かを巻き込むとか気にしてすぐ遠慮するけどな! 雄英体育祭だからな!』
「うん! 今回はそういうの、なしでがんばろうと思う!」
『お、おお!? ……、入試でも周りに気をつかってただろ! それさえなきゃ、繰り上がりがどうとか気にしなくてよかったんだからな!』
「うん、すごく反省した! 遠慮とか、しちゃいけない人たちばっかりだった!」
『雄英だからな! が楽しそうでよかった!』
「楽しいよ、ぷるすうるとら!」
『プルスウルトラ!』
 中学時代も夜嵐以外の周囲には気をつかって遠慮がちだったの変化に驚きつつも、互いに好んでいる雄英の校訓を言い合って電話を切る。血が繋がっていると言われるほど性格も個性も似通っている夜嵐とだが、実際は全くの他人である。けれどもとにかくウマが合って、中学時代はそれこそ兄妹のようにワンセットで扱われることが多かった。には両親がいない。ヒーローだった彼らはが幼い頃に殉職してしまい、親戚でなおかつヒーローであったサー・ナイトアイの元に引き取られた。昔は空を飛びたかった。「お父さんとお母さんはお空の向こうに行ったんだよ」という大人の言葉を真に受けて、空の向こうに行こうとした。そんな話を聞いても、夜嵐は笑わなかった。結局空に行く前に落っこちてしまったのだというオチを聞いても、「惜しかったな!」と大真面目に頷いてくれた。が飯田に好感を持ったのは、その真面目さがどこかあの友人を彷彿とさせたからなのかもしれない。何もわからなかった子どもから少し成長して、は自分がしでかした事の大きさを理解した。独り身でを引き取って育ててくれたサーが、子どものしたこととはいえ監督不行届で罰せられていたかもしれないと知った。だから、個性を思うままに使ってはいけないのだと自分を律するようになった。両親恋しさが始まりだった空への憧れが、自身の憧れに変化して。両親とサーの足跡を追いかけて興味を持ったヒーローの道で、自身の夢を抱いて。『てっぺん』に行きたいのだと思うのに、入試から既に心のどこかにブレーキがかかっていた。けれど、相澤の個性把握テストで全力を出しても誰にも迷惑はかからなかった。敵わない相手がいた。戦闘訓練など、何もできないまま終わった。USJの襲撃事件では、自分のことだけで精一杯で。爆豪は強引だったけれど、遠慮などしていては同級生にすら敵わないのだという現実を叩きつけてくれた。それがとても、苦いけれど楽しい気持ちで。
 ――てっぺんに行きたい。
 それは自分自身の気持ちだ。きっかけが何であれ、大切にしてきた気持ちだ。上に、頂上に、更に彼方に焦がれる。最初は「空に行きたい」と駄々をこねるを慰めるため、サーに連れられて登った小さな山の頂上が始まりだった。空が少し近くなった感覚が嬉しかった。少しずつ経験を積むごとに、登れる山も大きくなった。登山には事前の体調管理も周到な準備も、体力も咄嗟の判断力も全体を俯瞰する視点も、時には行き合った人との連携も必要になる。サーががヒーローを目指すことまで予期して登山を勧めたのかはわからないが、積み重ねてきた経験は確かにの糧になっていた。一歩一歩道を踏み締めて進んだ先に、空があることをは知っている。だからがんばれる。がんばろうと、心からそう思える。
「――ぷるすうるとら」
 上に上がりたい。結果として夜嵐の空けた席に滑り込んだだけでも、その親友に恥じない結果を出してまた対等に競い合いたい。もっともっと、オールマイトに近付きたい。てっぺんからはきっと、まだ見たことのない空が見える。再び校訓を呟いたは、晴れやかな面持ちで顔を上げたのだった。
 
191111
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